幕間★竜人族の村に先祖返りした赤ん坊が生まれた日【姉視点】

 朝早く起きて買ってきたパンに、酢漬けの野菜と羊のチーズ、それから塩漬け肉をはさんでお弁当を作る。何くれと世話を焼いて弟を送り出すと、急に静かになった部屋の中に一人きり、私は抜け殻のように座っていた。


「瑠璃色の髪のニセ聖女、か――」


 ぽつんとつぶやいて立ち上がる。とりあえずお湯を沸かしてハーブティーをれよう。


「ジュキちゃんの精霊力は計測不能なほど莫大なのに、それを封印した女……」


 いくらジュキちゃんが赤ん坊だったとはいえ、普通の人族に可能なわざとは思えない。


 静かな朝の時間、コトコトとお湯の沸く音を聞きながら、私は弟が生まれた日のことを思い出していた。




 十二番目の月の十二日目、それは一年で一番にぎやかな時期。冬至の精霊祭に向けて村の家々が色とりどりの飾りつけをほどこし、噴水広場に祝祭フェスティバル市場マーケットが開く季節。


 短い冬の日が落ちた夕方から雪が降り始め、夜半には一面の銀世界となった。


「お父さん、雪って本当に白いのね。初めて見たわ」


 冷たい窓ガラスに額をくっつけて、私は興奮していた。


 私たちの暮らすモンテドラゴーネ村は、雪なんてめったに降らないのだ。


「今夜は何か奇跡でも起こるんじゃないか」


 父の声に振り返ると、日に焼けたその精悍な横顔を、暖炉の火がオレンジ色に照らしている。


 奇跡は、本当に起きた。




「なんて、めでたいんだ!」


 助産婦さんから、産湯うぶゆで洗ったばかりの赤ん坊を受け取って、父は大喜びしていた。


「俺たちの祖先だって言われてる、銀色のたてがみを持つ真っ白い水竜の血がよみがえったようだ……! でかしたぞ、ジュリアーナ」


「ダニエーレ、私のかわいい宝物を抱かせてちょうだい」


 ベッドから伸びた母の腕に、壊れやすいガラス細工でも扱うかのように、父は赤ん坊をそっと抱かせた。


「生まれてきてくれてありがとう」


 一生懸命泣いている姿にいとおしさがこみあげてきたのだろう、銀色のやわらかい産毛うぶげに包まれた頭を、母はそっとなでた。


「赤ちゃん、見せて!」


 ベッド脇で一生懸命つま先立ちになりながら、五歳の私は弟の胸にかすかな傷跡のようなものを見つけたのを覚えている。今思えばあれは、閉じたままの竜眼ドラゴンアイだったのだ。




 先祖返りした奇跡の男の子が生まれたといううわさが駆け巡って、小さな村はすっかりお祭り騒ぎだった。


 だから翌日村を通りかかった聖女を、彼らはこころよく受け入れたのだ。


「生まれたての小さな命に祝福をほどこしたいのです」


 普段なら村人たちは、外部から来た者を警戒するはずだった。街道は私たちの住む丘の下――セイレーン族の漁村を通っているから、旅人が用もなく訪れる土地ではない。


「この聖石が一生この子を守り続けるでしょう」


 弟の小さな胸には大きすぎる宝石を埋め込んで、瑠璃色の髪の聖女はそう言った。


 オパールのようなその宝石が放つ七色の光に幻惑された私たちは、この石のせいで今後十六年間彼が苦しむなんて想像だにしなかったのだ。




 ◆




「あいつ、腕にうろこが生えてるだけでチヤホヤされやがって面白くねえよな」


「イーヴォさんの言う通りッス!」


「一発ぶん殴って分からせてやろう」


 村一番の悪ガキ・イーヴォとその子分ニコは、いつも私のかわいい弟を泣かせる機会をうかがっていた。


「ジュキちゃんに近付かないでよ!」


 私は毎回、台所から鍋やおたまを持ち出して悪ガキどもを追い払った。


 イーヴォが通りの向こうでかがんだと思ったら、私に向かって石を投げようと振りかぶった。


 ゴツン!


「こらっ、イーヴォ! お前何やってるんだ!」


 イーヴォのうしろから現れた近所のおっちゃんが、げんこつでなぐって止めてくれた。


「女の子に向かって石投げるとは何事だ!?」


「だってあいつ、包丁持ってるんだぜ!」


「ん?」


 薪を背負ったおっちゃんが私の方を振り返ったすきに、イーヴォとニコは坂道を走って逃げて行った。


「アンジェ……。威勢がいいね」


 おっちゃんはすっかり呆れ顔。今日はフライパンも鍋もおたまも母さんが使ってたから、包丁しか残ってなかったのよね~


 おっちゃんは苦笑しつつ、


「俺たち竜人族は帝国一強いが、だからこそ弱い者は守んなきゃなんねえ。それが本当の強さなんだが、あのガキゃあ年下の子をいじめるたぁ、まだ分かってねえな」


「そうよそうよ!」


 私はブンブンと首を縦に振って、


「子分に持ち上げられていい気になって。あいつの鼻っ柱、私がへし折ってやるわ!」


「無茶すんなよ、アンジェ。せっかく別嬪べっぴんさんなのに怪我でもしたら――」


「弟を守って受けた傷なら勲章よ!」


 こぶしを握りしめる私に、おっちゃんはおどけておびえるふりをした。


「ひえ~! その強さ、五分の一でも弟に分けてやんなよ」


「ジュキちゃんはふんわり可愛いのがいいの!」




 ◆




 十二歳になった私は魔術師匠のもとでの学びを終えて、父の仕事を手伝うようになった。数日にいっぺん村で採れた豆や野菜・果物を持って山を下り、セイレーン族の漁村で海の幸と交換するのだ。


 それ以外の日は弟と一緒に精霊教会へ通い、魔術師匠から習わなかった話を神父様から聞くのが、私のひそかな楽しみだった。  


「私たち亜人族の住む多種族連合ヴァリアンティ自治領には精霊教会があるように、人族のひとたちは聖魔法教会に通っているんだよ」


 身を乗り出す私とは反対に、弟はあくびをかみころしながら、


「ジュキ、きのう習った曲弾きたいな」


「よしよし。じゃあオルガンのふいごに風魔法をかけようね」


 神父様は決して、勉強を無理いしなかった。


 小さな弟は、うきうきしながらパイプオルガンの前に置かれた高い木の椅子によじ登る。小柄な彼の脚は、まだ足鍵盤には届かない。


 ドーロ神父は弟の白い手にやさしくふれて、弾き方を教えた。先祖返りした少年の指には鉤爪かぎづめが生え、指間にはうすい水かきがついていたから、彼が鍵盤楽器を演奏するにはちょっとしたコツが必要だった。


「神父様、聴いててね!」


 右手だけで簡単なメロディを奏でる彼の銀髪を、ステンドグラスから降りそそぐ光がやわらかく彩る。


「人族の地域にある聖魔法教会って、どんな教えなんですか?」


 弟の演奏を聴きながら、私はドーロ神父に尋ねた。


「聖魔法教会は異界の神々が人間を創り、聖魔法を与えたという教義を持っている」


 村一番の知識人である彼は、私の疑問にもすらすらと答えてくださった。


「我々の教えでは、四大精霊がこの世界の自然環境を創り出し、そこから植物や虫、さまざまな動物たちと同様、進化の過程で人間も生まれたと考えているだろう? しかし人族は、自分たちが直接神々に創造されたと信じているようだ」


「だから人族は私たちを亜人なんて呼んで、下に見ているんですか?」


 そのころ私はまだ人族を見たことがなかったが、魔術師匠からそんな話を聞いていた。彼女は若いころ、魔術師として人族の領土で働いていたのだ。


「我々竜人族だって、精霊王の血が濃いから『自分たちのほうが神聖な存在』と思ってはいないか?」


 神父様はおだやかな口調のまま、おっしゃった。


「先祖返りした姿で生まれたジュキくんに、過度な期待を寄せる人々も同じ理由だろう。本来、すべての生きる者たちに上も下もないのだよ」


 弟が片手でオルガンを弾きながら、小声で旋律を口ずさんでいるのが聞こえてきた。少年の透き通った声が、精霊教会の丸天井クーポラへ飛翔してゆく。


「なんだか、涙が――」


 凛とした教会の空気を揺らす幼い歌声に、私は魂が震えるのを感じた。


 ドーロ神父はやがて、弟に聖歌を教えた。水かきのついた小さな手で苦労して弾いていたオルガンと違って、歌はぐんぐんと上達した。




 ◆




「アンジェちゃん、おはよう。名歌手の弟くんは元気?」


 弟の美声は、冬至の精霊祭で歌ってから村中の評判になっていた。


「ええ、元気ですよ。まだ魔法は使えないけど……」


 私はついこぼした。ジュキちゃんは魔法がまったく使えないことに悩んでいた。私もまだ十四歳の子供だったから、弟と一緒に落ち込むしかない。両親だって心配しているから相談もできず、近所のおばちゃんたちに話を聞いて欲しかったのだ。


「魔法? そんなことどうでもいいわよ!」


 おばちゃんはけろっとした顔で、私の背中をたたいた。


「そうそう」


 と、もう一人のおばちゃんも深々とうなずく。


「ジュキちゃんのあの無邪気な笑顔と綺麗な声が、私たちみんなの癒しなんだから!」


 あれ? 深刻になって苦しんでるのって私と弟だけ?


「小さいころはジュキちゃん、ずいぶん体が弱かったけれど最近あまり寝込んでないわね?」


 そう。弟は食が細くて病気がちで、家族も近所の人たちも心配したものだ。


「もうすぐ十歳だし、身体もしっかりしてきたのかな」


 私の返答に、おばちゃんは目を丸くした。


「十歳!? あらぁ、まだ八歳くらいかと思ってたわ!」


「いつまでも小柄でかわいいわねぇ」


「真っ白くってちっちゃくて、かわいいわよねぇ」


 口をそろえるおばちゃん二人の横を、運悪く弟が通りかかった。竪琴を持っているから、海の見える高台で歌ってきたのだろう。


「こんにちは」


 ジュキちゃんは気まずそうに挨拶した。


 ここで無視したり、冷たいまなざしを向けたりしないから、いつまでもかわいがられちゃうのよね~




「ジュキちゃんたらモテモテなのよ!」


 暖炉の灯りで編み物をしている母さんに、私が今日あったことを報告しようとしたら、


「父ちゃんだって冒険者をやってた頃はモテモテだったさ」


 自家製葡萄酒で赤くなった父が割り込んできた。私が目を据えて文句を言おうとしたとき、それまで一人竪琴をさわっていたジュキちゃんが顔を上げた。


「冒険者時代の話、聞かせてよ! 父ちゃん!」


 亜人族の中でもひときわ大きな魔力を持つ竜人族は、冒険者になって稼ぐ者が多いのだ。小金を持って村へ帰り小さな家でも建てれば、残りの人生は家庭菜園かこじんまりとした商店でもやりながら、ゆっくり家族と過ごせるというわけ。 


「よーっし、じゃあ今夜はメタルゴーレムを倒して、貴重な魔金属素材を持ち帰った話をしてやろう!」


「メタルゴーレムって強いの?」


 おっとりと尋ねるジュキちゃん。首をかしげると白銀の髪がさらりと額をすべり、暖炉の炎にきらめくエメラルドの瞳を引き立てる。


「あなた、あまりジュキちゃんを刺激するような話をしないで」


 編み物の手を止めて口をはさんだ母に、


「俺、父ちゃんが冒険者時代にどんなバトルしてたか聞きたいのに」


 ジュキちゃんはふくれっ面。


「冒険者稼業っていうのは、魔物と渡り合う危険な仕事なのよ」


 言い聞かせる母に、ジュキちゃんは口をとがらせてうつむいた。伏し目がちになると銀色の長いまつ毛が一層、際立って見えた。


 話の流れが分かっているのかいないのか、父は葡萄酒をぐいっと飲み干し語った。


「ジュキ、冒険者ってなぁ熱い仕事だぞ。仲間と寝食を共にして、助け合い命をかけて魔物に立ち向かうのさ!」


 


 今思えばジュキちゃんは、まだ知らぬ世界を冒険したいと、あの頃からひそかに夢見ていたのよね。優しいけれど芯の強いあの子の意志を、私と母が変えることなんてできるわけなかった。


 あの子本来の力が無限の精霊力なら、何か大きな天命を背負って生まれてきたのかもしれない。


 だけど―― どんなに強大な力を手にしても、やっぱり私のかわいい弟。もう誰からも守られる必要なんてないのだろうけれど、私のところに帰ってきたら、いつでも抱きしめてあげるからね。






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次回はヒロインが登場します!

お話の舞台は聖ラピースラ王国に移り、いよいよストーリーが動き出します。


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明日からもよろしくお願いします。

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