第3話 宿屋でのハプニング
「ユウ様ー! お夜食を届けにきました!」
宿屋に与えられた一室で着替えようとしていたら、扉がバーンと開いてターシャさんが現れた。手に持ったバスケットには、バゲットのサンドイッチがのぞいている。
僕はあわてて脱ぎかけていた上着を着直す。えっちなことしてるときじゃなくてよかった。
「タ、ターシャさん。開けるときはノックして!」
この世界の人たちは、あんまりプライバシーという概念がない。知り合いの家に勝手に入っておすそ分けの野菜を置いていったりする。日本の田舎みたいだな。
「今日は、親方が都でレシピを教えてもらってきた、パストラミサンドにしました!」
ターシャさんがテーブルにランチョンマットを広げて、サンドイッチを並べてくれる。
「ユウ様の故郷の味だよ! 食べてみて」
パストラミサンドなんて洒落た食べ物は口にしたことがないんだけど、ターシャさんが僕のためにマレビト料理を調べて作ってくれた、そのことが嬉しい。
僕は、燻製肉のサンドイッチを頬張った。香辛料が効いていておいしい。胡椒よりは山椒に似た味だ。
味はどうかと見つめてくるターシャさんに、僕は「おいしいよ」と伝えた。途端に、彼女はぴょんぴょん飛び上がって喜ぶ。こらこら、下の階から苦情がきちゃうよ。
僕がパストラミサンドに舌鼓を打っていると、「火事だ!」という声が聞こえた。おいおい、この世界、火事多すぎるぞ!?
ターシャさんと一緒に廊下へ出ると、階段側から煙が流れてきた。
宿屋に着いたときに避難経路を確認したけれど、この宿屋、階段は一カ所だけで非常階段がないのだ。その一カ所が火元付近で使えず、避難シューターも縄ばしごもない。どうすれば……。
「ユウ様、窓から飛び降りましょう!」
ターシャさんが部屋に引き返して窓を開け、布団を引きずって外に投げ落とした。めちゃくちゃ迷いなく行動してるけど、こっちの世界の人ってみんな「火事が起こったら窓から飛び降りて逃げる」の? まあ、どの建物もせいぜい二階までだから、それでも問題ないのだろうけれど。
窓から顔を出すと、他の部屋の客たちがまとめた荷物を先に投げ落とし、それから自分も飛び降りだした。しかも着地してすぐゴロゴロと転がって衝撃を逃がしているんだが、この人たち、なんでこんなに手慣れてるんだ?
「おーい、あんたらも早く飛び降りろ」
「建物を壊して消火するぞ」
先に降りた人たちが僕らに向かって叫ぶ。
この世界の消火方法は江戸の火消しと同じで、基本は周りの建物を壊して延焼を防ぐ「破壊消火」なのか。江戸の町は火事が頻発していたから、スクラップアンドビルドが日常だったと聞いたことがある。
そうは言っても、さっきの煙の様子だとまだ初期消火は可能かもしれない。
現代人の僕にとっては、ボヤ程度で建物を破壊するのは抵抗がある。だって、宿屋のご主人――マッチョ店長のお兄さん、何もかも失っちゃうことになるんでしょ?
身一つでこっちの世界に来ちゃった僕のために、タオルや洗面道具、パジャマに着替えといろんなものを揃えてくれて、「他に必要なものがあったら言ってくれ。いつまででも居ていいからな」と言ってくれたやさしいご主人に、そんな目に遭って欲しくない。
「ターシャさん、先に逃げてて!」
僕はターシャさんの肩を押し、窓枠にのぼるよう促した。下にいる人たちが布団の四隅を持って「いいぞ、飛び降りろ!」と合図してくれる。
「でも、ユウ様は!」
「初期消火してから降りる。大丈夫、僕は防火管理者だから」
そう言って僕はターシャさんに背を向け、廊下の方へ走った。ちょっとだけ「よしキマッた! 僕かっこいいかも!?」と思いながら。
テーブルに置いてあったランチョンマットを僕は通り際に手にして、マスク代わりに鼻と口を覆い頭の後ろで結んだ。
灰色の煙が流れてくる廊下を、姿勢を低くして進む。
火元は階段のすぐ前の部屋だった。扉は開け放たれていて、ご丁寧に杭のようなものがストッパー代わりになっており、中がよく見える。
「誰かいますか!」
呼びかけたが返事はなく、空き室のようだ。そして奇妙なことに、部屋の真ん中の何もないはずのところから火が出ている。小さな箱が置いてあり、それが燃えているのだ。
(これは……放火?)
大火にするつもりはないからカーテンやベッドに火を点けなかったのだろうか。おかげでまだ火は天井に達しておらず、初期消火は可能そうだった。けれども天かす火災のボヤと違って、消火器一本では足りそうもない。
「ステータス・オープン!」
残り二本あるはずの消火器を確認しようとして僕は、スキル「防火管理者」が「 Lev.2」になっていることに気づく。▷を展開すると、消火器が10本に増えているばかりか、「消火栓×1」の文字が燦然と輝いていた。
(ボヤを消したからレベルアップしたのか!)
「スキル『防火管理者』、能力『消火栓』!」
僕が叫ぶと、廊下の壁に屋内消火栓が現れた。けれども……。
(これは、一号消火栓! 二人以上でないと操作できないやつじゃないか。なんで一人でも使える二号消火栓じゃないんだよ。ここまできて消火栓が使えないなんて!)
僕が愕然としていると、後ろから声が聞こえた。
「ユウ様!」
煙の中から現れたのは、ターシャさんだった。
「ターシャさん! 逃げろって言ったのに」
「ユウ様のためなら火の中水の中です! それに何かお役に立てるんじゃないかと思って。私、度胸と体力はあるんです!」
本当なら「今すぐ逃げて」と言うべきところだけれど、まさしく渡りに船。危なくなったら部屋に戻って窓から飛び降りれば、まだ間に合う。
僕はターシャさんに向き直った。
「ありがとう、正直助かった。……今から僕の言う通りにしてくれるかな?」
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