17 嘘八百

「で、どうするんだい、ルシアス?」


 トロール洞から逃げ帰ったルシアスたちは、ネスカの街に戻って宿を取ると、ルシアスの部屋に集まった。


 いつもなら、ダンジョンから帰った後には祝勝会を開き、浴びるほどに酒を飲んでいるところだった。


 だがもちろん、ダンジョン攻略に失敗し、パーティメンバーを二人も失った状況で乱痴気騒ぎをするほど、ルシアスたちもいかれてはいなかった。


 ルシアス、サードリック、エイダ、ディーネの四人は、互いを非難するような視線を交わしながら、木窓を閉めきった部屋の中で、居心地の悪い沈黙に耐えている。


 サードリックが苦り切った顔で口を開く。


「どうもこうもねえや。この依頼は降りるしかねえ」


「馬鹿な! 教団に依頼を失敗したと報告しろと言うのか!?」


 顔を赤くして叫ぶルシアスに、サードリックが叫び返す。


「他にどうしようもねえだろうが!

 新入りのアンだけならまだしも、回復役のシルヴィアまでいなくなっちまった! パーティメンバーを補充しないことにはどうしようもねえ。

 だが、そのためには教団に今の状況を話す必要がある」


「そうね。パーティメンバーの斡旋は、事実上教団の専売特許のようなものだもの」


 ディーネがため息混じりに相槌を打った。


「こ、個人的なツテでもあれば……」


「んなもんあるかっ」


 食い下がるルシアスに、サードリックが冷たく言い放つ。


 高ランクの勇者パーティは、街から街へと渡り歩く。

 基本的には常に見知らぬ街にいるわけで、「個人的なツテ」なんてものがそうそうあるはずもない。

 ただでさえ、魔物や魔王軍、人間の盗賊などによって各街は分断され、人間側は大きな領域国家を持てないでいるのだ。

 分断された人間たちを結ぶか細い糸は、他でもない、勇者を擁する煌めきの教団ただひとつなのである。


 だが、ルシアスはしつこく食い下がる。


「なんとか自力でパーティメンバーを見つけられないかものなのか? 街の酒場で探すとか……」


「無理だ」


「ど、どうしてだ!?」


「教団はべつに、不当な斡旋料を取ってるわけでもねえ。むしろ、最低限の必要経費しか請求しねえことはよく知られてる。

 そうである以上、教団の斡旋をそこまでして避けようとしてる時点で、こっちに何か後ろ暗い事情があるんじゃねえかと勘ぐられる。

 ひょっとしたら、教団に通報されるかもしれねえな」


 このご時世、勇者を騙る詐欺師は枚挙にいとまがないほどだ。

 そのせいもあって、メンバーの斡旋のような重要事項は、教団の仲介を経るのが一般的だ。

 斡旋される側にとっても、教団が仲介してくれるパーティのほうが安心だ。もめごとが起きた時にも、教団に仲裁を頼みやすい。


「まして、あたしらが必要としてんのは新たな回復役だ。

 僧侶は基本的に教団が育成してる。はぐれの僧侶もいないわけじゃないが、何らかの法を犯したような連中が大半だ。

 あたしは嫌だよ、盗賊まがいの連中をパーティに入れるなんてのは」


 シルヴィアを見捨てた件は棚に上げ、エイダが顔をしかめてそう言った。

 もちろん、この場に「おまえたちのやってることは盗賊まがいではないのか?」と指摘するようなまともな人間などいるはずもない。


 エイダの言葉に、サードリックがうなずいた。


「どっちにせよ、教団は各パーティの編成を把握してるんだ。

 仮にどっかからメンバーを見つけてトロール洞を攻略できたにせよ、報酬を受け取る段階でこっちのメンバーが変わってることは絶対にバレる」


 パーティ内でのもめごとを防止するために、報酬はパーティ単位ではなく、パーティメンバーに個別に支払われることになっている。

 その時には、本人確認をされるはずだ。


 本人確認は、顔写真で行なわれている。

 今ではほとんどの街で失われた乾板写真の技術だが、煌めきの教団はその技術をかろうじて維持していた。

 勇者とそのパーティメンバーは、教団への登録時に顔写真を撮影される。

 ミミックスライムの特殊なゼラチン質を利用した乾板写真は、粗い画質ではあるものの、本人確認には十分だ。


 勇者パーティには大きな権限が与えられ、各地でさまざまな便宜が図られる。

 なりすましは勇者の――ひいては教団の信用にも関わってくる。

 厳密な本人確認がなされるのはそのためだ。


 もっとも、写真による確認にも穴はある。


「だ、誰か適当な奴を金で雇って、報酬の受け取りの時だけ誤魔化すとか……

 写真だけなら、人相がたいたい合ってる奴を探せば言い訳できる。旅のあいだに人相が変わった――そんなの、よくあることだろう?」


 ルシアスの指摘した通り、パーティメンバーの人相が教団への登録時から大きく変わるのはよくあることだ。

 登録時には、理想に燃えて意気込みつつも、どこか甘さの抜けない顔だった青年が、現実を見るにつれてやさぐれたり、逆に引き締まった顔になったりする。

 魔物や魔王軍との戦いで、治すことのできない傷を負い、元の顔が判別できなくなるようなことも珍しくない。

 人相を変えるために、あるいは別人になりすますために、わざと顔を焼くような輩ももちろんいる。


 乾板写真の撮影機材は、一部の大きな支部にしか置かれていない。

 だから、勇者たちの写真を定期的に撮影し直すのは現実的ではないのだ。


 いや、本当はできないことでもないのだが、勇者たちからすれば、写真の更新は、自分たちの身元を疑う行為としか受け取れない。

 定期的に大きな街の支部に立ち寄る義務を課せられるのは勇者としての活動に差し障る――そんな、半分は事実で半分は建前の理由を付けて、勇者たちは教団による身元確認強化には抵抗している。


 教団は勇者に対して大きな力を持つものの、最前線に立つ勇者たちにそっぽを向かれては、魔王軍との戦いが円滑に進まなくなってしまう。

 かといって、教団としては、勇者が本人であることを周囲に証明する必要があるし、勇者たち自身にとっても、自分たちになりすます偽物の排除は重要だ。


 そんな、教団と勇者たちの権力闘争の結果として、登録時の写真撮影と、依頼達成時の本人確認が制度化された。


 ルシアスの言った、勇者パーティが人を雇ってメンバーに偽装させるという方法は、「煌めきの神に選ばれし勇者がそんなことをするはずがない」という性善説によって、あるはずのないこととされている。


 だが、苦労して偽装したとしても、勇者が得られる旨みはそれほどない。


 サードリックが、呆れた口調でルシアスに言う。


「これから先、報酬をもらうたびにそれをやんのか?

 金で雇ったような奴なんだ。こっちの足元を見てふっかけてくるに決まってる。そんなことを頼む時点で、うちのパーティには秘密がありますって言ってるようなもんだからな。

 しかも、俺たちが街を去った後まで、そいつが口を噤んでるとも思えねえ。俺たちがいなくなった後で、教団に俺たちの情報を売ろうとするこったろう」


「な、なら……」


 ルシアスは、何かを言いかけ、呑み込んだ。


 ――報酬を受け取らせた後に、人目につかないところで始末してしまえばいい。キリクやアンをそうしたように――


 さしものルシアスも、そんなことを口に出すのははばかられた。

 もちろん、そんなことを思いつく時点で、勇者としての資質に問題があることは言うまでもないのだが。


 サードリックは言葉を切って腕組みし、ルシアスの決断を黙って待つ。

 エイダは、興味なさそうに自分の爪を眺めている。

 ディーネは、悩むルシアスの横顔を、どんな結論にも従うという顔で見つめていたが、ルシアスがそれに気づく様子はない。


 ルシアスは、たっぷり数分はためらってから言った。


「……くっ。わかった。教団には報告しよう」


 ルシアスがようやく折れた。


「だな。そうするしかねえ。

 問題は、どう報告するか、だ」


「ふん、新入りがドジを踏んで、回復役を巻き込んで死んじまった。それでいいじゃないかい?」


「だが、そんな報告をすれば、こちらの実力を疑われる」


「そいつはこの際我慢するしかねえな。

 ただでさえ、俺たちは直前にキリクを除名してる。教団にはパーティの金に手をつけたってことにしてあるが、そのすぐ後の依頼でメンバーを二人も失っちまった。

 だが、俺たちの実力が不足してるんじゃねえかと疑われるくらいのほうが安全かもしれねえぞ?」


 サードリックの言葉に、ルシアスが首を傾げて聞いた。


「どういうことだ?」


「そうじゃねえと、俺たちが故意にメンバーを使い潰してるんじゃねえかと疑われるおそれがあるんだよ。

 ダンジョン攻略の報酬を山分けできるよう、攻略後にメンバーを『間引いた』んじゃないか、なんてな」


「そ、そうか……。その可能性があるな。まさか、やってもないことで疑われるとは……」


 そんなことは考えてもみなかったルシアスが、本心から心外だという口調でそうこぼす。


 ディーネがため息をついて口を開く。


「際どいところよね。立て続けに、というのはまずかったわ」


「しゃあねえだろ、ディーネ。まさかトロールどもがあんなに手強いとは思わなかったんだから」


 サードリックがそう言って肩をすくめる。


「ま、シルヴィアが死んでくれたのはよかったかもな。あのままじゃ、罪の意識に耐えかねて、俺たちの秘密を暴露しかねなかった。

 代わりを見つけるのが大変ではあるが……」


「あら? サードリックはあの子に執心してると思ってたけれど」


「ふん、ただでヤレるんならおいしいとは思ってたけどよ。あいつ、夜寝る時はドアにきっちり鍵をかけて、『邪心避け』の結界まで張ってやがる。どうせ、奴の入れ知恵なんだろうがな」


 「邪心避け」は、よこしまな意図を持つ者の接近を阻む結界魔法だ。

 サードリックが邪心を持って夜這いをかけようとすれば、結界魔法が発動してシルヴィアを起こし、さらに、サードリックのステータスに大きな弱体効果デバフをかける。

 このデバフは、邪心を持った侵入者のステータスを、術者のステータス以下にまで押し下げるという強力なものだ。

 つまり、サードリックが力づくでシルヴィアを押し倒そうとしても、シルヴィアは十分に対抗できる。

 なお、この術は魔物相手には効果がない。


 苦々しく言ったサードリックに、エイダが小さく吹き出した。


「ぷっ……見透かされてんじゃないかい」


「うるせえ。てめえこそ、趣味の少年漁りはこの街では控えろよ? 今悪目立ちするのは得策じゃねえ」


 サードリックの逆襲に、エイダは顔をしかめて舌打ちする。


「ちっ。なんだってあたしが……」


「てめえはむしゃくしゃするとすぐにあの癖が出やがるからな。今回だけは控えてくれ。マジでな」


「……しょうがないね」


 エイダが、不満顔ながらも引き下がる。

 エイダは、戦闘狂で猟色家、人を傷つけることを喜ぶ嗜虐性癖の持ち主だが、現実的な計算はできるのだ。


 エイダに代わり、今度はディーネが口を開く。


「それで、どんな話に仕立てるつもり?」


 サードリックが不敵に笑って言う。


「まあ任せとけ。お涙ちょうだいの英雄譚に仕立て上げてやるからよ」







「そうですか……。まさかアントワーヌが」


 沈痛な表情の「暁の星」から一部始終を聞き、教団の支部長がそう言った。

 白髪と同じ色の長い眉が、初老の支部長の伏せられた目を半ば隠す。


「立派な最期でした。俺たちを逃がすために最後まで踏みとどまり……MPだってもうなかったっていうのに。

 くそっ! どうして俺は無力なんだ! もっと俺に力があれば、大切な仲間を失うこともなかったはずだ……!」


 ルシアスは、目に涙すら浮かべ、手のひらに爪が食い込むどに拳を握りしめながら、情感たっぷりにそう叫ぶ。


 サードリックの演技指導を受けて、「仲間を失った悲運の若き勇者」を演じ始めたルシアスだったが、いざ演じてみると、自然に心の内側から「仲間を失った悲痛な気持ち」がこみ上げてくるような気がした。

 演技だったはずの言葉を口にするうちに、それが本当にあったことのように思えてくる。


 自己憐憫に浸り、自分を責め続ける若き勇者に、支部長が優しく声をかける。


「勇者ルシアスよ。それほどに自分を責める必要はありません」


「しかしっ!」


「よくあることなのです。魔王軍との熾烈な戦いで、パーティメンバーが全員無事で済む保証などどこにもありません」


「だが、俺はあなたから預かったアントワーヌを……」


「もう何もおっしゃるな。勇者パーティに加わった以上、彼女にも覚悟があったことでしょう。

 しかし、最後にひとつだけお聞きしたい。

 彼女は……アントワーヌは、立派にお役に立てたでしょうか?」


 支部長が、ルシアスにすがるような視線を投げかけた。

 アンの悲運を受け止めかね、せめて勇者から納得のいく言葉をかけられたい――

 白い髪と皺深い肌を持つ老人には、若い人の死をただの戦力の損耗として割り切るだけの力は、もはや残っていないのだろう。


 ルシアスは、哀れな老人の視線を真っ向から受け止めると、首を力強く縦に振る。


「もちろんです。彼女がいなければ、俺たちは生きてここにはいなかったでしょう」


「……そうですか」


 支部長が顔を伏せた。

 その肩が、嗚咽を堪えかねてわずかに震える。

 支部長は、目頭を強く揉むと、赤くなった目をルシアスたちに向けた。


「それでは、お困りでしょうな。アントワーヌばかりか、僧侶までいなくなっては……。

 まさか、トロール洞がそこまで危険なダンジョンになっていようとは……」


 サードリックが針小棒大に言い立てたトロール洞の危険さを、支部長はすっかり信じ込んでいた。

 どうやって新しいメンバーの斡旋のことを切り出そうかと思っていたルシアスたちは、支部長の方から切り出してくれたことにほくそ笑む。


「しかし、今この街にいる者で、あなたがたのお役に立てそうな者となると……」


 支部長が、記憶をたぐるように視線を宙へさまよわせる。


 その時だった。


 ノックすらなく、いきなり支部長室のドアが開かれた。


 支部長が、弾かれたように戸口を見る。


「誰だ! 今は勇者殿との接見中だぞ!」


 支部長が、戸口に向けて叱責の言葉を投げかける。


 一方、ルシアスたちは、目を見開き、身体を硬直させていた。


 いきなりドアを開いたのは、ルシアスたちには見慣れすぎた人物だった。


 垢抜けない僧衣を身につけた、まだ十代の女僧侶。

 サイズは合っているはずなのにどこかぶかっとした印象を与える僧衣は、胸元と腰元が膨らんで、男性の庇護欲を――あるいは嗜虐心を刺激する。

 長い金髪はぼろぼろにほつれていたが、碧の目には、強すぎるほどに強い光が宿っていた。


 その光の強さを見て、ルシアスたちはヤバいと直感した。



「――真実を、お話しします」



 静かにそう告げたシルヴィアに――



 ルシアスが、両手を広げて躍り掛かった。

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