第63話 現実

 (本来であれば、我々は今頃は日本本土は無理としても、マリアナくらいは攻略出来ていたのではないか)


 日本との戦争が始まって二年半あまりが過ぎた一九四四年六月一八日。

 日本軍を迎え撃つための最後の会議が終わり、太平洋艦隊司令部の長官室で一人になったニミッツ長官は胸中に湧きあがった想念に苦笑を漏らす。

 ひとたび矛を交えれば、それこそあっという間に捻り潰せると考えていた日本軍は、しかし自分たちの想像を遥かに超えて強大だった。


 宣戦布告が成される前に実施されたオアフ島への奇襲攻撃によって当時の太平洋艦隊は真珠湾もろとも焼き尽くされ、八隻の戦艦をはじめとした水上打撃艦艇の過半を失った。

 豪州を守るためにブリスベン沖に布陣した機動部隊はそれこそ鎧袖一触で撃滅され、北大西洋海戦では援英艦隊の基幹戦力であった三隻の空母をすべて撃沈された。

 そして昨年末、再建なった太平洋艦隊はミッドウェー島沖で日本の艦隊を迎え撃ったものの結果は無残ともいえる大敗を喫し、一二〇隻の最新鋭艦とそれに一〇万を超える最良の将兵を失った。


 中でも、未曽有の人的ダメージを被った同海戦の敗北はニミッツ長官のみならず、ルーズベルト大統領の進退問題にまでその波紋を広げた。

 ニミッツ長官が更迭されずに済んだのは、彼を太平洋艦隊司令長官に据えたのがルーズベルト大統領だったからだ。

 もし、ニミッツ長官を処分すれば、それは任命権者であるルーズベルト大統領にも類が及ぶのは必至だ。

 だから、ニミッツ長官はお咎め無しとなり、ルーズベルト大統領はミッドウェー海戦敗北の責任を死人に口なしとばかりに現場指揮官に押し付けた。

 それが奏功したのか、ルーズベルト大統領は現在もかろうじてではあるが、しかしいまだに大統領の椅子にしがみつくことに成功している。

 一方で、そのルーズベルト大統領は間近に控えた大統領選挙に心を奪われ、その実績づくりの一環として合衆国海軍に無茶な注文を突き付けてきた。


 「日本の艦隊を撃滅しろとは言わん。だが、必ず撃退せよ。そのためには多少の犠牲は許容する」


 現在、連合艦隊の主力がオアフ島に迫っている。

 放棄されたミッドウェー島をスルーした彼らは、あと一日でオアフ島をその空襲圏内に飲み込む位置にまで踏み込んでくるはずだ。

 そのオアフ島は、地獄が現出した一九四一年一二月七日から二年半あまりの間に損害を被った施設のそのほとんどを復旧させていた。

 電気や水道といったインフラは従来とは違って抗堪性にも注意が払われ、レーダー基地はその数を二倍近くに増やしている。

 また、重油の燃えカスとそれに艦艇の焼死体にまみれた真珠湾を浚渫、さらに港湾施設も開戦前と同等の機能を回復しつつある。

 飛行場ならびに付帯施設も修復と同時に拡張強化され、対空陣地もまた同様の措置がとられている。

 その飛行場にはP38やP47といった新鋭機が翼を並べ、零戦に手も足も出なかったP36やP40といった旧式機はすでにその姿を消している。

 ただ、陸軍が望んでいた要塞砲に関しては港湾施設や飛行場の復旧が優先されたこと、それに対空陣地のほうが緊急度が高いとしてその整備が緒についたばかりだった。


 復興を実感させるオアフ島の戦力と同様、太平洋艦隊の戦力もまた充実していた。

 だが、その内容は歪だった。

 空母の数は四〇隻と、日本のそれを大きく上回る。

 しかし、それらはそのいずれもが脚が遅いうえに防御力が劣弱な護衛空母だった。

 米海軍は現時点で六隻の「エセックス」級空母を擁していたが、しかしこれらのうちの半数は慣熟訓練が終わっておらず、残る半数もまた航空隊の技量が必要とされる水準に達していないことから参陣を見合わせている。


 (『エセックス』級空母の乗組員の技量が未熟。それゆえに此度の戦闘に投入しないというのは半分は本当だろう。しかし、残る半分は違う理由だろうな。おそらくは損害必至の戦いに正規空母を投入したくなかったのだろう)


 昨年末に生起したミッドウェー海戦において大小合わせて一六隻もの空母を失った米海軍は「エセックス」級空母の建造ならびに整備を特急指定とし、資材それに人材を優先的に割り振っていた。

 そのあおりを受けて「アイオワ」級戦艦の五番艦と六番艦、それに「アラスカ」級大型巡洋艦の三番艦以降が建造中止となり、さらに六万トン級戦艦に至っては完全にその計画が白紙撤回されている。

 また、護衛空母や巡洋艦といった補助艦艇も大幅に建艦計画を縮小し、そこで捻出された余力をすべて「エセックス」級空母に振り向けている。

 そのことで「エセックス」級空母の建造は加速し、年末までに合わせて十数隻が完成する見込みだった。


 (『エセックス』級空母の数が揃うまでは、護衛空母で日本軍の侵攻を食い止めねばならん。だが、防御力皆無の護衛空母が獰猛極まりない日本の機動部隊に正面から戦いを挑めば無事では済まない。少なくとも半数は失うだろう)


 理屈ではそれが分かっていても、それでも護衛空母を艦隊決戦に投入しなければならないのは、オアフ島の航空戦力だけでは日本の艦隊に対抗することが困難だからだ。

 その日本の艦隊はミッドウェー海戦で新たな兵器を投入してきた。

 それは、これまでの戦いで日本軍が多用してきた無線誘導噴進弾ではなく、推進機構を持たない爆弾だった。

 しかし、その爆弾は戦艦や空母に吸い寄せられるようにして次々に命中した。

 同海戦に参加した中で奇跡的に救助された将兵らの話によれば、それらは煙突周辺部に着弾が集中したという。

 そのことから、米海軍の情報部門ならびに技術部門は爆弾については熱あるいは赤外線シーカーを備えているものだと判断していた。


 一方で、巡洋艦や駆逐艦に関しては煙突周辺部以外に着弾したものも少なくなかったと証言する者もいた。

 しかし、これについては軽快艦艇の脚が速いこと、つまりは回避運動に伴う着弾誤差かもしくは目撃者の見間違いではないかと考えられていた。

 あるいは、証言できる将兵が多ければ、また違った結論が出ていたかもしれない。

 しかし、助かった者があまりにも少なすぎたことで当時の状況を正確に把握することは極めて困難だった。


 日本軍の新兵器については、一応の対策はすでに済ませてあった。

 簡単なことだ。

 必要に応じて洋上に燃え盛るデコイを用意すればいいだけのこと。

 熱あるいは赤外線を探知する爆弾は艦艇よりも大量に熱を発するデコイに吸い寄せられることになるだろう。


 (敵を撃退するのに十分な数の戦闘機はとりあえず用意した。また、誘導爆弾への対策も滞りなく済ませてある)


 それでもなお、ニミッツ長官の胸中にわき上がった暗雲が晴れることは無い。

 勝とうが負けようが、日本の艦隊との戦いで大勢の部下が失われることはすでに避けようがない現実だったからだ。



 第七任務部隊

 第七一任務群(F6F九六機、TBF二四機)

 護衛空母「サンガモン」「スワニー」「シェナンゴ」「サンティー」

 駆逐艦四、護衛駆逐艦四


 第七二任務群(F6F一四四機、TBF二四機)

 護衛空母「カサブランカ」「リスカム・ベイ」「アンツィオ」「コレヒドール」「ミッション・ベイ」「マニラ・ベイ」

 駆逐艦四、護衛駆逐艦四


 第七三任務群(F6F一四四機、TBF二四機)

 護衛空母「ナトマ・ベイ」「トリポリ」「ウェーク・アイランド」「ホワイト・プレーンズ」「カリニン・ベイ」「カサーン・ベイ」

 駆逐艦四、護衛駆逐艦四


 第七四任務群(F6F一四四機、TBF二四機)

 護衛空母「ファンショー・ベイ」「セント・ロー」「キトカン・ベイ」「ガンビア・ベイ」「ネヘンタ・ベイ」「ホガット・ベイ」

 駆逐艦四、護衛駆逐艦四


 第七五任務群(F6F一四四機、TBF二四機)

 護衛空母「カダシャン・ベイ」「マーカス・アイランド」「オマニー・ベイ」「ペトロフ・ベイ」「ルディヤード・ベイ」「サギノー・ベイ」

 駆逐艦四、護衛駆逐艦四


 第七六任務群(F6F一四四機、TBF二四機)

 護衛空母「サージャント・ベイ」「シャムロック・ベイ」「シップレイ・ベイ」「シットコー・ベイ」「スティーマー・ベイ」「ケープ・エスペランス」

 駆逐艦四、護衛駆逐艦四


 第七七任務群(F6F一四四機、TBF二四機)

 護衛空母「タカニス・ベイ」「セティス・ベイ」「マカッサル・ストレイト」「ウィンダム・ベイ」「サラマウア」「ホーランディア」

 駆逐艦四、護衛駆逐艦四


 第七九任務群

 戦艦「コロラド」「ニューメキシコ」「ミシシッピー」「アイダホ」「テキサス」「ニューヨーク」

 軽巡四、駆逐艦一六


 オアフ島基地航空隊

 陸軍

 P47一四四機

 P38七二機

 B24九六機

 A26三六機

 海軍

 F6F四八機(すべて夜戦仕様)

 TBF一九二機(護衛空母所属機だったものを陸上運用)

 PBY七二機

 海兵隊

 F4U九六機

 ※いずれも予備機を含まず。他に輸送機や観測機等。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る