5-36:The Body and The Tiger 下


 ◆


 ADAMsを起動し、放出された電撃の一閃を躱し、屋根を蹴ってソフィア・オーウェルの元へと接近する。若干十三歳にして多くの魔術を修め、最前線の司令官をしていたのだ、少女だからといって侮れる相手ではない――こちらに明確な殺意を持っているのなら、降りかかる火の粉は払わねばならない。


 加速した時の中で、少女の体がどんどん近づく。だが、既に動けなくなっていたはずの男の背中が上がり――口に何やら試験官を咥えながらこちらに向かって振り返る。


『まだ立ち上がるのなら……貴様からだアラン・スミス!!』


 標的を変え、男の頭上をめがけて右手の斧を振り下ろす。相手の口から試験官がゆっくりと落下し始め――同時にその唇が「遅い」と動き、アラン・スミスは身を捩ってこちらの縦一閃を躱した。


 同時に向こうの左腕が伸びてくる。原始的なパイルバンカーだが、威力は十分。それをもらうわけにはいかない――右手の斧を手放し、バク転の要領で後ろへと下がる。もちろん、相手が迎撃してくるのは想定済みだ。マントの中に手を伸ばし、布下で手斧を一つ掴んで、それを振り上げる。


 テラスでは成功したはずの一撃は、虚しく宙を切って終わり――相手の迎撃がないまま後方に降り立った瞬間、自分の足に何かが刺さる。


『……着地を狩られた!?』


 どうやら杭の一撃を出すと見せかけて、こちらのバク転を読んで投擲を仕掛けてきていたらしい。しかし、左腕は間違いなく打ち出していたはず、どうやって――足を取られてバランスを崩してしまうが、すぐに持ち直して正面を見据えると、襟と右の袖から――いや、全身から白い煙を出してアラン・スミスがこちらへ接近してきていた。


『……おぉおおおおおおお!!』


 バランスを崩していた以上、体術での迎撃は間に合わない――咄嗟に右の掌を相手に向けて差し出し、そのまま左の奥歯を噛む。暗器である四十五口径の弾丸を至近距離で発射した。


 しかし、相手はそれすらも反応しており、弾丸は幾許か脇腹を削り取って終わる。そして同時に、相手の異様な殺気は収まるどころか、より鮮烈になっている――身の危険を感じて左に跳躍すると、自分が居た場所の石床が杭によって砕けて飛んでいた。


 互いに加速が切れ、試験管の割れる音が響く――男は左腕から硝煙、抉られた脇腹から煙をあげて、ゆっくりとこちらに向き直る。


「成程、そんなものを仕込んでやがったのか……」


 暗雲を背後に、男のシルエットが近づいてくる――しなやかな動きで、ゆっくりと――何より異様なのは、あの眼だ。左右非対称で、暗く鋭く光るあの眼光は――。


「だが、もう覚えた。二度目は無いと思え」


 そう言ってこちらを見下ろす男の眼は自分と同類――いや、それ以上。先ほど少年の命を救おうとした正義感などどこにもない。アレは、間違いなく人殺しの目だ。


 しかし、なんだこの絶望感は――七柱の創造神を倒すために、三百年間の研鑽に打ち込んできた。その時間すらも無にするような圧倒的な差が、自分と奴の間にあるというのか。


『……T3、聞こえていますか……今、救援がそちらへ向かっています。それまでなんとか、自分の身を護ることに徹し、可能なら東門の方へ向かってください』


 まるで蛇に睨まれた蛙のような気分で圧倒されていた所にゲンブの声が聞こえたおかげで、身体のマヒが解かれる。ゲンブは遠方でこちらの状況を把握しているのだろう――正確には電子文字をこちらの脳内チップに送って、それを擬似的に音声化しているので、加速した時の中でもゲンブとのやり取りは可能だ。


 言われずとも、この場に留まっていてはやられる――ここでやられるわけにはいかないのだ。そう思い、再び右の奥歯を噛みしめ、加速したときの中で原初の虎から距離を取るべく、再び屋根の方へと上がった。


 本来なら、アラン・スミスが利用している旧時代の加速装置に遅れを取ることは無かったはずだ。こちらも左腕が損壊しており、城内での重力負荷で身体内の機構が悲鳴を上げていることを差し引きしても――生身で音速を超えるほうが、遥かに無茶なはずなのだから。


『アラン・スミスですが……元々、この世界の誰かのモノだった肉体を、原初の虎の遺伝子情報で上書きしたのでしょう。死肉が崩壊しないように強力な再生能力を付与することで体を維持しているようです……そこに代謝を促進させる劇薬を投下して、ADAMsに耐えられる速度で体を再生させているのかと』

『だが、それにしても異常だ……!』


 自分は三百年前、七柱に討たれ、ほとんど死体となったところを改造手術を受けて生き延びた。相手も自分も、ある意味では死肉の寄せ集め――しかし同じ死体同士でも、自分の方が機械装置を利用している分、本来は有利で間違いないはずだ。


『ブラッドベリと戦った時と比べると、アラン・スミスの再生能力が向上している……というより、体がADAMsに適応してきているのでしょうね。まさかの改造手術や強化外骨格無しで、アレを使いこなすとは……』


 戦いの中で成長しているというのか――そんなの無茶苦茶だ。しかし現に、距離を取ることに必死になっているこちらに対し、殺気はどんどんと近づいてきている。


『以前に、私の友……エディ・べスターが言っていました。原初の虎には、同じ技は二度通じない……同時に、異様な危機察知能力をかねそろえているので、初撃で倒すことも不可能……』

『……そんな危険な奴が、どうして道半ばでやられたのだ?』

『私はその場に居合わせた訳ではありませんが、聞くところによると仲間と思っていた者から裏切りに合い、奇襲を受けたとか……』


 不敗を誇る虎と言えども、敵と認識しないものからの奇襲は対応できなかったのか。逆を言えば、敵視しているモノに対しては絶対無敵とも取れるが――ともかく、神経が焼ききれる前に一度加速を解く。こちらも限界まで加速しているのだから、よもや向こうがそれを超えて追いかけてくることもあるまい。


 しかし、一瞬の差だけ、向こうの方がADAMsを引っ張った。強烈な殺気に振り返ると、男のシルエットが手斧を振り上げ、こちらへ降ろさんとしているのが見える。


 こちらも迎撃のためにすぐにマントから残り少ない手斧を取り出し、下から振り上げるように相手の刃に合わせる。刃が打ち合い火花を散らし――だが、続く動きは相手の方が早かった。アラン・スミスはすぐに刃の砕けた斧を投げ捨て、こちらが勢いで体を取られている間に、すぐに左の肩から自分にぶつかってくる。


 その衝撃で、自分の体は屋根から落とされてしまう。その落下する瞬間、短剣が自分の横を掠めて――外したのか? いいや違う――数百メートル向こうに、魔術の陣が浮かび上がるのが見えた。短剣は位置を知らせるための合図だ。恐らく、僅かな雲の切れ間から差し込む月明かりが、自分の下で道に刺さった刃に反射しているのだ。


 落下時は加速できないので、それに合わせて電撃を撃たれれば回避不能――自分の身の危険が限界まで来ているせいか、加速を使わずとも世界がゆっくり動いているように感じられる。しかし、打つ手はなしか――。


(……ここで倒れるわけにはいかん!!)


 自分は七柱の創造神に復讐するため、この三百年間の全てを捧げてきたのだ――せめて奴らの一柱でも引き換えにしなければ、死んでも死に切れるものではない。


 ソフィア・オーウェルを見ろ。相手の魔術の軌跡が分かれば、まだ致命の一撃は避けられるかもしれない――そう思って神経を集中させていると、同時に背後から颯爽と、一つの気配が近づいてくるのが分かった。


「コード、アンチソーサリー起動……」


 その言葉の主は、落下する自分の前へと躍り出て、光る刀身を頭上へと振り上げ――石畳の上を走る電撃に対し、一部の狂いもなくその太刀筋を合わせた。


「一閃……御舟流奥義、神速稲妻落とし!!」


 流れる白い髪の前に魔術で編み上げられた電撃は散る――その後ろ姿は、いつかの日に供に賭けた戦場を自分の心に彷彿させる。


「……セブンス、助かった」

「礼は後で良い。私は、あの子を止めてくる……アナタは虎の相手を」


 着地して体制を立て直している間に、少女はすぐに魔術師の方へと駆けて行く。その姿に幾分か闘志を取り戻し、自分は屋根の上でセブンスの進撃を見ているアラン・スミスへと向き直った。

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