第34話「完敗と撤退」



しかしその前にらわたくしの手はキール子爵に手を掴まれてしまった。


強く腕を握られ身動きが取れない。


「シーラッハ公爵夫人、ここはあなたの母国ではない。

 公爵夫人だからといって、身分を傘に来て軽率な行動を取らない方が見のためですよ。

 俺はこの国の高位貴族や王族に知り合いが多いですから。

 下手をすると母国に帰れない事態に陥りますよ。

 聡いあなたならこの意味がわかりますね?」


キール子爵の口癖は穏やかだが、逆らえない威圧感があった。


キール子爵はわたくしの手からティーカップを奪い取り、受け皿に戻した。


そしてメイドに食器を下げさせた。


「紅茶をかけるのは我慢してあげるわ!」


キール子爵がわたくしを掴んでいた手を離す。


馬鹿力で掴まれたから、あとが残っているかもしれないわ。


「あなたがリックを告発したせいで、なんの罪もないフォンジーが十五年間苦しんだのは事実よ!

 フォンジーが長年色んな人に頭を下げまくった事実は消えないわ!

 ザロモン侯爵家は取り引き先の信用を失い、事業がうまくいかなくなり貧困に喘ぎ、フォンジーは何年も衣服すら新調できないでいたのよ! 

 その間あなたはこの国で何をしていたの?

 お友達と一緒に学校に通い、放課後はカフェで楽しくおしゃべりでもしていたのかしら?

 休日はおしゃれを楽しんでいたのでしょうね?

 学園を卒業後は結婚してお店を開いて、好きなことを仕事にして、面白おかしく暮らしていた……。

 あなたはこの十五年、己が祖国でしたことに向き合わずに来た!

 フォンジーの苦労を見ようともしなかった!

 あなたは子供の頃にフォンジーに可愛がって貰った恩を忘れて、フォンジーが苦しんでいるときにこの国でお気楽に暮らしていたのよ!

 あなたがフォンジーのことを少しでも気にかけていれば、彼は十五年も不名誉な噂や誹謗中傷に苦しむことはなかったのよ!!」


どう? 言い返せないでしょう?


今度こそ生意気なエミリーの鼻っ柱を完全に粉砕し、彼女の心を折ってやったわ!


さあ、泣きなさい。泣いて自分のしでかしたことを悔やみなさい。


「言いたいことはそれだけですか?」


しかしエミリーは泣かなかった。それどこらか凛とした表情で真っ直ぐに前を向いている。


「あなたにはフォンジーに対する罪悪感はないの?」


「ありますよ。

 いいえありましたというべきからしら?

 この国に来てからずっと、十五年前の事件に蓋をして生きてきました。

 ザロモン侯爵家のこともなるべく耳に入れないようにしてきた。

 ですが最近、祖国から来たお客様からフォンジー様のお話を聞いて、彼が不名誉な噂で苦しんでいることを知りました。

 その時は罪悪感でどうにかなってしまいそうでした。

 いても立ってもいられず、無理やり休暇を取り、祖国に帰りました。

 友人に協力してもらい彼の人柄を証明し、彼に対する不名誉な噂を払拭したのです」


「だから何よ!

 十五年も経過してからそんなことされたって、フォンジーはあなたのことを許さないわよ!」


「いいえ帰国したとき、十五年振りにフォンジー様に再会しましたが、彼はあっさりとわたくしを許してくださいました」


「くっ……!

 フォンジーがあなたを許しても、ザロモン侯爵夫人や子どもたちがあなたを許さないわ!」


「ザロモン侯爵夫人も子供たちも、簡単に許してくれましたよ」


フォンジーもザロモン侯爵夫人もなんてお人好しなのかしら!


「ですから私の弱点をつき、有利に取引をしようと企ててても無駄です」


エミリーは毅然とした態度でそう言った。


「くっ……!」


こんなはずじゃなかった……!


この女の店と独占契約を結んで、自国に商品を持ち帰り大儲けするはずだった……!


「もうお話することもないでしょう?

 お引き取りください、シーラッハ公爵夫人。

 着替えがないのでしたら靴とドレスをお貸ししますよ。

 もし乗船券が買えなくて祖国に帰れないならおっしゃってください。

 私がいくらかお貸ししますわ。

 お貸ししたお金は後日シーラッハ公爵宛に請求いたします。

 シーラッハ公爵夫人にお金を返す宛があるとは思えませんから」


エミリーはわたくしを蔑むような目で見ている。


「誰があなたになんか世話になるものですか!

 着替えもあるし、帰りの乗船券も持っているわ!

 馬鹿にしないで!!」


わたくしはそう吐き捨てて、ガゼボをあとにした。


本当は着替えなんか持ってない。


しかし商品の買い付けに使うはずだったお金が手元にある。


このお金があれば着替えを買い、良い宿に泊まれる。お腹いっぱいご飯を食べられるわ。


このときわたくしは、服屋で試着している間に全財産をすられるなんて想像もしていなかった。





☆☆☆☆☆☆




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