《肆》 安倍春明トソノ友ノ未来ニ纏ワル幾ツカノ事

帝の添え星(1)




「おい」

 うたた寝から目覚めれば、天井の代わりに、仁王立ちで覗き込む春明の顔が逆さまに飛び込んできた。ふにゃりと玄月は、よりその口元をしまりなく緩める。

「やぁ、おそよう、春明。よぉく寝たね」


 ひと月。そう、あの雨上がりの夏の夜からひと月経っていた。暑さはまだ残り、空気の端々に立ちこめるが、空の雲の色はもう秋の訪いだ。夏越なごしの祓えも近い。


 その間、春明はこんこんと眠り続けていたのである。食事も、水も、必要とせぬまま。汗ひとつ、呼吸ひとつ、こぼさないまま。

 それでも、生きていることは分かった。けれどその姿はまるで――凍りついた死体のようだった。


 その時感じたうすら寒さを見せないまま、玄月はやんわりと双眸を笑みに緩めた。


「……大変だったんだよ? 君を邸に連れて帰ってさ、とりあえず、ちゃんと寝かせてさ。そのあとだよ、そのあと。式神を君に化けさせて、ずっと君の不在を誤魔化してやったのは俺だよ? 感謝してほしいよね。桂木殿に呼び出される用向きの時なんかハラハラしたけどさ、なんとかばれなかったみたいだし」


「師匠は気づいていたようだが?」

「嘘! 俺、見破られてたのに泳がされたの! それはそれでなんか抉られるような心地!」

 冷静にふった春明の言葉に、玄月は大袈裟に騒ぎ立てた。その様は、春明がひと月も眠る前と変わらない。


 そう。まるで、変わらないのだ。だからこそ――春明は小さく唇を噛んだ。


「見破ったが、私をあそこまで似せられる者などお前しかおるまいと、見過ごしたらしい。どうも……私とお前が裏では親しくしていること、師匠は薄々感づいていたようだ」

「う~ん、やっぱり天下の陰陽師の師匠はたばかれなかったかぁ」

「どんな事情かは知らぬが、そうせざるを得ないのだろうと思われたんだろう。だが、お前の元を訪れたのは、そんなつまらぬことを話すためじゃない」

「いや……君の謎の一か月睡眠、十分話し合うべき重要事項だと思うけど」


 差し挟まれた申し立てに、春明は片眉をつり上げた。

 もっともな言い分ではある。が、春明には今、なによりまず、彼に問いたいことがあった。それをやむやにさせはしないと、どかりと春明は彼の隣に腰を下ろした。


「玄月」

 深く息を吸い、腑抜けを装う笑顔を覗き込む。

「あの日、操られていたあいだのことも、覚えている。だから、お前の隠し事も、もう、知ってる」


 玄月の瞳が、驚愕に見開かれた。やはり、ばれていない気がだったか、と嘆息する。


「……無逸のことで、心乱れたのは、確かだ。お前に気遣わせたのも、仕方ないと思っている」

 あまりに唐突で、あっけなく――重たくのしかかってきたものだから。親しく心のうちに招き入れた者との、初めての別れであったから――。


「……けれど、そんなに、私は頼りないか?」

 かすか寂しげに、春明の眼差しは問う。玄月は思わず言葉を詰め、すぐにやわらかに苦笑を溶かした。

「……ごめん。そんなことは、ない。ただちょっと、俺にも、覚悟がいっただけなんだ」

 緩慢に、玄月は身を起こした。春明へとまっすぐに向き直る。


 いつか、病のことも、迫る天命のことも、隠し切れなくなるとは分かっていた。それなのに誤魔化したのは、たぶん、優しい彼の、妙な気遣いを受けたくなかったからだ。いつものように、手厳しく、辛辣に、あたたかなやり取りをし続けていたかった。そんな己の、贅沢な我が儘で、友を少々見くびってしまったらしい。


「――……目覚めてすぐ、星を見た。お前の行く末を、この目で見定めたくて」

 あさぼらけの淡い夜空。まだ霞がかってはいながら、だいぶ見通せるようになっていた、星の光。そのうちに、もはや隠しようもなくはっきりと現われていた。玄月の天命の果てが――。


「その身の病はいつからだ? 本当に――もう、駄目なのか?」

 平坦に、抑揚なく。いやおうなく翳ってしまった声音は、それでも冷静だった。

 玄月は、微笑む。


「分かってるだろ? 星が俺の最期を示すのは、病のせいじゃない。たまたまそれが終わりの形としてあてがわれただけで、俺の天命は……病じゃなければ、別の形で、もう、長くないんだよ」

「それでも、その病の元を祓えば、なんとかなるかもしれないだろう?」

 たたみかけるその言葉が、到底な無理なことだと、春明こそ理解していた。


 星の示す未来には、不確かなことと、定まったことがある。変えようのないもの、あがきようのないもの――そう指し示されていれば、過程があまた変わろうと、辿り着く結末は変わらずひとつだ。

 だが、分かっていてなお諦め悪い友へ、玄月は嬉しげに笑みをひいた。


「病の元を断つことは、もちろん俺も賛成だ。俺ものんびり、君の目覚めを待っていたわけじゃない」

 春明の言葉を受け止めながらも、無為な押し問答はしないよ、とばかりに、話の方向をそれとなく変える。うやむやに流しさるのではなく、まるで、口元に優しく指を立てて制するように。

 そう出られてしまえば、春明としてももう、駄々のような質問は重ねられない。

 押し黙った春明に、玄月は肩を揺らした。


「春明、いいかい? 君は俺の天命を見ようと、星見をした。だから、他のことが吹っ飛んじゃってたかもしれないけどさ。もっとでっかい異変が見えてたと思うよ? たぶん、その異変を起こした奴が、いままで星を見えづらくさせてたんだ。よく思い出してほしい。春明、君は、ナニが見えた?」


 波立つ春明の気持ちをなだめるような、穏やかな声音。春明はそれに誘われるままに、目を閉じた。

 眠りから覚めてすぐ睨み据えた、ほぼ明け方の夜空の光を辿る。まがいようなき、友の行く末の終わりに、茫然とする前。胸に空いた風穴を必死に塞ごうと、立ち尽くしていた前に――


「……お前のせいで、とんだ腑抜けになっていたらしい」

「人のせいにしないでほしい」

 静かに開いた春明の瞳に、唇を尖らせる玄月が映る。だが、春明はもちろん詫びなど口にはしてやらなかった。


 玄月が己が天命を包み隠したりしなければ、春明も心の準備や整理が出来ていた。だから、重大な予兆を見とめながら、友の事ばかり気にかけて、すっきりすっかり頭のうちから消し飛ばしてしまった――などという、失態を冒すことなどなかったはずなのだ。――おそらく。


「大樹帝の星が、翳っていた。いや――翳っていたのではなく、添え星が……光を増していた。まるで、その輝きを奪うかのように」

「やっぱ、あの星、君にもそう見えたか……。――まずいな、これ」 

 神妙な春明の言に、玄月の横顔へ、明確な焦りがさした。


 この地を治める大樹の帝。その星が翳りを待つ前に、添え星が光を増すということは――大樹帝の御代と帝位の転覆をもくろむ者の台頭を示す。要は、反乱の予兆だ。




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