第11話 いるさ、ここにひとりなっ! 兄弟の絆

夜も更けた頃、明式部あけのしきぶから中務省に書類を届けてほしいとの打診があった。お嬢様たちは内裏の中とは言っても暗くなってから部屋の外に出たがらない。


「私が行きます」


届け物を終え、渡り廊下に差し掛かったときだった。


(あっ、この和歌!)


行く手にある長い廊下の奥から、例の和歌が響いてくる。忠子は足を速めてあちこちに光が届かない闇のわだかまる廊下を進んでいった。


池を眺められる外廊下に、華やかな紅の衣裳に身を包んだ公達が立っていた。

あまり見ないほどのド派手な赤だしだらしなく着崩してはいるが、不思議と品がある。扇を片手に例の歌をそらんじる声は男性的なテノールだ。


ずっと前から気づいていたが今注意を向けたという仕草でこちらを向き、ニヤッとニヒルと言うには親しみやすすぎる笑みで忠子を迎える。


(ひいいいいっ! またイケメン出たっ!)


目尻が下がりちょっとにやけた感じは好みが分かれそうだが、野性味にあふれる魅力的な雰囲気だった。男性ファンが多いキャラかもしれない。


乙女ゲームで言えば「時間帯:夜 書類を届けてほしいという選択肢で『私が行きます』を選ぶと出現。とか、そんな感じの出会いだった。


年齢は二十歳かそれを少し超えたところ、背丈は長身の理知と変わらないが一回り大きく見える逞しげな身体つきをしている。

武門の人物かはたまた落ちぶれ貴族のならず者かとも思うが仕草や着こなしはあくまでも洗練されていて、貴族の中でも相当高い身分には間違いなさそうだ。


「ご、ご、ご、ご機嫌よう……」

「よう、お嬢ちゃん。一人かい? 御所にも鬼が出て女が食い殺されたって話が出たばっかりじゃねえか」

「ひいっ!?」


存じ上げない話である。

忠子は涙目でガタガタ震えているが、鬼や闇が恐いからではない。壁ドンならぬ柱ドンの形で顔を近づけられ、視界がイケメンのドアップで占められたからだ。


(近い近い、近いですー!!)


「俺がその鬼だったら? 頭からバリバリ食っちまうぞ?」

「お、お、お、鬼にも歌を詠むような者がいるのですか?」


待ってましたと言わんばかりに、唇の片端が上がる。


「いるさっ、ここにひとりな!!」


自分を鬼と言った男は胸を張り拳を天に突き上げて、もう一首和歌を詠んだ。今度は「夜さえも藤の美しさを覆い隠せはしない。月は藤がある限りこの世を明るく照らすだろう」という内容のものだった。


傲慢で尊大でワイルド。恐らくはそう見せたい態度とは裏腹に繊細で細やかで、艶やかな秀句だった。


(この人が例の和歌の詠み人だ、間違いない。月は帝、藤は徳子さとこ様を指してるんだよね)


だとすれば夜は対抗勢力が投げかけた妨害工作の象徴か。

この青年が何者かは分からないが、少なくとも徳子の味方だ。強張っていた表情が緩んだのが分かったからか彼の方もニヤリと唇の端を上げて微笑む。超ドヤ顔なのは自分でも歌の出来に満足しているからだろう。


(この方、ちょっと可愛い)


「どうだ、これが鬼の歌だ」


パニック中なのは相変わらずだが、それ以上に徳子の入内をこんなに素晴らしい歌で喜んでくれる人物の存在に対する有り難さの念が上回った。


「素敵……お歌もそうだし……お心の広い方なのですね」

「は? なんだってそうなるんだ?」


突拍子もない評価を耳にして片眉を上げる表情は、やはりどこかに男の可愛らしさのようなものがある。


「だって今のお歌には帝がお妃を迎えたのを寿ことほぐだけでなく、この世の平穏すら祈る深いお気持ちが込められていたように思って」


帝を讃えるのは臣下として当然のことだが、もっと広く世の中のことを憂い国のことを考える、そんな視野の広さを感じずにはいられなかったのだ。


「月の光は帝のお心、徳子様に注がれるご寵愛。でもその広く深い愛は徳子様お一人ではなく、満月が夜を照らすのにも似て人々にもあまねくもたらされるだろう……と、そういうお歌なのでしょう?」

「ほほう……さすがはあの歌を詠むような賢しい女だけのことはあるねえ、忠子ちゃん。今のはお前さんの和歌に対する返歌として作った」

「ひえっ!? わわ、わたくしのことをご存じで!?」

「弟の妻女のお気に入りぐらい知ってる」

「はひ……と、いうことは?! 良成よしなり様っ! みみ、帝の兄君の! とととんだ失礼を!」

「俺はとっくの昔に臣籍に下ってる。そんなに畏まるなよ、寂しいじゃねえか」


源良成様。

帝とは同腹のご兄弟である。柔和で公平、御幼少のみぎりからこの方が帝になればさぞやと期待された弟君とはあまり似ず勇猛で明朗だが横暴、かつ多少短慮で粗野なお方だという話ぐらいは忠子の耳にも入っていた。


序列から言えばこの方が帝になるはずだったが、度重なる女性との醜聞や乱暴狼藉により廃嫡されたと聞いている。確かに上品とは言い難いが、聞くほど獰悪な人物にも思えない。


話に尾ひれどころか翼がついて飛んでいくのは身に染みたし、忠子は評判よりも自分の直感を信じることにした。


(こんないい方に、真実をお伝えしないなんてあり得る? いや、ない!)


「あの、わたくしではないんです! あのお歌を詠んだのは! 知らないうちに私が詠んだことになっていて、徳子様のこと悪く言う歌じゃないのは良かったんですが、あの、あの」

「あっははは! 知ってるっつうの」


必死に説明する忠子をあしらって豪快に笑う、開けっ広げな仕草のなんとお茶目でチャーミングなことか。


「だって詠んだの、俺だぜ」

「はえ?!」

「聞け」

「はい」


打って変わって静かな瞳になった良成の威厳の前に、忠子は圧倒されてしまってただ頷くしかできない。


「帝は徳子様を心底愛してる。源少将のことも知っちゃあいるけどな、時間をかけてゆっくりと自分のことを見てもらえるよう努めるとか……そういう奴なんだよ」


帝の一番近しい方の告白は、忠子の心をとても楽にした。


「はあ……良かった……。徳子様も嫁いだ以上、帝に身も心も捧げるとおっしゃっておいでです。帝がそういったお考えであれば、きっと仲睦まじく、よいご治世になります!」

「本当か!」


靄が晴れて顔を出した太陽のような笑顔が眩しい。忠子も今まさに味わった気持ちだ。


「でも……なぜ良成様のお歌が私が詠んだことに?」

「俺がそう仕向けた」

「はえ?!」

「今日はそのことで筋を通しとこうと思ってな。適当な書類を届けるように言いつけて、待ち伏せしてたんだ。お前さんの人柄なら人が嫌がる仕事を率先してやるだろうと踏んでな。大当たりだぜ」


しばらく、押し黙らずにはいられなかった。この天衣無縫な元親王がそんな手段に出るからには、訳があるに違いないのだ。


「……理由を、おうかがいしてもよろしいのでしょうか」

「俺は中立でいなけりゃならない。色々と面倒臭い事情があって、帝が想う女を妻にしたのを……右大臣の姫を妃に迎えたのを大っぴらに喜べば、あちこちに波風を立てちまう。祝いのひとつも言えない、不自由な身の上なのさ」

「そんな……」

「だからお前の名前を利用させてもらった。許せよ」


真実は、ただひたすらに切なかった。


「許すだなんて、そんな……」

「なっ?! おい、泣くなよ! なんでお前さんが泣く?」


本当に仲の良いご兄弟なのだ。それなのに、好きな人と結ばれたのを素直に祝うことも許されないなんて。


自分の振る舞いが周囲にどういった影響を与えるかを痛いほど自覚して、でもどうしても祝いたくて、弟の幸せも天皇家に生まれた者として世の中の平穏を祈る心も全てを三十一文字に込めたのに、自分の名前で発表することすら憚られる。


眼鏡越しに透明な雫をとめどなく零す忠子の華奢な肩に、大きな手が置かれる。


「泣くな。あいつは詠んだのが俺だと分かるはずだ。血を分けた兄弟だからな。もし帝が徳子様に話されるようなら、徳子様にだけは本当のことを伝えてくれ。そいつを頼みたかった」


良成の声は打って変わって優しいが、こちらの方が素でぞんざいな態度はポーズだ。同腹で年の近いご兄弟のこと、おかしな争いを生まないためにわざと為政者としてはちょっとと言われる言動を取り続けていたのかもしれない。


不意にいい匂いがする柔らかいものが頬に押し当てられた。


「あー……何か、ありがとうな。救われたよ。素直に泣けるって、お前が考えてる以上に凄いことなんだぜ」


(俺はとっくに忘れちまった)

そう言っているような、過ぎ去った遠い昔を思い起こすような目に胸が締めつけられて、新しい涙が頬を伝った。

雫が落ちるのを待たず、遠くから数名の足音と声が聞こえてくる。


「泣いてる女を放って行くのは男の風上にも置けねえが……」


良成は一人になれる身分ではない。誰かが探しに来たのだろう。見つかっては厄介だ。


「俺は戻る。それ、やるよ」

「あっ……」


忠子の手には、それはそれは上質な絹の手拭いが残されたのであった。



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読んでくれてありがとうございました!


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