第24話 防空能力

 第一航空艦隊旗艦「赤城」艦橋内に醸成されつつある空気を一言で表せば、困惑あるいは当惑がこれに当てはまるだろう。

 同艦橋に詰めている一航艦司令部は戦前、米機動部隊の艦上機とそれにブリスベン近郊にある航空基地所属機から空襲を受けることは必至と見ていた。

 このため、一航艦の正規空母には二個中隊、二航艦の小型空母には一個中隊の合わせて二三個中隊、計二七六機の零戦を直掩として用意していた。

 さらに、電探と無線通信を活用した航空管制まで実施しているから、経空脅威への備えはこれで十分だと考えていた。

 しかし、米機動部隊の攻撃は、一航艦や二航艦司令部の想定の斜め下をいくものだった。


 「敵編隊は一〇機から多くてもせいぜい二〇機までの規模。それらが前後に広がり、高度も一五〇〇メートルから四〇〇〇メートルとまちまち。視認できただけで一〇〇機以上。ただし、編隊が広範囲に散らばっているためにその全容の確認は不可能」


 敵機動部隊の規模から、二〇〇機を超える大編隊による来襲もあり得ると一航艦司令部は考えていた。

 しかし、接触機あるいは一航艦と敵機動部隊の中間空域に進出して監視任務にあたっている一式艦偵の報告によれば、それら攻撃隊は艦隊単位はおろか母艦単位ですらもなく、飛行隊単位か場合によっては中隊単位でこちらに向けて進撃しているという。

 このままの状況が続けば、一航艦は小規模編隊による波状攻撃を受けることになる。


 「一式艦偵からの報告を信じるのであれば、敵の搭乗員は大編隊を組めるほどの技量が無いかあるいは編隊集合訓練を受けていないかのいずれかでしょう。しかし、その一点のみを根拠に敵の力を推し量るのは早計です。編隊維持や航法は苦手でも、爆撃や空戦技量に優れた搭乗員も少なくありませんから」


 源田航空甲参謀の言葉に南雲長官が小さくうなずく。

 南雲長官自身も水雷戦の指揮であれば誰にも負けないという自信があるが、しかし航空戦の指揮であれば、正直言って確信が持てない。

 人間が完璧な存在ではない以上、誰にでも得手不得手はあるのだ。


 「敵の進撃高度はバラバラですが、しかし高空は急降下爆撃機で低空は雷撃機であることは容易に想像がつきます。

 ですので、一航艦所属の各空母のうち、半数は高空で敵の急降下爆撃機を、残りの半数は低空で敵の雷撃機を撃破させましょう。

 二航艦の零戦についてはブリスベン方面から来襲するであろう敵の陸上機の対処にあたらせます。

 もちろん、これは効率的戦力配分を無視した、まさに手当たり次第とも言うべきやり方で、あまり褒められたものではないことは承知しています。敵の爆撃機と雷撃機の数がどちらか一方に極端に偏っていた場合、戦力不足によってその防衛網を突破される恐れがありますから。ですが、現状ではこうする以外にこれといった手立てがありません」


 源田航空甲参謀の提案は彼が話す通り総花的とも言えるものだ。

 しかし、それでも零戦の搭乗員らに攻撃目標の指示は絶対に必要だろう。

 そうしなければ、零戦は見つけた敵機に対してそれこそ手当たり次第に攻撃を開始するからだ。

 例えば、真っ先に迎撃ポイントに到達したのが雷撃機だった場合、零戦はそれらを撃滅すべくそのいずれもが低空に向かおうとするはずだ。

 しかし、その間に高空を急降下爆撃機に通過されれば目も当てられない。

 それと、艦上機隊とタイミングを合わせて仕掛けてくるであろう、敵の陸上機に対する備えも怠るわけにはいかない。

 米軍の双発機には雷撃を可能とする機体も存在するからなおのことだ。


 「敵艦上機隊の戦力構成が分からず、さらにバラバラに進撃してくるのであれば、甲参謀の意見を採用するしかあるまい。それと、だ。こちらに向かってくるのは急降下爆撃機と雷撃機だけではなく護衛の戦闘機も随伴しているはずだ。これについてはどうする」


 南雲長官が源田航空甲参謀に重ねて問いかける。

 戦闘機パイロットである甲参謀の意見は正式命令を下す前にぜひ聞いておくべきだと考えたからだ。


 「空母や水上打撃艦艇にとって怖いのは急降下爆撃機であり雷撃機です。もちろん、現代の戦闘機はそのほとんどが爆撃能力を付与されていますが、しかし本職の爆撃機よりもその搭載量は小さく、また命中精度も及びません。ですので、零戦はやむを得ない自衛戦闘以外は敵戦闘機との交戦についてはこれを極力避けるべきだと考えます」


 源田航空甲参謀の見解に首肯しつつ、南雲長官は今度は草鹿参謀長に向き直る。


 「参謀長、何か付け加えることはあるか」


 南雲長官としては、参謀長を通さずに長官と参謀だけで事を進めるのは少しばかり憚られた。

 要は組織の和を気にしということだ。

 もちろん、南雲長官も草鹿参謀長がそのようなことで気分を害するほど器の小さな人間だとは思っていないが、しかし然るべき配慮をしても損は無い。


 「現在、ブリスベン近郊の航空基地攻撃の任にあたっている二航艦の零戦隊も帰投次第、戦闘続行が可能な機体についてはこれを防空戦闘に参加させましょう。

 それとともに、対潜哨戒を強化すべきだと考えます。現在、戦艦の観測機や重巡の水偵が対潜哨戒の任についていますが、空母からも一式艦偵を出すべきです。ブリスベンが連合国にとっての潜水艦基地である以上、足元の警戒を疎かにするわけにはいきません」


 一式艦偵は三六機が索敵に出動しているほか、一〇機を超える機体が攻撃隊の航法支援や指揮管制、それに敵機動部隊への接触や前路警戒といった任務に携わっている。

 しかし、それでも一航艦と二航艦には常用機だけでも六〇機の一式艦偵が搭載されているから、対潜哨戒に出す機体を捻出することは十分に可能だ。


 草鹿参謀長の具申に大きく首肯した南雲長官は次々に命令を下していく。

 そして、その一方で口には出さず、心のページに反省文を書き加える。


 (最初は一式艦偵を六〇機も搭載してどうするのかと思っていたが、むしろ足りないくらいだったな。敵を発見するのにも、また効率的な航空攻撃を実施するのにも電探を搭載した偵察機は必要不可欠だ。連合艦隊司令部が戦闘機や攻撃機よりも真っ先に偵察機の充実を図った意味が、今ではよく理解できる)


 可能な限り遠方で敵を捕捉すべく、零戦が飛行甲板を蹴って次々に上空へと舞い上がっていく。

 一航艦と二航艦は開戦以来、初めて守勢に回った。

 その防空能力が、その実力が今まさに試されようとしていた。

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