5-34:旧世界における事情 下

『べスター、お前の言いたいことは分かった。だが、簡単に振り上げた拳を下げられるほど、俺は人間が出来ちゃいない。それに、大勢のためなら小さな犠牲に目をつぶるというやり方も気に食わない……いや、アレを見て小さな犠牲とも言えるか?』


 そう言いながら、道路上で暴れまわる龍の方を見る。幸いにして祭りのおかげか、街の人々はある程度会場の方へと流れているおかげで、出店のないこの辺りは人の気配は少ない。


 しかし、たまたま目線を落としたせいで眼に入ってしまった。龍の爪牙の前に、逃げ遅れた少年が一人いる――気が付けば屋根の端を蹴って道路へと降り立ち、少年を抱えてまた一足飛びで龍から大きく離れた。


 音が戻ってくると、先ほど少年が立っていた場所から瓦礫が吹き飛ぶ巨大な音が鳴り響く。膝をついたままでその細い体を腕から離すと、少年は恐怖と混乱とで顔を歪ませていた。


「げほっ……大丈夫か?」

「う、うん……」

「よし……怖いだろうが、なんとか気合を入れてあそこの路地裏まで走るんだ。普段は危ない所だが、今は人気もないだろうし……あのデカブツも、わざわざそこまでは追わないだろう」

「わ、分かった!」


 少年に向かってほしい方向へ指さすと、なんとか少年は頷き、路地の方へ向かってくれた。


「……何故足を止めた、アラン・スミス」


 声に顔を上げると、T3が屋根の端でこちらを見下ろしていた。その表情は、どこか憎々し気だ。


 とはいえ、何故と言われても理由などない。体が勝手に動いていたのだから。しかし、それをわざわざ言う気にもならない――こちらが黙っていると、眉一つ動かさないまま隻腕の男が続ける。


「……貴様にしか救えない命があった、そういうことか? しかし、そんなものは所詮は偽善だ。見ろ」


 男の言葉尻に龍の咆哮が合わさる――T3が言っているであろう方向を見ると、先ほどの少年と同様に逃げ遅れた人々が何人か、脇道の方でしゃがみ込んでいた。


「お前がこうやって一つの命を救う間に、より多くの命が失われていく。それとも、あの人数に一人一人に手を差し伸べるか? 今の貴様には、その一本しかないというのに……」

「ぐっ……!」


 確かに、全員は救えないかもしれない。同時に優先順位だって立てられないし、どうするべきかなんて分からない。それでも――一つでも多くの命が救われる方がきっと良い。そう思い、奥歯を噛もうとするが、それよりも先に口から黒い血を吐き出してしまった。


「どうやら、体も限界のようだな。これ以上追われては面倒だ。ここで決着を……」

「……馬鹿にしないでください」


 地面に左手を付き、それでもなんとか男の言葉を遮った声のした方を見るために顔を上げる。その声がしたのは、龍の体の向こう側――見ればその巨体の周りに魔法陣が展開しており、そしてすぐさま巨大な氷の柱が立ち上がって、少しして龍の体は跡形もなく塵と化した。


「確かに、アランさんの手で救えるモノは、限界があるかもしれません。でも、それなら……アランさんを支える人が居ればいいんです」


 夜風に舞う氷晶を払い、その奥から声の主が現れる――ソフィア・オーウェルは魔法杖のレバーを引くと、蒸気がその髪を揺らす。そしてすぐにレバーを押し込み、少女は杖の先端を屋根の上に居る銀髪へとむけた。


「アナタが襲撃者ですね。魔獣を操り、王国に被害をもたらしたその罪は極刑に値する……このソフィア・オーウェルが執行人となって、アナタを討ちます」

「勇ましいことだが、貴様では私を討つことは……」

「ジャッジメントジャベリン!!」


 少女の杖に陣が浮かんだのに反応してか、男は加速して横に避けたようだった。魔術の弾道は、容赦なく先ほどT3が立っていた箇所を打ち抜いている――ソフィアはそれだけ本気だという事か。


 だが、このままではソフィアがやられる。発射さえすれば亜光速なのだから、稲妻の魔術は超音速など比較にもならないのだが、如何せん事前動作が重いが故に射線を読まれる。そのため、音のない世界を動き回れるT3を相手にするにはソフィアも分が悪いはずだ。


 そして何より、聡明なソフィアがそれに気付いていないはずがない。少女は一瞬だけこちらを見て頷き、レバーを操作して再び杖を天上へと構えた。


 ソフィアは、時間稼ぎをしてくれている――すぐに自分はベルトに着けているバッグに手を入れた。幸い、T3はソフィアの方を見ているおかげで、こちらの動作には気付いていない。


「……一度だけ忠告するぞ、ソフィア・オーウェル。今その杖を降ろすなら見逃してやる」

「いいえ、降ろしません。だって……」


 ソフィアが大きく息を吸うのが聞こえる――見上げると、ソフィアは杖の先端を男に向けたまま、その可憐な顔に激昂を浮かべているようだった。


「アランさんのことを馬鹿にしたアナタを、私は絶対に許さないんだからッ!!」

「……愚かな奴めッ!!」


 男の殺気が強くなる。取り出したいものは取り出せた――あとは加速した世界でどうにかすればいい。背後でT3がADAMsを起動したのに合わせて、こちらも再び最後の力で奥歯を噛んだ。

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