チャンス

「おはよ、ゆう!」

「おはよう…」


 登校中、突然現れたりく。僕はカメラをいじりながら適当な返事をかえした。ついさっき、ここらでは見たことのない猫が通りかかったので咄嗟にカメラを構えたところだったのだ。


「ブレてるな…」

「猫…?子猫じゃん」

「子猫?」


 僕はもう一度写真を見直す。確かに、そこら辺の猫よりは体が一回りほど小さいように見える。生まれたばかりというわけでもなさそうだが、どこかの飼い猫が逃げ出したのだろうか。


「あ、おい」


 陸に背中を叩かれ、僕はカメラから視線を外す。数メートル先にはすでに校門が見えていて、門の近くには、珍しく生活指導の先生が立っていた。僕は咄嗟にカメラを隠す。


「おはようございます」

「…おはよう」


 少し睨まれた気がしたので、下駄箱まで早歩きで移動した。その後を、陸は小走りで追ってきた。


「あっぶねー。」

「はぁ…なんで、カメラ禁止なんだろう」

「不要物だからじゃねーの」

「でも、スマホは良いのに…」


 靴を履き替えながらぶつくさと文句を言う。カメラは不要物として持ち込みを禁止されているが、持ち込んでも案外バレないので、かれこれもう2年はカメラと共に登校している。

 僕はカメラをカバンにしまいながら、教室へ足を運んだ。朝練があるらしいので、陸とは途中で別れた。


 教室に入ると、2人の女子が背伸びをして黒板を消していた。僕の机は一番窓際なので、2人の後ろを通って席についた。カバンから教材を取り出し、机の中にしまう。準備を終えて一息つくと、目の前に黒板消しが差し出された。


「手伝ってよ、優くん」

「えぇ…」


 2人のうち、気の強い方が渡しにきていた。

仕方がないので黒板消しを受け取り、必死に背伸びをしている女子の横に並ぶ。僕が黒板の上の方に手を伸ばすと、彼女は小さな声でお礼を言って下の方を念入りに消し始めた。


「遥、あのさ…」


 僕の横で黒板を消していた彼女は、怪訝そうな顔をして僕を見上げた。桜井遥さくらいはるか。幼稚園から高校までずっと一緒に居る、所謂幼馴染だ。数年前、ひょんなことで喧嘩になってしまってからは、気まずさからほとんど話していなかった。


「あの…さ、遥って、猫…飼ってたよな」

「飼ってるけど…」

「さっき…猫見たんだ、子猫。キジトラ模様で…」


 遥の手が止まる。猫の話題はダメだっただろうか。僕は慌てて口を噤み、謝ろうと口を開いた。その瞬間遥の手が僕の学ランを掴み、ぐっと顔が近づいた。思わず目を逸らす。遥はじっと僕の目を見ると、小さく口を開いた。


「尻尾は」

「えっ」

「尻尾の長さは、形は?どんなだったの?」

「し、尻尾…?」

「思い出してっ!」


 想像していた以上の食いつきに思わず口籠もってしまう。目を泳がす僕を見て、遥は手を離した。


「ご、ごめん…うちの子かと思って……」

「えっ?」

「昨日の夜逃げ出して、帰ってこないの…」


 遥の顔が歪んだ。いつもの明るい遥とは明らかに違っていて、相当に落ち込んでいることが伺える。


「遥…」


 僕は、遥の手を掴んだ。

 遥と、また前のように…小学生の頃と同じように、無邪気に笑い合いたい。ずっとそう思っていた。このギクシャクとした関係を終わらせるなら、今がチャンスかもしれない。


「探そう」

「えっ…」

「放課後、一緒に探しに行こう。」


 遥は躊躇うように後ずさったが、少し考えたあと、強く頷いてくれた。それまで不信感を抱いていた遥の目は、少し穏やかになったように思えた。


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