幕間 赤

 レグたちがいる王都から南。遥か南に、大地が紅く染まった世界がある。そこにあるものは全てが赤い。岩も木も空も水も、一様に狂ってしまったかのように紅く染まる大地があるのだ。


 そこにはいくつかの村がある。


 つい1年前までは、どこにでもあるような普通の村だった。村人たちはその年の作物の実りを願い、穏やかな天気を祈る。心配事と言えば子供たちと無事に冬を越せるか、というもの。


 特別モンスターが出ることは無い。領主が特別な重税を課すこともない。


 ありふれて、どこにでもあって。それでいて、ささやかな平穏の中で生きていた村は突如として終わりを告げた。


 ある日、突然に、なんの前触れもなく、一切の予兆がなく。世界が赤に染まり結晶化した。


 世界各国は新たなる神の存在を確認し、村は世界から


 神々の権能――【神秘】には何があるかは分からない。それこそ、人を洗脳する。狂暴化させるなどは可愛いものだ。中には人を魔法の発動起点にして、世界中に神々を出現させる『ゲート』がばらまかれそうになったこともあった。


 故に、国々は『赤い大地』の周辺に兵士を派遣し村人たちが逃げ出さないように大きく囲った。だが、当然それでは村人たちは餓死するだろう。それ故に、の食料供給だけを続ける。


 半年。


 半年の間で3つの【神狩り】が『赤い大地』に消えて行った。大きな変化がなければ、そのまま放置されるということもあっただろう。村人たちも解放されただろう。


 だが恐るべきことに『赤い大地』は1日で約5m、領土を拡大しているのだ。『赤い大地』では一切の生物の育成が不可能になる。つまり、世界が紅く染まってしまったら……それは人類の絶滅を意味する。


 そんな中で、村人たちは一斉に疲弊していった。少し前までは村人たちも他の村と協力しよう……みたいなことを言っていたが、隣村の連中が食べ物を寄越せと襲撃してきたのでもう誰もそんなことは言わなくなってしまった。


「なぁ、アル。俺の鎧が汚れてると思わねェか?」

「今日も素敵な鎧だとおもいます。アベルさま」


 僕……アルは村の中心で、若い娘たちで囲ませている冒険者アベルに深く頭を下げた。


「目ェついてんのか。ほら、ここ見ろよ。汚れてんだろ」

「はい……?」


 そう言ってアベルが鎧を指さす。僕が近づいて鎧を見ると、確かに白い鎧がちょっとだけ赤く染まっていた。


「はい。じゃねえよ! このウスノロが!!」


 僕の腹が蹴られる。どん、と簡単に僕の身体が飛んで地面を何回かバウンドした。


「げほ……ッ!」


 赤い土の上に横たわって、僕は食べたばかりのものを吐き出す。それを見て、不快な顔をする女の人はいない。当たり前だ。不快な顔をする者はみんな、アベルが殺したからだ。


 僕は痛むお腹を抑えて起き上がった。


「すい、ません……」


 頭を下げる。地面に頭を押し付ける。この村でアベルに逆らえば、生きていられない。


「ごめん、なさい……」


 アベルは最初、この村を守るためにやってきたのだと言っていた。『レーヴァテイン』。そんな言葉が聞こえた。アベル以外の人たちもいた。


 けど、アベルが村から立ち去ってから3日。ボロボロになったアベルがたった1人で村に帰ってきた。僕はその時、大人たちとアベルがなんの話をしていたのか分からない。


 ただ、アベルはたった1人になってしまったということだけは分かった。


 でも、あの時のアベルは普通だった。

 おかしくなってしまったのは、『隣村の襲撃』からだろう……。


 隣村の人たちが20人くらいで食べ物を求めて、この村を襲った。それを、たった1人で。怪我だらけの状態で壊滅させたアベルが言ったのだ。「こうなりたくなけりゃ、俺に従え」と。


 村人たちも……誰も逆らえなかった。いや、いたのだ。逆らった大人はいたのだ。僕の父さんだ。でもその場で斬られた。それを見て、誰も何も言えなくなった。


「ごめんなさい……」


 その場で頭を下げ続ける僕に飽きたのか、アベルは舌打ちをした。


「チッ。面白くねェやつだな」


 アベルは僕の身体をわざとらしく踏んで、立ち去っていく。


「ほら、お前らも踏め」

「は、はーい」


 アベルが引きつれている女の人にそうやって言う。そうなると、女の人たちは従うしかない。従わなかったら、僕の父さんみたいに殺されるからだ。僕の身体を女の人たちが踏んでいく。


 でも、どこか優しい踏み方だ。アベルにバレないように、ゆっくりと踏んでいく。


「…………っ」


 その時、僕の目とアベルの連れている女の人の目があった。


(姉さん)


 もう、しばらくも家に帰っていない。姉だった。姉さんは父さんがアベルに逆らった時から、としてずっとアベルの側にいる。姉さんは僕を見て、目をつむった。そして、静かに踏んでいく。


「行こうぜ」


 去っていくアベル。それについていく村の女の人たち。普通の村人たちは、その一部始終を見ていたとしても誰も手助けなんてしてくれない。みんな死にたくないのだ。


 逆らっていった人たちは見せしめのように村の真ん中で殺される。今だって、行けば死体が残っているだろう。


 Sランクパーティー『レーヴァテイン』。

 そのリーダー、英雄アベルはどこにもいない。


 いや、最初から英雄なんていなかったんだ。


 僕は空を見上げる。いつから青空を見ていないんだろうか。


「…………ああ」


 泣きたくない。泣いたってどうにもならない。

 そんなことは知っているのに、涙が出てくる。


「……誰か」


 声を上げる。小さな、声を。


「誰か、助けて……」


 神はいない。


「助けてよぉ……」


 英雄など、いない。




 見上げた空は、赤かった。

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