二、クリスティーナ皇后は歌姫に夢中

12、新しく仕立てたワンピースでオーディション

 ついにオーディション当日がやってきた。


「ジュキ、お洋服でき上がったわよ」


 レモが朝一番で仕立屋さんまで行って、衣装を受け取ってきてくれた。


 出番は午後だが、その前に音楽室で最後のリハーサルをするため、宿で着替えて髪とメイクも終わらせてから出かける予定だ。


「さ、着てみてちょうだい」


 おととい試着はしているものの、完成品に袖を通すのは今日が初めて。女の子の服にわずかばかりでも胸が高鳴ってる俺、やばくね?


 おそらく俺の体型をカバーするためだろう、レモが注文したドレスはひざ丈のAラインワンピースだった。すとんと落ちるデザインなので、ウエストがくびれているかどうかなんて分からない。さらに胸元には大きな三重リボンがついており、バストがないのも隠してくれる。


 色はほとんど白に近い可憐なピンクベージュ。楚々とした色合いのおかげで、リボンが目立つデザインでも派手に見えない。


「なんだか幼児体型のガキみたいじゃね?」


 姿見に映った自分の姿に、俺は文句をつけた。女装を繰り返すうちにだんだんと、どうせなら美しいプロポーションになりたいと思っている自分に気付いて怖くなる。


「思春期前の女の子って感じで、かわいくていいじゃない」


「さすがにそこまで身長低くねーし」


「それよりその言葉遣いをどうにかしなさい」


 くそっ、レモのやつ、妹に言い聞かせる姉みたいな口調でさとしやがって。


 ちらりと姿見を見やると、不満そうに目をとがらせる美少女が映っていた。銀髪にピンクのリボンが愛らしくて、嫌になる。しかもどことなくねえちゃんに似てるからこそ、自分の体型が気になるのだ。うちの姉はプロポーション抜群だからな。




 レモにお化粧をしてもらって魔法学園へ出かける。二人で手をつないで歩いていると、なんだか周囲の視線が気になる。コソコソ耳打ちしあう人々の声に耳をそばだてると――


「見ろよ、絶世の美少女二人が手をつないで歩いてるぞ」

「なんとなくあの二人の雰囲気、友だちっつーより恋人っぽくないか?」

「百合!? いやまさかフィクションじゃあるまい……」


 実際に愛し合っているんだから、隠せるもんじゃねえ。


「レモ、急ごう」


 俺は彼女に耳打ちして、いつもより足早に学園へ向かった。


 毎日通って、すっかり慣れ親しんだ音楽室にて――


「頭から通してみよう」


「りょーかい! じゃ、省略せずに前奏弾くわよ」


 レモは手慣れた様子でチェンバロを弾きだす。


「ちょっと待って――」


 俺は申し訳ないと思いつつ、その演奏を止めた。


「あのさレモ、わりいけど前奏はせめて同じこと弾いてくんねえかな? 入るとこ分かんなくなりそうで怖いんだ……」


 レモは慣れてきたのか毎回、自分で変奏して違うメロディを弾くのだ。彼女はケロッとした顔で、


「バスラインは変えてないし、小節数は同じなんだけど?」


「いやでも本番は緊張するしさ、頼むよ」


 なるべくリスクは減らしておきたい。


「はーい」


 レモはしぶしぶといった様子で返事をしてから、


「同じこと繰り返してると退屈しちゃうのよね~」


 ぺろりと舌を出した。


「ついつい創意工夫したくなっちゃって」


 ぽりぽりと頬をかきながら言い訳する彼女を見ながら、俺はあきれるやら感心するやら、


「さすが、魔術創作クリエイションを授かるだけあるな」


 と苦笑したのだった。




 皇后劇場の関係者入口では、開けたままの扉の前でアーロン支配人が落ち着かない様子で待っていた。通行人の中に俺とレモの姿を見つけるなり駆け寄ってきて、


「ジュリアーナさん、今来たところ申し訳ありませんが、すぐに歌えますか?」


 母さんの名前で呼ばれるの、変な感じだな。


「あれ? 時間、間違えたかな?」


 遅刻魔の俺は不安になるが、レモが俺とアーロンの間に割って入った。


「鐘が二つ鳴る頃に控室で最後の合わせができるんじゃなかったの? まだ早すぎるくらいだと思うんだけど?」


 その通りだ。俺たちは午後最初の鐘を聞いてすぐに魔法学園を出てきた。ここまで半ときもかからない。


「申し訳ありません」


 アーロンは絹のハンカチでひたいをぬぐった。


「実は皇后陛下が午後、急遽きゅうきょお茶会の予定が入ったから、オーディションを早めてくれって」


「それならしょうがないわね」


 レモにしては意外なほどおとなしく引き下がる。貴族社会とは、こういうものなのかも知れねえな。


「ジュキ、歌えそう?」


 振り返って、俺を気遣うように優しい声音こわねで訊いてくれた。


「俺は全然問題ないよ。魔法学園でたっぷり喉をあたためてきたし」


「助かります! ではこちらへ」


 アーロンはそそくさと俺たちを関係者通路に招き入れた。戸口の守衛さんに片手を挙げて挨拶すると、細い廊下を先導して歩いていく。彼を追う俺の耳に、どこからか歌声が聞こえてきた。


「もうオーディション始まってるのか?」


「いいえ、控室でファウスティーナさんが声出し中です」


 前を歩くアーロンが振り返らずに答える。


「ファウスティーナ?」


「今日、あなたと一緒にオーディションを受ける歌手です。ほら、私たちが帝都に向かう街道で出会ったとき、私と作曲家フレデリックの馬車に乗っていた女性がいたでしょう」


 ああ、思い出した。ピンク髪の派手な雰囲気の女性が一緒だったな。


「彼女がすでに劇場にいるなら――」


 口をはさんだのはレモだった。


「ジュキじゃなくて彼女が先に歌えばいいじゃない。皇后様を待たせているんでしょう?」


「そうなのですが――」


 舞台のうしろと思われる暗い通路を抜けながら、アーロンは困った声を出す。


「ファウスティーナさん、今日は湿気のせいでのどの調子が悪いから、いつもよりウォーミングアップの時間を長くとらないと歌えないとおっしゃって……」


「わがままなのね」


 レモが冷たい声で切り捨てたとき突然アーロンが立ち止まったので、俺はあやうく彼の背中にひたいをぶつけそうになる。


「この幕の向こうが舞台です。正面のロイヤルボックス席には皇后陛下がいらっしゃいます。準備はよろしいですか?」


「皇后様が――」


 俺は小声で繰り返してから、目線を落とした。ふんわりとしたピンクベージュのスカートと、その下に履いた白いストッキング、エナメルの靴が目に入った。皇后陛下にお会いするのにまたこんな姿で―― いや、服装なんて関係ない。男の恰好をしていようが、女性のドレスを着ていようが俺は、俺の歌を歌うだけ。


「ジュキ、いつも通り歌えば大丈夫よ。あなたの声は美しいんだから」


 うしろからレモが励ましてくれる。振り返ると、彼女は黒革の楽譜入れを手に、わずかに硬い表情でほほ笑んでいた。いつも肝の据わったレモだけど、それなりに緊張しているんだろう。


「レモ、いつも俺を支えてくれてありがとう」


「こちらこそ想像もしなかった経験をさせてくれて、感謝してるわ。またとない機会だもん、楽しみましょ!」


 俺はごくりとつばを飲み込んで、しっかりとうなずいた。


 アーロンは静かに舞台幕を引いた。


「どうぞ」


 一歩一歩、木の床を踏みしめるように歩きだす。舞台の上には今日の伴奏用に、ポツンとチェンバロだけが置かれている。


 舞台は思ったより広かった。特に奥行きがある。なかばから幕が下がっているから、どれくらい奥まであるか分からない。


 舞台のへりにはずらっと灯りが並んでいる。まぶしいフットライトに目を細めて、俺は顔を上げた。


 ――すげぇ……

 

 感嘆のため息がもれる。眼前に広がるのは半円状に並んだボックス席。五階席の上には天井画――空色に塗られた空間を、神々や天使が中央に向かって飛んでゆく。天井の真ん中からは、見たこともないほど巨大で贅沢なシャンデリアが下がっていた。

 

 皇后様がいらっしゃるという真正面のロイヤルボックス席は、金箔で飾られ一際ひときわ豪華だが、深紅のカーテンが下がったままだ。


「クリスティーナ様、始めてもよろしいですかな?」


 俺たちに続いて舞台に出てきたアーロンが、思ったよりくだけた口調でロイヤルボックス席に話しかけると、深紅のカーテンがさっと開いた。若草色のドレスを着て髪を高く結い上げた女性が鎮座していらっしゃる――あの方がクリスティーナ皇后か。両側に控えるのは侍女だろう。


「陛下は待ちくたびれておいでです。さっさとお始めなさい」


 侍女の一人が張りのある声で答えると、アーロンはチェンバロの前に座ったレモに目で合図を送った。


 え、ちょっと、自己紹介とかないのか!? 俺は慌てて貴族女性の挨拶――カーテシーをする。レモがチェンバロ越しに勇気づけるようにほほ笑んで、前奏を弾き始めた。


 今の挨拶、ぎこちなかったかな? 俺は女の子に見えているのかな?


 ――どうでもいいか。すべては些細なことだ。音楽の前では。


 俺は一瞬、目を閉じて華やかなチェンバロの音色に身をゆだねた。俺は古代王朝の貴公子。信頼していた将軍に裏切られ、今、復讐を決意する――



─ * ─



次回、ジュキくんがオペラアリアを歌います♪

それは皇后様の耳にどう聞こえるのか? 皇后様視点の一人称でお送りします!

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