2-20:地下迷宮 下
周囲を警戒しながらゆっくりと歩いていると後ろのほうで、小さな声で話し声が聞こえる。
「しかし、ソフィアちゃんが言っていた通り、本当に地下通路が魔族の巣窟になっていましたね」
「うん、まだ魔王軍という確証は無いけれど……それでも、入口のレブナントは外に出ず入口を徘徊していたということは、やっぱり何者かに指揮されていると見るのが妥当だね。そうなれば、多分かなり上位のネクロマンサーが中にいるのは間違いないと思う」
ネクロマンサー、死霊使いか。確かに、ゾンビ型の不死者は放っておけば外に肉を求めて出ていきそうだ。それが出ないということは、何者かの意志で制御されていると思って間違いなさそうだ。
そう言えば、ジャンヌの件、ここまで来たら二人にも話したほうがいいんじゃないか――そう思って振り向こうとする前に、前方一部の壁がイヤに黒くなっているのが目につく。
「エル、ちょっと待て」
「……敵?」
「いや、敵の気配はないんだが……少し下がっていてくれ」
壁が黒くなっている箇所にもう少し近づくと、壁の下には何個か結晶が溜まっているようだった。
「……なぁ、ソフィア?」
「うん、なぁに?」
「ここって、トラップとかあるのか?」
「えぇっと……確か、避難経路であると同時に、敵の侵入を防ぐ役割もあったはずだから。絶対は言えないけれど、一部にトラップはあるのかもしれない」
「なるほどな……」
不死者のように知能が働かない者たちの一部が、誤ってトラップにかかってしまったのかもしれない。さらに床をよく見ると、一部分だけ埃のかぶり方が浅い部分があるのを発見した。そこを少し離れた場所から、取り出した手斧の先端で押し込んでみる。すると、頭上に鈍い音が走り――どうやら、槍が壁から突き出たようで、少しすると再びトラップは壁に引っ込んでいた。
「……敵以外も警戒しないとマズそうだな、こりゃ」
「アラン、トラップも警戒できる?」
「いや、今のはラッキーだ。不死者が間違って自爆してくれてたようだから気付いただけで……気配も動きも両方ないものまでは、感じ取るのは厳しいな」
「そう……それなら、トラップには全員で注意するしかないわね。今のは、壁の血で気付いたんでしょうけれど……」
「あぁ、足元は埃で気付けはした。だから、空間にある違和感というか、そういうのを気付ければ見抜けるとは思う。だからソフィアとクラウも、辺りをちょっと警戒して見てくれ」
二人が頷いたのを確認して、また少し進み始める。すると、奥からかなり多くの気配を感じ――ソフィアに手で合図して光源を弱くしてもらう。すると、通路の奥から僅かだが灯りのようなモノが差し込んでいるのが見える。それは、恐らく松明の明かり――赤々と揺らめいているので、炎によって照らされているようだった。
通路の終わりまで来て、明るい方を壁に背をつけたまま覗き込む。すると、そこは地下にぽっかり空いた巨大な空間になっていた。位置的に、ここはその空間の最上部にあたる。そして、空間は何階層かに別れて下まで続いており、所々に松明の炎とが揺らめいて、徘徊する不死者が壁に影を作っていた。
幸い、何者にもまだ気付かれていないようで、数歩後ずさりエルの居る位置まで戻る。
「……なんか滅茶苦茶広い空間があったぞ」
「どんな感じだった?」
「さらに下のほうまで続いている、複数階層になってた」
「おかしいわね……地図で見れば、この先は、確かに外に出るための道が合流する広い空間みたいだけれど。地下まで続いている、なんてことはないわ」
「なるほど、つまりこの空間、魔族によって拡張されたってことかな」
要するに、もう地図は全くあてにならないことを意味する。少女を頼りにするのも少し違うような気もするが、我らの中で最も賢い准将殿に、今後のお伺いを立てることにするか。
「さて、ソフィア、どうする?」
「しらみつぶしに探してたら、余計な消耗は避けられないね。大きな空間で大太刀回りをしたら、一気に気づかれちゃうだろうし……ひとまず、大聖堂に通じている道を探せたらいいかな。そうすれば……」
そこまで言うと、ソフィアはハッとした表情をする。無論、それに対してクラウが訝しい表情をしている。しかし、先に進む前にソフィアの仮説は言っておくべきだったとも思うので、これはいいチャンスだろう。
「ソフィア、二人にも言っておいた方がいい」
「うん、そうだね……」
大空洞から少し離れて、昨晩の推理をソフィアはエルとクラウに聞かせた。エルは無表情で、俺と同じような腹持ち――ソフィアの推理に矛盾を感じないから、その可能性は考慮して動くべき――という風だった。
一方、クラウのほうは、落ち着いた風は装っているものの、やはり動揺は隠しきれていないように見える。
「……クラウさん、私のはあくまでも推測だから。でも、ジャンヌさん、何か最近おかしな動きとかなかったかな?」
「うぅん、少なくとも、朝は普通だったと思います。でも、日中は私が外に出てますし、夜は調合の勉強で部屋に籠っていたので、午後にジャンヌさんが何かしていたとするなら、気付けなかったかもしれません……」
話が終わったタイミングを見計らって、俺はエルから渡されていた地図を丸めて立ち上がった。
「さて、話は終わったし、ここからどうするかだが……一応、地図とさっきの空間を見比べて見たところ、下に降りずにある近くの通路から、迂回して大聖堂のほうへ向かっていけるみたいだ。問題は、あの広い空間を、敵にバレずに進めるかだが……」
しかし、あの空間に四人が行くとなれば、バレずに進むのはほぼ不可能――そう思っていると、ソフィアがこちらに一歩近づいてくる。
「敵から認識されにくくなる魔術があるよ。さすがに、近くで視認されたらバレるけど……それを使っていけないかな?」
「いや、この階層はそんなに敵も徘徊していないみたいだし、それを使えばいけそうだな。ソフィア、頼む」
「うん、分かった! 第三階層構築、風、光、屈折、認識阻害【インビジブル】!」
ソフィアが魔術を使うと、全員の体が薄い風の膜で覆われる。確かに、少し離れていれば、人がいるとは認識できなさそうになっている。
「よし、それじゃあ行こう」
ソフィアの魔術のおかげで、次の通路までは敵にバレることなく移動できた。しかし、空間に出た時、遥か下層から、何か強大な気配と、呪文のようなものが詠唱されているのを微かに感じ取ることが出来た。
恐らく、あの最下層にこそ、今回の騒動の黒幕がいる。そんな風に思われたが、正面突破して行けるほどの余裕は今のメンバーにない。ひとまず、聖堂からここへ移動している形跡さえ見つかれば、ジャンヌを尋問して何が起こっているのか、構造がどうなっているのか聞くこともできるだろう。だから、今はまず、ソフィアの言うように大聖堂への道を見つけるのが最善だと思われた。
次の通路までは無事にバレずに到達し、その後は何体かの不死者と遭遇した。とはいえ、一挙に何体も出てくることもないので、基本的にエルが戦えば十分、という形で進めている。トラップも今のところは、最初の槍以外には見かけていない。もちろん、単に運良くかかっていないだけ、という可能性もあるのだが。
そして、今度は最初の通路と違って少し入り組んでいる。地図を見た上だと、細い通路があるのは織り込み済み、それらはかつては街の至る所から地下に降りて、この主要な通路に来るための側道だったはず。かつての構造と大きく変わっていないのであれば、このまま進めば良いはずなのだが、如何せんあの大空洞を見た後だと、この辺りも変わっている可能性はある。
「……というか、側道に宝箱とかあったりするんじゃなかろうか?」
「はぁ? 何くだらないこと言っているの。避難経路に宝を置く馬鹿がいる?」
エルからあまりにも的確な突っ込みが入る。確かに、言われてみればその通り。王の墓所などなら副葬品とかもあるだろうが、普通のダンジョンには宝箱なんて現実的には無くて当たり前か。
ふと、ソフィアの魔術による光が突き当りの壁を照らす。どうやら、T字路になっているらしいが、元々は左に曲がる道しかなかったはず。ひとまず敵の気配が無いのを確認してから、突き当りまで移動し、ソフィアとクラウが合流するのを待つ。
「……さて、どっちに進む? 進行方向的には左なはずだが」
「そうね、右は新しく作られた道でしょう……恐らく、外から魔族が侵入するためにね。だから、左で……」
エルが言いかけているうちに、何か妙な音がし始めていることに気づく。その音は、上から聞こえているようだった。見上げてみると――天井に淡く光りを放つ紫色の魔法陣が生成されており、辺りの壁が少し振動しているようだった。
魔術的なトラップか、それは予測しようがなかった。この後に起こる事態は何となく予想できている。早くこの場を動かなければならない。
「……エル! ソフィアを抱えて通路に跳べ!」
エルも気付き始めていたようで、その動きは早かった。エルは隣にいたソフィアを抱えて、すぐに近くの通路――先ほど、新しく開通したと言っていたほうに跳んだ。そして、こちらもクラウを抱えて、進行しようとしていた方向へと跳んだ。
「あ、アラン君!? 何を……おぉ!?」
直後、T字路の天井が勢いよく落ちてきた。それは、崩落したのと違い、天井は綺麗な直方体となって、こちらとエルたちとを分断した。そして、分断されたと同時に、ソフィアが照らしていた光が無くなり、辺りが真っ暗に包まれる。
「……おい、クラウ、大丈夫か?」
「え、えぇ……大丈夫なような、大丈夫じゃないような……」
煮え切らない答えだが、その理由もすぐに分かった。がむしゃらに行動していたせいで、気が付けば、クラウの体を思いっきり抱きしめていたせいだろう。うん、細いけど柔らかい、あと、一部が凄く柔らかい。
しかし、いつまでもその感触を楽しんでいるわけにもいかない。何せ真っ暗、まず灯りを用意しなくては。
「すまん、助けるのに必死でな……ところで、何か灯りになるものはあるか?」
「は、はい、少々お待ちを……荷物の中に、カンテラがありますので」
クラウの体を離すと、恐らく手探りで探し始めたのだろう、ゴソゴソと音がし始める。しかし、恐らく先ほどのトラップは、何者かが遠隔で発動させたものだろう。冷静に考えれば、魔法で動いている配下の数が減っていっていたのだ、こちらが侵入していたことには気付かれていたのだ。
そう考えれば、追撃の手を休めないのは当たり前。正面から、徐々に敵の気配が近づいてくる。数にして三、恐らくレヴナントが二、スケルトンが一。これは分断された後のメンバーが、エルとクラウでなくて良かった――俺なら、目で見えなくても気配で分かる。
段々と、亡者どもが近づいてくる。この世を怨む、呻き声とともに。
「あ、アラン君、まさか……!?」
「大丈夫だ! クラウは灯りを探しておけ!」
ポケットから、クラウ特性の聖水の瓶を出し、左手に持つ。もう少し引き付けて――距離にして十メートル、そこで瓶を放り投げ、すぐに右手からナイフを放つ。真っ暗な通路に乾いた音が響き渡り、直後、亡者どもの呻き声が止まった。
そして、その少しあと、後ろから明かりが灯る。
「……お前の聖水、やっぱり効果てき面だな」
クラウが灯した先には、水溜まりで煙を巻き上げて倒れる三体の亡者の姿がある。そしてそれらは、次第に結晶と化し、後には静寂だけが残った。
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