安寧の祈り(2)
白銀の光が春明の銀色の髪をなびかせ、空へと滑り、五芒の星が朱色の空に輝き描かれる。
迎え撃つように、帝の手の内で勾玉が鈍く光を放った。崩れた
龍の尾が揺すり振られ、鬼たちが腕を振りかぶったのを、十二の星から迸った
が、その隣で優雅に唇が笑みを結んだ瞬間。獣の首筋から背骨にかけて、鏡の破片が串刺しに貫いた。
陽炎のようにゆらめいて、猛火が消える。と同時に、鏡の破片が氷となって鋭くふたりへ降り注いだ。
それを、中空に結び編まれた糸の盾が受け止め防ぐ。合わせるように春明が口元に添えた指先へ息を吹きかければ、とたん、風の刃が唸り生まれ、大樹帝と
その轟音を背後に、春明は眼前の、厳かで、しかし沈痛に翳るかんばせを静かに見据えた。彼らの足元は、内裏の中心たる正殿の屋根。その下で、彼はどの御代の帝より真摯に
「――大樹帝。あなたほどのお方が、なぜこのような愚挙に力をお貸しになったのか、伺いたい」
赤黒い澱んだ風に、なお清らかに長い銀糸が泳ぐ。問いただす金色の双眸に、いまだ消えぬ敬意の念を見て取って、帝は薄く笑みをたたえた。
「この世を守るのに、嫌気がさしたのだ。大樹の帝といわれようと――この手を慕って握る赤子の、やすらけき明日ひとつ守れない」
とたん、正殿を突き崩して巨大な枝が猛り伸びてきた。それを避けたところに、
勾玉が、大樹帝に力を与えているのだ。
「このままこの世を滅ぼしては、それこそ親王の御身は守れますまい! お眠りになったまま、目覚めないのをご存じか?」
「ああ。知っている。私がそうした。――苦しみを得ぬまま、終われるように」
優しくいつくしむ音色に、春明の狐の耳が疑念のままにぴくりと震えた。
「なぜ! 幼き我が子の行く末を、摘み取るようなことをなさるのです!」
赤子の相手をしていれば、多くは自然に願うものなのではないだろうか。――幸せに、大きくなれ、と。まして父親ならば、より強く、抱くものなのではないだろうか。
「行く末が、辛きものだと分かっていて、与える方が惨くはないだろうか?」
瓦礫となったが正殿が、瑠璃色の輝きとともに組み変わる。龍の姿となって、伸び来る大樹の根や枝とともに、うねりながら牙を剥く。
どちらも覚えのある姿。覚えのある形だ。
(安寧を、望み、守っていた)
内裏のうちでの安寧を。御垣の彼方での安寧を。
なびく銀色の髪から滑るように走った光が、龍を貫き氷漬け、別の一筋が枝や根を切り払う。
「帝……あなたが求める安寧は――明日のない滅びなのですか?」
宝戟の嵐を炎が焼き焦がす。その白銀が溶け爆ぜた灰が舞い落ちる向こうで、大樹帝は悲しげに微笑んだ。
「苦しむと分かる明日ならば、ない方がいいだろう? いま、なにも知らぬ
普段はいつくしみをたたえる優しい視線が、憂いた溜息とともに重く落とされた。
「親王はまだ生まれたばかりだが、
春明は、すぐには言葉を返せず、黙ってそれを受け止めた。
おそらく――彼が愛した桐壺皇后の元に生まれた娘と息子は、この先成長しても、憂き目を見る方が多いだろう。
いずれ藤壺中宮の元には、子が生まれるだろう。しかと星を読み解いたわけではないが、
そうなれば、桐壺皇后の元の宮たちは、邪魔になる。だから、権力どころか、権威からも栄華からも遠ざけて、ひっそり寂しく、生かされるのだ。殺されはしない。だが、生きることに、なんの喜びも、楽しみも見いだせないような――気力を削り、魂を殺すような生かされ方をされるのだ。
それは、早く明日を摘み取ってほしいと、日々願うような辛さかもしれない。
「――私の娘や息子ばかりではない。
優しい目元が、虚ろに微笑んだ。
「昔語りの神々は、情の《澱み》を糧に這い出る化生を厭うて黄泉に封じ、天に昇ったという。我らを守り手として、捨て置いて。だが、この世には苦しむ民の生む《澱み》と化生が蔓延り、もはや御垣か黄泉かの区別もつかぬ。いったい、なにから、なにを――この地で守れというのだ?」
「――それでもあなたは、今日まで明日を守って
あえて、その尊称を呼ぶ。人ならざる金色の双眸が、まっすぐに臣下として、人の世統べる帝を仰ぐ。
しかし――帝はゆるやかに
「守れぬ方法で守ろうとあがくのは……もう疲れた」
瑠璃の勾玉の上で光がさざ波のように揺らめいた。
「確実な方法で苦しみから守りたいのなら、安らかに終わらせるのが一番――失敗のない安寧だ」
この行く末に広がる、あらゆる不幸を遠ざけられる、もっとも間違いのない方法。
「春明、私たちはやすらけく眠る。この世は
清らかな青い光が、大樹帝の手の内から迸りかけた――その時。
「勝手に譲らないでよ」
紫の光の糸が、天地を縫い留める雨のように降り注いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます