岩鉄山②

茜色の光に照らされた村は、ゴフェル村の様なワラ葺き屋根の泥壁の家では無く、削り取られた石で組まれた頑強そうな家々で、その側には採掘で使うであろうスコップやツルハシ、大振りのハンマーや一輪の手押し車が無造作に置かれていた。

仕事を終えた男達の笑い声が聞こえてくる。

そんな男達の1人が仲間達と談笑していると後ろから声をかけられた。

振り返ると10代半ばの少年がいた。


「すみません。ちょっといいですか?」


男は構わんよと返答する。


「最近、ゴフェル村からこちらの村に逃げてきた人はいませんでしたか?」


少年は真剣な、それでいてとても不安そうな表情で訪ねてきた。

男は首を少し捻り、ゴフェル村?と曖昧に返事をする。

数瞬の後、男は思い出した様にああ!あれかと声を出した。


「いるんですか!!逃げてきた人が!?」


少年は凄い勢いで詰め寄る。

男は面を食いながらその返答をしようとした時、また別の所から声がかかった。


「…ノア?」


少年と2人してそちらを見る。

するとそこには件のゴフェル村から来た人である少女が立っていた。


「………セパ?」

「…ッ!?」


少女は少年に駆け足で近づくと少年を抱きしめる。

瞳には涙が溜まっていた。

少年は震える手で少女の背中に手を回す。


「ノア…ノアか!?無事じゃったか!?」

「じいちゃん…」


さらに、そこへ現れたのは白髪頭の老人であった。

老人も少年の側に急いで近づく。

少年は視線を下に落とす。

腕の中で震える少女を抱きしめ返すと大粒の涙を流して泣き始めた。


「よかった…よがっだぁぁ……」


老人はそんな2人を抱き寄せた。

男達が見ている側で、少年と少女の泣く声は陽が沈むまで止まなかった。



居間の中心の炉からパチパチと火の粉が散る。

温められた鉄鍋の中からおたまでスープを掬い、皿に注ぐ。


「はい、ノア」

「ありがとう」


セパからスープを受け取り、ノアは匙でスープを掬うと何度か息を吹きかけ、口に運んだ。

すりつぶしたえんどう豆を主体にベーコンの塩味とハーブの風味が口の中に広がる。

オーツ麦の黒いパンをスープに付けて食べる。

長時間の移動で腹をすかしていたノアはあっという間に食べ終えた。


「…そうか。バトーは」

「…うん。奴らにやられて、死んだ」


食後、ノアの向かい側に座ったゴフェル村の村長のダズがバトーの顛末を聞いた。

深いため息がダズの口から漏れる。

重い重い沈黙が降りる。

その静寂をセパが打ち切った。


「…でも、あんたは生きててくれた」

「セパ…」

「アタシはそれが嬉しいよ」

「そうじゃな…よく生きていてくれたよ、ノア」

「……」


2人は微笑んで、ノアを見る。

ノアはそんな2人の言葉に、泣いてしまいそうになりながらもグッと堪え、聞きたい事を聞いた。


「…助かったのは2人だけなの?」

「いや、トムもワシらと逃げ延びる事ができてな。今、ワシらとは別行動で港町に向かっておる」

「トムさん…生きてたんだ!よかった…でも、なんで港町に?」

「……ノアよ。

王都が今、どうなっているか知っておるか?」

「…化け物達に落とされたんでしょ」

「!知っておったのか?」

「…………ここに来た時、そんな事を話してる人がいたんだ」


ノアは視線を逸らしながら答える。

事前にラナンから聞いていた…なんて、本当の事を言う訳にはいかない。

嘘をついた心が少し痛んだ。


「そうか…なら、話は早い。ワシらは最初、王都に奴らの事を伝え、兵士を派遣してもらうつもりじゃった…が、ワシらとは別で王都から逃げて来た者がいてな。その者から王都が奴らの手によって陥落した事を知らされたんだ。…もはや怪物達に立ち向かう術はない。王都無き今、この国に安息の場所は無い。ならば、海を渡り、他国に避難しようと考えたんだよ」

「海を…」

「その為に、トムさんにはその人と一緒に先に港町へ行って船を確保してもらってるって訳よ」

「この村の人達は?逃げるつもりはないの?」

「…怪物の事を話し、何度も説得は試みたんじゃがな…もし仮にそんな奴らがいたとしても自分達は負けはしない。ハンマーで叩きのめしてやると…笑って、相手にされんかった」

「そんな……!」

「…仕方ないわよ。実際見てないと信じられないもの。あんなの」

「もう、彼らは聞く耳は持っておらんよ。ホラ吹きと思われておるかも知れんな」

「……ッ」


その言葉にノアは歯噛みする。

どうにか助けたいと思う。

だが、信じてもらえない以上どうする事もできない。

自分の無力さが悔しかった。


「…じゃが、それでも何人かはワシらの話を信じてくれていてな」

「! それじゃあ…」

「ああ、明後日にはその人達も一緒に出るつもりじゃよ」


ダズの言葉にノアは少しだけ、ホッとした。

全員では無いにしても逃げて生き延びる可能性がある事が嬉しかった。


「さて…もう、今日は遅い。ノアも歩きっぱなしで疲れただろう。しっかり休んどきなさい。明後日からは山道と船の旅が待っとるでな」

「そうよ。明日は荷造り手伝ってもらうからね。しっかり寝ときなさいよ?」

「……」


2人はそう言って笑い合う。

だが、それとは対照的にノアの表情と内情は曇っていく。

ダズとセパの2人はノアが他国に逃げる前提として話を進めている。

だが、ノアに逃げるという選択肢は無かった。

奴らを、化け物達を、アッシュ達を倒す事をノアは誓っていた。

そうして、硬い表情を浮かべたまま動かないノアを心配してか、セパが声をかける。


「…ノア?どうしたの?」

「…ごめん。2人とも。僕、船には乗らない」


ノアの言葉にダズとセパは呆気に取られた顔をする。

ノアの予想外の言葉に理解が追いついていないといった様子だった。


「ノ、ノア?何、言ってるの?冗談のつもり?」

「違うよ。港町までは僕も一緒に行く。でも、船に乗るつもりは無い」

「な、なんでよ!?あんた、自分が何を言っているのか分かってるの!?」

「分かってるよ。この国に残る。そう言ってるんだ」

「ッ!あんた…」

「ノア」


激昂しかけたセパを遮る様に、ダズが割って話しかけた。

ダズはノアを真っ直ぐに見て問いかける。


「なぜだノア?何故、ワシらと来ないんだ?」

「決まってるよ。奴らが…化け物達がいるからだ。アイツを1匹残らず殺す。それまでここを離れるつもりなんてない」

「バカ言わないで!忘れたの?アイツらが村を襲った時に何があったか!」

「忘れる訳無いだろ!アイツらは団長を殺した。ココさんも…兄貴もだ!僕の目の前で串刺しにしたんだ!絶対許せない…アイツらを置いて自分だけ逃げるなんて事、出来るはずない!?」

「だから敵討ちしようっていうの?そんな事して死んでいった人達が喜ぶと思ってるの?」

「なら、奴らのいい様にやられてもいいっていうの?奴らの蹂躙を受け入れるっていうの?そんなの嫌だ!絶対に嫌だ!そんな事させてたまるか!」

「戦ってもあんたなんかすぐ死んじゃうわよ!!」

「死んでもいいさ!奴らを全部殺せるなら!」


立ち上がり、激しく口論する中でノアの放った言葉の後、パンッ…と乾いた音が鳴った。

ノアの左頬にヒリヒリとした痛みが走る。

セパの右手から繰り出された平手打ちがノアの頬に当たったのだ。


「…っ、何するんだよ!」


怒りのままにセパにくってかかろうとしたノアだったが、セパの顔を見てたじろぐ。

セパは涙を溜めた目で、ノアを睨みつけていた。


「…あんたは分かってない…何も分かってない!」


セパはそう言って、ノアに背を向けるとドアから外に飛び出していった。


「…何だよ。何が悪いっていうんだよ…」


そう言ってノアは俯く。

立ち尽くしているノアにダズは憂いを帯びた目を向けた。


「…ノア」

「…」

「とりあえず、座りなさい」


そう言ってダズは手を椅子の方に差し出す。

言われるがままに、ノアは椅子に座り込む。

4脚の木椅子がぎしりと音を立てた。


「…許せんのだな。化け物達の事が」

「……うん」

「そうか…うん、そうだろうな…お前は優しい子だ。お前は村を愛しておった。故に許せんのだな」

「……」

「…ノアよ。ここに来る途中で吊り橋は見たか?」

「え?……あっ、うん」


ダズの問いにノアは一瞬、呆けたがすぐに思い出した。

飛び越えた崖と、不自然に切り落とされた吊り橋を。


「…あの橋はな、ガーダが落としたんだ。ワシらを逃す為にな」

「ガーダが!?」

「ああ。あの時…ワシとセパを含めた者らは教会へ逃げたが、教会には既に奴らの手が回っておった。そこから森の中に入り、逃げ続けたが…疲労で足が鈍り、奴らに追いつかれてしまった。時間を稼ぐ為にガーダと他の男達が立ち向かい、その間にワシらは橋に向かった」

「…」

「背後で悲鳴が幾つも聞こえ、消えていった。

逃げるワシらの真横には奴らの黒棒が何度も何度も飛んできた。

生きた心地がしなかったよ。

橋についた時にはワシとトムとセパだけになっておった。橋を渡った後、セパはガーダを待ちたいと言った。ワシとトムは反対したがほんの少しだけと、涙ながらの懇願に…ワシらは待った」 


ダズは辛く苦しい表情を浮かべる。


「…その後、ガーダは来た。ボロボロになって橋までやって来た。セパはすぐにガーダの元へ向かおうとしたが、ガーダがそれを止めた。そして、セパに向かって笑って言ったんだ…『生きてくれ』とな」

「…!」


ガーダの言葉がバトーの言葉と重なる。

バトーも笑っていた。

死に際にノアに向かって、笑っていた。

大切な者に笑顔を見せていた。


「ガーダは手に持っていた斧でロープを切った。ワシらは哭き叫ぶセパを必死で止めた。橋が落ちた後、ガーダ…ガーダはな…………追って来た奴等に刺され、崖下に…落ちた」


ダズの声は震えていた。

目に涙が溜まっていた。

鼻頭を抑え、一呼吸をつく。

そして、ノアをじっと見つめた。


「ノアよ。セパも同じだ。奴らを許す事などできてはいない。出来るはずもないのだ。だが…それでもあの子はガーダの言葉を守ろうとしておる。愛する者が残した最後の言葉を……。ノアよ。バトーはお前に何を言っておった?」

「…生きて……幸せになってっ…て……言ってた」

「そうか…」


炉からパチリと火花が散る。

2人の間をゆらゆら揺れて、消えていく。


「ノア…いつだってそうじゃよ。死にゆく者が望む物は復讐などではない。戦いなどではない。愛する者が生きること、そして幸福になること。ただそれだけなんだよ」


ダズはそう言ってノアに語りかける。

ノアの表情が歪む。

感情がうねり、かき混ざる。

幸せになってほしい。

復讐なんてしてほしくない。

バトーなら、兄貴ならそれを望むとノアの理性はわかっている。

だが、本能は納得できない。

相反する思いがノアの情緒に薪をくべる。


「だから…だからって!何もするなって言うの?アイツをほっておけって言うの?自分の命惜しさに、戦う事を放棄するの?そんなのおかしいよ!」

「…」

「僕には力があるんだ。アイツらを倒せる力があるんだ!アイツらを殺せるのは僕だけなんだ!僕がやらなきゃいけないんだよ!戦わなきゃいけないんだよ!だから!」

「それでも…生きてほしいんだよ」

「…!」

「バトーだけで無い。ガーダだけで無い。今、こうして生きているワシも…セパもお前に生きていてほしいんだよ」

「そんなの…勝手だよ…」

「そうじゃな。じゃが、そんな自分勝手になる程に…お前と一緒にいたいんだよ」

「…僕はアイツらが憎いよ。殺してやりたいよ。それでも言うの?」

「ああ…」

「…奴らが生きている間に幸福になんて、なれる訳無いよ」

「今は無理かもしれん。じゃが、いつの日か必ず、心から笑える時は来る。ワシらがそうさせる。約束するよ、ノア」


ダズの言葉にノアは何も言えなくなる。

ノアの心は揺らいでいた。

奴らと戦い、復讐を遂げる事こそ生き甲斐になろうとしていた。

それこそが今、自分が生きている理由であると思っていた。

だが、ダズとセパは真っ向から否定する。

大事なのは生きる事。

死んだ者達の言葉を守り、生き延びる事こそが大切なんだとはっきりとノアにつきつける。

どちらの思いで動けば良いのかノアには分からなくなっていた。


「……後、2日ある。その間に考えてみなさい」


ダズはそう言って、立ち上がると飛び出して行ったセパを探しに外へ出て行った。

ノアは、それから少し遅れて寝室へ向かった。

藁のマットレスと毛皮に包まる。

先ほどの会話が頭の中を反芻する。

その夜、眠る事はできなかった。

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