辻狼(1)


 どうしたものか、と無逸は分厚い雲の向こうを見やった。

 後ろには、ぎゅっと包みを抱きしめた少女がついてきている。


 師匠の用事を済ませて帰ったら、鍛冶場の前に彼女がいたのだ。兄弟子の妹で、師の元にあった遺品を引き取りに来たという。言われれば、垂れた優しげな目元が兄弟子に重なった。


 年の離れた妹がいるとは聞いていたが、後ろの少女の年のころは、十を過ぎたほど。兄弟子は二十の半ば過ぎであったから、父子といわれても不思議はない。実際、我が子のごとく可愛がっていたようで、たまに聞いた話の端々だけでも、仲の睦まじさは伝わってきていた。


 葦のように細くしなやかな手足は健やかに日に焼けているが、元が白い性質たちなのだろう。頬から鼻筋に広がるそばかすが愛らしい。しっかりした様子だが、宇治の里からひとりで洛中までくるのは不安が残る齢だ。

 それなのに、彼女はひとりでここまでやって来たという。父母は辻狼を恐れて里を出ず、彼女にも出歩かないよう言って聞かせていたらしいのだが、奔放にも、飛び出してきてしまったそうだ。


 兄の作りかけた、裁縫用の鋏をどうしても手にしたかったという。

 法要のため里に帰った際、兄弟子は彼女に言ったらしい。――今、お前のための鋏を作ってる。次に帰る時に持ってくるよ――と。

 それは叶わず、そのまま兄弟子は戻らぬ人となった。そして、妹と作りかけの鋏が取り残された。


 作りかけでは、早く引き取らなければ処分されてしまうかもしれない。そう案じて、居ても立っても居られなかったようだ。

 それにしても化生がうろつく中、よく出かけようという気になれたものだ。そう、見かけによらぬ豪胆さに無逸は驚いたが、どうも、一度無事に済んだことが、彼女の中で自信になってしまったようだった。


 鍛冶場で出会いがしら、彼女は深々と頭を下げて、兄を埋葬してくれたことに礼を言った。埋葬の旨は里の者に伝えたが、彼女と顔は合わせていないはずだった。そう訝った無逸が尋ねるより前に、彼女は告げたのだ。見ていた、と。


(あの時感じた視線は、この子だったんだな……)

 里の外の者が埋葬してくれると聞き、感謝すると同時に、不安に思った。そして何より、最期に一目、どんな兄でも会いたかった。

 だから彼女は大人に黙って里を抜け出し、埋葬場へと駆けたのだという。そして無事に、あの黄昏時を家路についた。


(まあ、それは運が良くてなによりなんだが……)

 だから次も大丈夫とは限らない。化生が祓われたわけではないのだ。安易な安心を抱くのはいかがなものかと思えたが、一回の大丈夫だったという体験は、百の苦言の制止より、彼女の背を押したのだろう。


 とはいえ、夕暮れ時は気にしているようで、日が暮れる前に帰ると、無逸に礼を告げてすぐに踵を返した。そんな彼女を、つい、無逸は呼び止めたのだ。送っていく、と――。

 無逸にもふたり、妹がいる。下の妹が、ちょうど彼女と同じぐらいの年頃だった。兄の鋏と少ない遺品の包みを、ぎゅっと胸元に守るように抱きしめている彼女がいじらしく、捨て置けなかった。


(……まあ、俺がいるからって、なにが出来るわけでもないかもしれないが……)

 少し待たせて、玄月あたりに声でもかけ、来てもらえばよかったかもしれない。いまさらにそんなことを思う。

 その方がよほど何かあった時に安全だし、道中も賑わっただろう。

 無言で歩みを進めながら、無逸はまた雲を睨みやった。


(失敗したな……)

 会話の種が、あまりにない。兄弟子のことを話すにも、いい人だったぐらいしか上手く言葉を紡げない。悲しみに触れぬよう話題にする技量も、自分にはなく思えた。子遠や玄月のように、人好きのする空気でもなければ、口の達者な方でもないのだ。


 いまはちょうど、洛中をやや離れたあたり。まだ、戻れる距離だ。

 無逸が立ち止まり、振り返るのと、いつの間にかそばに駆け寄っていた少女が無逸の袖を引いたのは同時だった。

 お互いきょとんと見つめ合い、しばし無言が流れる。困って、無逸は首を傾げた。


「……どうした?」

「あ、あの、ここまででいいって、言おうと思って。なんだか雨、降りそうだし。もとからひとりで帰るつもりだったから。それにもし送ってもらったら、お兄さんが帰る時、夕方になっちゃうし……」

「ここで引き返してひとりで行かせて、お前に何かあっても後味が悪い」


 一人前に気遣う幼い面差しに、ぶっきらぼうに無逸は言った。それはその年で遠慮をするなという思いからなのだが、どうにも無逸のそれは伝わりづらい。勝手知ったる友たちの誰かだったならいざ知らず、当然少女には通じず、彼女は叱られたのかと困ったようにまごついた。

 ずっとだんまりで歩いていたのもあるのだろう。ずいぶんと委縮させてしまっているようだ。


 まいったな、と頭を掻きやり、無逸は常に妹たちにしているように、膝を折って少女に視線を合わせた。


「悪い。怒ってるわけじゃない。ただ、ひとりでは行かせられない。とはいえ、俺が一緒でも何かあった時に助けられるとも思えない。だから、ちょっと悪いが、俺といったん戻ってくれるか? 頼りになる友人がいるから、そいつを連れて一緒に帰ろう」

「でも……戻るにはちょっと、お腹すいちゃった……」

「あのな……」


 呆れた溜息を、柔らかに無逸はこぼした。大人びた不要な気の使い方をするかと思えば、年相応の子供じみた理由でもじもじとごねる。

 ちょうどそういう境目の年頃だな、と、妹たちの小憎たらしく可愛らしい様を思い出しながら、無逸は懐を探った。


 貰った梨が、まだそのままになっていた。それでも齧らせながら、来た道を戻ろうと思ったのだ。

 梨を取ろうとした指先に、かさりと別の乾いた感触があたった。紙だ。

(そういや、これもそのままにしてたな)

 先日、春明からもらった魔除けの符だった。簡易なものだと言っていたが、ないよりはずっといいだろう。なにせ、安倍春明の手製の符だ。

 梨のついでに、符も取り出そうと無逸が指を伸ばした――瞬間。


『もうし』

 背後から、声がした。



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