4-27:クラウディア・アリギエーリという少女 上
クラウが帰郷したいと言ったのは、正確には村が滅ぼされてから預けられた孤児院の方だった。いくら方向音痴と言っても孤児院のある地名は覚えていたので、エルとソフィアに相談したところすぐに場所は特定できた。
問題は、その孤児院がある場所だ。王都に向かうには、ここから主要な道を北西に進んでいくのが最短だが、クラウが預けられていた孤児院に行くには南西に向かう必要がある。西という方角は一致しており、ちょうどここからなら距離も近いこと、また現在滞在している街からなら軌道修正ができること、さらに孤児院に立ち寄ったとしても一週間の差は出ないくらいの距離感ということもあり、クラウの故郷を訪れる事に決まった。
滞在中の街からクラウが住んでいた地方に抜けるには、一つ山道を通る必要があった。とはいえ、そこまで標高の高い道でもないため、一泊野営をすれば次の日の午後には目的地にたどり着くといった塩梅だ。すでに今日は移動を終え、夜を超えるための準備に入っている。
こちらの山道はあまり使う人もいないらしく、魔族や魔獣が多少はいるらしい。同時に、それらがいるような場所なので山賊はいないようだ。現にここまでたどり着くまで、数回は魔族や魔獣との戦闘もあった。もちろん、ソフィアが魔術で瞬殺したのであるが。
ともかく、一応は危険な山道ということもあり、薪を拾いに行くのは自分の仕事だ。自分なら戦闘を回避して藪の中を動き回れる――レムリア大陸は西に行くほど偏西風の影響で温暖で、最近は好天続きではあるものの、冬も近いこの時期に焚き火を絶やせば凍死する。そのため、一晩分の薪を雑木林の中から集めるとなると結構な手間になる。数回に分けて薪をキャンプ地に運ぶことにし、最後の分を取ってくる頃には、すでに焚かれた火を使ってクラウが料理をしてくれていた。
「……そう言えばちょっと気になってたんだが、教会の戒律か何かで豚とか牛は食えないのか?」
このような疑問が出てきたのは、クラウが作る料理には豚や牛の肉が入っていないからだ。クラウは少し申し訳なさそうに、鼻の頭をかいている。
「えぇっと、別に戒律とかはありませんよ。ちょっと私が、豚や牛のお肉が苦手なんです……なんというか、食感がダメで。
別口に作ろうと思えば豚や牛の料理も出来るとは思うんですけど、自分が食べられないものだと味見が出来ないので、美味しさはちょっと保証できないですね」
「あぁ、なるほど、そういうことならいいんだ。鶏肉とかは入ってるし、満足感はあるからな」
味がいいのは分かっているし、不満がないのも本心だ。とはいえ、自分が話題に出してしまったせいか、クラウは少し申し訳なさそうに視線を落としている。
そしてそれを察したのかただの本心なのか――恐らく後者だ――ソフィアが元気に手をあげた。
「なにより美味しいよ!」
「ふふ、優しいソフィアちゃんには食後のデザート、特別に一個追加しちゃいます」
「わぁ、ありがとうクラウさん!」
ソフィアのフォローが入ったことで、クラウも調子を取り戻してくれた。
夜も更け、ぼちぼちと寝ることになった。今日の見張りは、自分とエルがやることになっている。自分は早めに仮眠を取り始め、夜中になったらエルと交代する段取りになっていた。
寝始めは少女たちの談笑が耳に入り――クラウの孤児院がどんなところなのかとか、最近食べた美味しいデザートの話であるとか、たまの休憩で描いている絵の話など、何となく取り留めもない話を耳にしながら、しかししばらくしたらいつの間にか寝入っていた。
次に目を覚ました時は、エルが遠慮がちにこちらに近づく気配を感じた時だ。
「……流石ね、近づいた気配で起きた?」
「半分は正解……まぁ、おっかなびっくりって気配でずっとこっちを見てたからその気配で起きたって感じかな」
恐らく、こちらが寝入っているのを起こすのが少しためらわれたのだろう、遠慮がちなエルらしい話だ。ともかく、見張りを交代してぼぅっと焚き火を眺めながら、時折薪を炎に投げ入れつつ考え事をして少しすると、エルの方からも寝息が立ち始めた。
そしてそれと入れ替わるように、また別の一人が眠りから覚めたのに気づく。
「……アラン君」
てっきりクラウかと思ったのだが、声の調子がいつもより落ち着いている。声のしたほうを向くと、上半身を起こして毛布を膝にかけてこちらを見ている深紅の瞳があった。
「ティアか、珍しいな」
「ふふ、そうだね、こうやって二人きりで話すのはレヴァルの宿の時以来だ」
「そうか、そう言えばそんなに時間も経ってるんだな……」
レムリアに着いてからの道中では、たまにティアも顔出しをしていた。とはいえ、それはソフィアやエルも起きている時であるし、こうやって二人きりで話すのは実に数か月ぶりくらいになるのか――そう思うと、思った以上に少女たちと過ごす時間も長くなってきたんだなと、そんな感慨を覚える。
「しかしどうしたんだ、寝れないのか?」
「いいや、ちょっとアラン君と二人きりで話したくてね……エルさんが寝入るのを待ってたのさ」
そう言いながら、ティアは焚き火の周りで毛布にくるまっているソフィアとエルを見る。
「一応、内緒の話にしたいから……少しだけ場所を移さないかい? もちろん、アラン君が索敵できる範囲で」
「そうだなぁ、まぁ俺も一人で暇だったし」
「それじゃあ決まりだね」
二人で立ち上がり、移動を始める。しかし、本来はクラウとティアは意識を共有しているはずだから、話したいことがあればクラウを通してだってできる。そうなれば――。
「……内緒の話って、クラウにも?」
「あぁ、その通り……今はクラウもぐっすり眠っているよ」
そう二言三言交わして後、月の照らす拓けた場所に出た。丁度良い感じに倒木があり、ティアがそれを椅子代わりに腰かけたので、自分もその隣に座ることにする。
「……それで、内緒の話ってのはなんだ?」
「うーん、まぁ色々とあるというか、話したいことはてんこ盛りでさ……何から話そうか……しかし、寒いね……ふぅ」
ティアは手に息を吹きかけて暖を取り、天上に浮かぶ月を見上げ、ゆっくりと口を開く。
「……実はこの辺りは、クラウの故郷……本物の故郷も近いんだ」
クラウの本物の故郷、それは彼女が幼いころ、魔族に襲撃されて滅んだ村。それが、この付近にあるという事らしい。
深紅の瞳の向く先が、天上からこちらへと流れてくる。
「なんというかな、ボクはアラン君に知っておいてほしいんだよ。クラウという子のことを……いいや、クラウディア・アリギエーリという子のことを」
そこまで言って、ティアは再びぼんやりと月を――いや、きっと遠い記憶を見つめながら、またぽつりぽつりと語りだした。
「クラウディアの故郷は、山奥の小さな村だ。畑仕事と猟でその日暮らしをするような、そんな小さな小さな村……そんな小さな村にも、領主に戸籍は管理されて税は取られるし、教会だってある。
戦時中は男手が外に出がちだし、魔族もひっそりと住むこの辺りの山々で猟をしていれば、自然と人は減っていく……それでも税は収めないといけないから、食糧もどんどん減っていく、そんな貧しい貧しい村だったんだよ」
確か、そのようなことはクラウも以前に言っていたと記憶している。ただし、ここまで詳細ではなかったはずだ。幼少の頃の記憶は、クラウよりもティアの方がしっかりと覚えているのかもしれない。
「……同時に、クラウディアの両親は熱心なルーナ神の信者だった。それが彼女の信仰の源泉でもあるのかもしれないけれど、それは少々度が過ぎていたように思う。
日々が苦しいのは神の試練であり、神々は祈る者を救ってくれる……そんなの、小さいクラウディアには分かる訳もない。ただ祈らないと、神様を信じないと、両親が怒るから、怖いから……彼女は一生懸命、分からないなりに神を理解しようとして、そして祈る様に努めていた」
ティアの口調は淡々としたものだった。しかし、ここから先は今以上に重い話があるのか、ティアは視線を落としてしまう。
「そんなある日のこと、とうとう村の食糧が尽きてしまった。正確には尽きかけていた、なんだろうけれど……仔細はどっちでもいい、ともかく餓死者が出るまでに村の事情は切迫し始めた……ただまぁ、そうなると、食糧が僅かばかりに出来上がるじゃないか」
骨と皮ばかりのヤツがさ、とティアは伏し目がちで呟いた。そうなると、先ほどのクラウの肉が食べられないのも納得できるものがある――幼いクラウディアにそれが何かは理解できなくても、おぞましいことがあったと直感では分かっていたのかもしれない。
「……両親の虐待にも似た教育と、そのような村の事情が重なって、クラウディアの心は限界だったんだよ。それこそ、まだ片手で数えらえるような歳の子が……いいや、アレには大人だって耐えられるはずがない。
そうして、クラウディアはその環境を耐えられるだけの自己防衛を始めたんだ。クラウディアは、内から聞こえるもう一人の声を歓迎した。そして、彼女を取り巻く厳しい状況は、もう一つの人格が引き受けるようになった……」
それは、逆を言えば、村での不遇を全て自分の隣にいる赤い目の少女が引き受けていたことを意味する。自己防衛のために作り出された魂だったとしても、それでも――その受けた仕打ちは、あまりにも過酷だ。
「……そんな顔をしないでおくれよ。その内なる人格は、別に本来の人格を恨んでなんかいないさ……そもそも、耐えられるだけの強さを持った人格を、彼女自身が生みだしたんだからね」
言葉を切って、ティアは星を見つめた。その顔には曇りはない、穏やかな表情だった。
「その内なる人格とは、クラウディア・アリギエーリの祈りそのものなんだ。どれ程の逆境にも耐えられる精神を持ち、同時に克服できる判断力と機転を持った強い魂……それを自分の中に作ることで、彼女は自分の心を護ったのさ。
同時に、幼いクラウディアは、内なる魂に対する罪悪感があった……全てを押し付けてしまうその償いに、何もあげられるものが無いから、せめてと……自身の半分を、内なる魂に差し出したんだ。そうして、クラウディアという少女は、自身をクラウ、もう一人の人格をティアと呼び始め……二つの魂は、それぞれ別の名を持つことになった」
「……なるほどな。そこから、今の二人になったと」
「あぁ、そういうこと……とはいえクラウの両親は、ボクのことを大変気味悪がった。同時に、村の食糧事情はどんどん悪化していき……次第に、生きている者すら、その対象となった。そうなると、ボクの様に気味の悪い存在は、真っ先にやり玉に挙げられる」
ティアはそこで一呼吸おいて、再び空に浮かぶ月を眺め始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます