1-7:小さな将軍  上

 意識が戻ると、また石の壁に囲まれた小さな部屋にいた。先ほどと違うのは、一面に簡素な窓があり――採光のためだけの物だろう、小さく切り抜かれているだけで人は通れそうにない――また、一面が壁の代わりに鉄格子になっているという点だった。


 鉄格子を掴んでガンガン揺らす、というのはとりあえず止めておいた。見張りなのだろう、四十代風の疲れた男が、蠟燭の火の向こうで帳簿らしきものをいじっていた。そして、自分が目覚めたことに気づいて、ペンを置いて代わりに眼鏡を取り、こちらを覗き見た。


「……目が覚めましたか。誤解のないように言っておけば、アナタの身元の証明が難しいので、牢屋に入れるのはひとまずの処置です。身体の検査をして、問題ないようであれば、おそらく解放されます」

「おそらくってところは引っかかるが?」

「何分、前例の無いことですから……決定権のある方の裁量次第ですね」


 そこで切って、眼鏡の男は書類に目を戻した。どうしようか、恐らく彼自身は本心から言っているのだろうが、その決定権のある方とやらがどんな決断を下すかは全く想像もできない。今は目下戦時中、記憶喪失の異邦人など来たら、自分が意思決定者なら良くて軟禁しておくだろう。この世界の倫理基準で言えば、もしかすると怪しきは罰するレベルで、処刑になってもおかしくない。


 ただ、四の五の言わず処刑でなかっただけはありがたいか。俺が何者か、怪しいものでないか、検査してくれる気概はあるわけだ。バタバタしても始まらないが――。


「俺は怪しいものじゃないんだ、出してくれー!」

「……ちょっと、うるさいので牢をガタガタするの止めてください」


 なかなか人生のうちで牢をガタガタする機会もないので遊んでみたが、案の定、牢番に怒られてしまった。一応、辺りを――あくまで見える範囲でだが――確認してみる。どうやら、牢が何個もあるような場所ではなく、ここ一個と対面に一つの計二つだけのようだ。恐らく、自分のように怪しい者を、一時的に拘束しておくための牢屋なのだろう。


 とりあえず先ほど触れてみた感じ、鉄格子は堅牢で、ちょっとやそっとでは壊せそうもない。仮に壊せたとしても、ここは正規軍の駐屯地、ちょっと頑丈なだけの一般人が脱獄したら、すぐさま捕らえられてしまうだろう。


 周りの石壁は見た目では分からないが、窓と外との間の厚みを見るに、男の力で持ってもそう簡単に壊せるものでなさそうだ。下も石畳で、スプーンで掘って脱獄、という感じでもなさそうである。つまり、脱出なぞ不可能、天命を待つしかなさそうだった。


 しかし、スプーンで思い出したが、そういえばこの世界に来てから何も食べていない――脳がその事実を思い出したのと同時に体も思い出したのか、ちょうど良いタイミングで腹の虫も鳴り出した。


「……なぁ、食べるものは無いかな?」

「……水なら」

「はぁ……」

「いりませんか?」

「いや、いります……」


 牢の隙間からコップが差し出され――その手を取って鍵でも奪おうか一瞬悩んだが、止めた――水を飲み干し、簡易なベッドに横になった。寒冷な地で毛布一枚とは凍える思いだが、無いよりはマシだ。


 さて、どうしようか、先ほどまで寝てしまっていたせいで眠くもないが、起きていても仕方がない。とりあえず、今日起こったことを整理しながら、寝落ち出来れば良いか――。


 ◆


「……それで、こちらにその方がいるんですね?」


 扉が開く音と、人の動く気配で目を覚ます。まだこの世界に降り立って半日というところだと思うのだが、早くも三度目の目覚めになった。窓はどうやら東側だったらしく、ちょうど朝日が牢に差し込んでいる。


 声のしたほうを向くと、牢番は若い者に入れ替わっており、扉のほう対して敬礼をしていた。


「えぇと、アラン・スミスさんですね。すいません、藪から棒に、こんな所に押し込めてしまいまして……」


 その声は、牢番ではなく、もっと奥から聞こえた。


「あぁ、おかげさんで……硬いベッドのお陰でぐっすりだよ」


 皮肉を返して、入ってきた者の方を改めて見た。編み込みされている、金の髪が日の光を吸って輝いており、そのままその頭が深々と下がった。


「すいません、今、お出ししますね」


 イヤに腰が低いどころか、背まで低い。それどころか、声も高いというか――その声の主はどう見ても女の子だった。多分歳のほどは十ちょっとというか、前世でいうなら中学生になるかならないか、それくらいの印象だ。その子が鍵穴に鍵を通し、牢の扉を開けて手招きしている。


 手招きされるままに牢屋を出ると、女の子は再び深々とおじぎをした。


「私、ソフィア・オーウェルと言います」

「うん、ソフィアちゃんね。お父さんのお手伝いかな?」


 えらいねー、などと付け足すと、後ろの若い牢番がぎょっとした顔でこちらを睨んだ。一方、ソフィアと名乗った少女は頭を上げ、顔には屈託のない笑顔を浮かべていた。


「ふふ、そうではないのですが……すいません、私に着いてきていただいて良いですか?」

「……昨日はそれで、強制睡眠をくらったんだが」

「すいません! 今度はそういうことはないので……信用、できません?」


 こちらは半日で三度目の目覚めだが、目の前の少女は出会って一分で四度目のすいませんを出した。しかも、いずれも真剣に申し訳なく思っていたようで、最後のすいませんの後は少し目が潤んでいるほどだった。


「あーいや、ソフィアちゃんが悪いわけじゃないからな。信じる、着いて行くよ」

「あ、ありがとうございます! それでは、こちらへ」


 再び深くお辞儀をしてのち、ソフィアが先に扉へ向かった。よく見ると、昨日城外で見たのと同じ白いコート風のローブを着ている――つまり、彼女も正規の軍人というわけか。恐らく魔術師、そうならば、確かに屈強な男である必要はないかもしれないが、こんな小さい子が戦わなければならないというのは――そう、女神に依頼された内容、自分の時代の倫理観を考えると――違和感がある。


 とはいえ、自分の違和感はあくまでも自分の価値観から来るもので、この世界では通用しないのかもしれない。ひとまず、先に扉の外に出た少女を追い、自分も外に出る。出るときには死角になっていて気が付かなかったが、ドアのすぐ横には、屈強な大男が一人いた。青いコート――恐らく青は、戦士のカラーなのだろう――がその筋肉で膨張するほど筋骨隆々という感じで、厳めしい顔でこちらを睨んでいる。


「レオ曹長、そんなに睨まないであげてください」


 少女の声に、大の男は敬礼をし、背筋を伸ばした。そんなに階級には詳しくないが、曹長は下っ端ではないはず。それに命令できるのだから、思っている以上に立場のある少女なのかもしれない。振り返ると、すぐ隣の部屋の扉を開けて、ソフィアが笑顔で手招きをしていた。

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