第33話 ネタ元は秘匿

 一六もの索敵線を設定し、しかも二段索敵を実施。

 三二機にものぼる一式艦偵を投入したことで、第二航空艦隊は東洋艦隊の位置の特定に成功していた。

 しかし、それを発見したのは最も南の索敵線を受け持った機体であり、電探が東洋艦隊の反応を拾ったのはさらにその南側海面であった。


 「大盤振る舞いだと思っていた索敵だったが、どうやらそれは思い上がりだったようだ」


 二航艦司令長官の小沢中将の反省の弁に、幕僚らは小さくうなずくことしかできない。

 東洋艦隊は自分たちの予想もしないところで待ち構えていた。

 もし、あと少し索敵線の数が少なければ、あるいは一式艦偵が電探を搭載していなかったとしたら二航艦は東洋艦隊を発見できず、逆に一方的に叩かれていたかもしれなかったからだ。


 「東洋艦隊はおそらくは夜間雷撃を狙っていたのでしょう。まんまと我々の側背に回り込んだ彼らでしたが、しかしこちらが設定した索敵網の広さを甘く見ていた」


 航空甲参謀の見立てはそれほど大きく外れてはいない。

 小沢長官はそう思っている。

 東洋艦隊は二航艦の針路から、常に自分たちが発見されにくいポジションを維持し、そして夜になるのを待っていたのだろう。

 実際、二航艦はインド洋に入ってから潜水艦からのものと思しき不審電波を複数回キャッチしていた。

 自分たちの動きはかなりの程度、英軍に知られていたと考えるのが自然だ。

 ただ、東洋艦隊にとって誤算だったのは、二航艦の索敵にかける執念だった。

 手持ちの一式艦偵の実に三分の二を使い、それこそ自分たちの西側に対しては水も漏らさぬほどの索敵網を形成していたのだ。

 一六にもおよぶ索敵線の設定は、それを命じた小沢長官でさえいささかばかり過剰ではないかと感じさせるものだった。

 しかし、それでさえも実際のところはぎりぎりの数だったのだ。


 位置こそ意外だったものの、しかし距離に関しては機動部隊同士が戦う一般的なそれと言ってよかった。

 だから、攻撃隊を出すことに一切の躊躇はない。


 「ただちに第一次攻撃隊を出せ! それが終われば第二次攻撃隊も速やかに出撃させろ!

 目標を先に指示しておく。第一次攻撃隊は前衛機動部隊、第二次攻撃隊は後方の戦艦部隊を攻撃せよ。目標の選定ならびに攻撃法に関しては現場指揮官にこれを一任する」


 小沢長官の命令からほどなく七隻の空母が転舵、舳先を風上へと向ける。

 真っ先に飛行甲板を蹴って大空へと舞い上がっていったのは、接触維持あるいは前路哨戒といった任務に携わる四機の一式艦偵だった。


 続いて第一次攻撃隊が発艦を開始する。

 第一次攻撃隊は各空母から二個中隊一八機の一式艦攻と、それを護衛する一個中隊一二機の零戦の合わせて二一〇機からなる。

 一式艦攻のうち、半数は「奮龍一型」を装備し、残る半数は魚雷を搭載している。

 これらは二隻の空母に一隻の戦艦、それに二隻の巡洋艦に六隻の駆逐艦からなる敵機動部隊を攻撃する。


 第一次攻撃隊のすべての機体が発進を終えると同時に格納庫から第二次攻撃に参加する零戦と一式艦攻がエレベーターを使って飛行甲板に上げられてくる。

 第二次攻撃隊は「蒼龍」と「飛龍」からそれぞれ一式艦攻が九機、それ以外の五隻の空母からそれぞれ零戦一二機に一式艦攻一八機の合わせて一六八機からなる。

 第一次攻撃隊と違うのは零戦が腹に二五番を抱えていることだった。

 第一次攻撃隊の零戦は純然たる戦闘機として戦いに臨むが、第二次攻撃隊のそれは戦闘爆撃機として敵艦を相手どる。

 もちろん、敵戦闘機の迎撃があれば、爆弾を捨てて戦闘機として振る舞うことは言うまでもない。

 一〇八機からなる一式艦攻のほうは六三機が「奮龍一型」を搭載し、残る四五機は魚雷を装備している。


 一連の命令を出し終え、ほっと一息ついた小沢長官のもとに航空乙参謀が現れ謝罪の言葉を紡ぎつつ頭を下げる。

 索敵機の出し過ぎではないかと進言した幕僚のうちの一人だ。


 「長官、私は今回の索敵について、一式艦偵の出し過ぎではないかと申し上げましたが、そのことにつきまして謝罪いたします」


 小沢長官は微苦笑をその表情にたたえ、航空乙参謀に気にするなと声をかける。


 「正直、私もまた今回の索敵はあまりにも過剰ではないかと思うところが無いわけでもなかった。しかし、索敵機をケチったことで敵艦隊を発見できなかったとしたら、それこそ目も当てられない。それとブリスベン沖海戦の当時、一航艦を指揮していた南雲さんは今回を上回る数の索敵機を出している。まあ、成功者に倣ったことが図に当たっただけのことだ」


 そう話しつつ、しかし小沢長官は別のことを考えている。

 自身に大量の索敵機を出す決断に決定的な影響を与えたのは南雲長官の振る舞いではない。

 本当のところは「猛想戦記」という小説の影響だ。


 その小説の中に、機動部隊同士の戦いが記された章があった。

 A国とN国との機動部隊同士が激突したマッドウェー海戦の記述だ。

 その際、A国機動部隊は攻撃力が減るからと索敵機を出し惜しんだ。

 逆にN国機動部隊のほうは空母同士の戦いは先に相手を見つけた方が俄然有利になるということを知悉しており、攻撃機を大量に索敵に投入した。

 それが奏功し、先手を取ったN国機動部隊はA国機動部隊を一方的に撃滅した。

 それと、「猛想戦記」は他の章でも索敵の重要性がそれこそくどいくらいに書かれていた。

 しかし、将兵の命を預かる指揮官が小説に影響されて索敵機を大量に飛ばしましたなどとは口が裂けても言えるわけがない。

 だから、「猛想戦記」の代わりに南雲長官をだしに使ったのだ。


 小沢長官はこの話は終わりだとばかりに話題を旋回させる。

 やはり、嘘は気まずい。


 「対潜警戒を厳にせよ。インド洋に入って以降、海中から発信されたと思しき不審電波が相次いでいる。なにより空母にとって一番怖いのは潜水艦だからな」


 思ってもみなかった言葉。

 それを口にした己自身に小沢長官は驚く。


 (機動部隊同士の戦いを控えた空母にとって一番怖いのは飛行機だろう。俺は何を言っているんだ)


 小沢長官自身、自分でも不思議に思うくらいに、なぜか潜水艦に対して嫌悪感を抱いている。

 乗艦を撃沈されたトラウマでも持っているのならばともかく、そのような事実は無いし、開戦以降に帝国海軍で敵潜水艦に撃沈された艦は最大でも駆逐艦どまりだ。


 小沢長官は小さく頭を振って潜水艦のことをその意識から追い出す。

 今は、潜水艦のことよりも航空戦の指揮に全身全霊を傾けるべき時だった。

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