天運の行く末(2)
より分け終わった薬草を筵ごと端へよけながら、器に煎じた薬湯を、玄月の顔の前にとんと置く。
「それで実際、具合はどうなんだい? 僕は無逸みたいに目端も利かないし、春明みたいな力もない。だから普通に元気そうに見えちゃうんだけど……ちゃんと食べてる?」
「正直なところ、かなり食欲がない。酒の肴なんかは、味が濃いから食べやすいんだけどね。味がうっすら感じられるから。酒も水より飲みやすい。匂いで誤魔化されるからかな」
だから春明の邸でも、元気を装い飲み食い出来ていたのだろう。あまり無理は褒められたものではないが、現状、何も口にしないよりはましである。暴飲暴食を装ってみせた先の虚勢は、不問にふすよりない。
「でもなんか、穀類とかは、細かい粘土を咀嚼して飲み込んでるみたいで、えらく不快でね。どうも食べる気が起きない……」
指先で薬湯の器のふちを、つんつんと突きながら、玄月は細い眉を寄せた。
「それでもこの薬湯がくそまずいのは分かるんだから、すごいよね」
「ちゃんと飲んでね」
是以外の返しを許さぬ笑みに、玄月は乾いた笑いとともに視線を泳がせた。が、無言の圧に観念したらしく、意を決して一気に薬をあおる。
「……まっず……! こんな邪念の塊みたな味をしてるくせに、飲んだあとしばらく気分が良くなるのが本当に意味わからない。なにを混ぜてるの?」
「うん、まだ元気そうでよかった」
悪態を右から左へ流し、中身がちゃんと空になっているのを確認してから、子遠は器を引き取った。
べろべろと舌を空気に触れさせて味を逃しながら、玄月が呻く。
「まあ、この失意と悪意を混沌で混ぜ込んで泥にぶち込んだみたいな薬のおかげで、一応、なんとか具合は誤魔化せてるんだけどさ」
「もう少しありがたみを感じさせる喩、できない?」
「それでもなお、寝れないせいもあってか、だるさと食欲のなさがどうにも抜けなくなってきたんだよなぁ……。確かに、痩せはしたかもしれない」
ごろりと寝返りを打った玄月の手が、その顎の線をさすった。
気づかわしく見やる子遠の目には、その姿は春の頃と変わらず見える。だが、それは術で見せかけているだけのまやかしだ。実際は無自覚に無逸が指摘し、当人が認識しているとおり、細くなってきているのだろう。
ごろごろと怠惰に横になっているのも、好き好んでしているわけではない。当人の瘦せ我慢と以前からの態度のせいで春明をして悟られていないようだが、結局は、きちんと身を起こしているのが辛いのだ。
(……こんな薬湯じゃ、気を紛らわすぐらいにしか、ならないものな……)
子遠は、つんと鼻刺す臭いの残る器に、やるせない溜息を落とした。
玄月が
ふらりと現れ、なんの話し出しの前触れもなく、「雨が続くね、そういえば――」といった調子で、病にかかったのだと切り出してきたのだ。あまりに唐突で、思いもかけなくて、正直その前後で、彼とどんな会話を交わしたかはあまり覚えていない。
ただ、春明や無逸にはまだ伏せていてほしいと頼まれ、少しでも、症状を和らげる手伝いを頼まれた。秘密にしておくことは多少気が咎めたが、病状の緩和は頼まれずとも力を貸した。けれどあまりに――
(出来ることが少なすぎる……)
この病は、不治の病だ。どれだけ手を尽くしても、すべてが気休めにしかならない。
眠りを失くし、食を忘れ、苦しみに落ちて死んでいく。そういう者をいく人も見送ってきた。だが、どれだけ重ねても、己が無力の虚しさと口惜しさには慣れない。まして玄月を、そんな気持ちで看取りたくはなかった。
それなのに、目の前に一見健康的な風貌でごろりと横になる男は、笑って言うのだ。
「そういや、最近とうとう咳が出てきた。まだ羽根は吐いてないけ、ど」
「やめてよ」
どんな心地で言っているのか知らないが、子遠はひとまず、人の心を素知らぬ振りする微笑みを、頬ごと柔らかく引っ張っておいた。
痛い、と切なげに呟いて頬をさする玄月に、切なくなるところはそこなのかと苦笑する。
「でも、俺の身の上の症状は置いておいて、子遠が聞いてくれた羽根の話は気になっててさ。吐くのは黒い羽根、なんでしょ? 《四つ羽根の烏》を連想させられたんだよね……」
「天帝の化身の?」
「そう。御垣に大樹を植え置いて、天へ帰った神々の頂点。その御柱が地に戻られる時に取る姿さ」
化生がすべて祓われ、地の底深き黄泉へと消え、地上に安寧が訪れた時、天に昇った神たちは、地に戻るのだとされていた。その時、神々を率いて、地へと舞い降りてくるのが、天帝の化身たる《四つ羽根の烏》だというのだ。
だから、四枚の羽根で描かれる烏は瑞獣の文様として珍重されているし、烏の飛翔を吉兆と占うこともままある。そしてそれこそ、烏の黒い羽根が門前に落ちていることは、瑞兆とされた。
「これが呪詛にしろ、化生の仕業にしろ、どうして吐くのが黒い羽根なんだろう、とね……ちょっと気になってるんだ」
苦しみ尽くした病の果てに、吉兆を己が吐いた血の中に見るとは、悪趣味にもほどがある。
「たとえ不審な気配がいまなお感じられなくても、この流行病が、意図的に引き起こされてるものなのは、もう間違いない。だとしたら、偶然黒い羽根を吐くようになった、っていうのも考えづらいからさ。なにか、思惑や理由があって、そういう症状が現れ出るようになったんだ。そこが紐解ければ、どんな化生が裏にいるのか、分かるかもしれない」
「化生、なのかい?」
呪詛の可能性も口にしながら、最後、化生とほぼ断じたような玄月に、思わず子遠は首を傾げた。そこで、思考が綴るに任せて言の葉を口にしていたことに気づき、玄月は己に肩をすくめる。体調のせいにはしたくはないが、多少、気が緩んでいた。
「確証があるわけじゃないんだ。だから、断言はできない。でも……実際自分がこの病にかかって、ここまで症状が進行してきたことで、なんとなく感じることがあるんだ。これ、春明にもまだ話してないんだから、特別だよ?」
悪戯めかして、玄月は口端を引き上げ、子遠を仰いだ。仕草と口調ばかりは、幼子が秘め事を共有するような心躍る風情があるが、内容はいただけない。
困り顔でなんともやりどころのない笑みをたたえた子遠に、ごめんと苦笑して、玄月はすっとその射干玉の黒に真摯な色をひいた。
「これは呪詛じゃない。化生の方だと思う」
透き通る声が、じわりと重い湿度の空気を貫いた。
「感覚的な話しなんだけど、この病、内側から壊されて、身体に宿る活力を持っていかれている感じがするんだ。呪詛は基本的に、対象を害することが主眼だから、壊していくだけなんだよね。でもこれは、奪うために、壊している気がする」
掲げた己の腕を、玄月はそっと見つめた。
「――喰われてるんだよね、たぶん。病を通じてさ……」
だから化生だと、玄月は判じたのだ。
彼の瞳に映る手首は、子遠にはなんら変わりなく見える。だが、実際はどうなのだろう。触れたとて、術に感覚を欺かれ、分からない。だが、喰われていると思うほど、痩せ細ってきてしまっているのだろう。
それを突き付けられずに済んでいることが、子遠にはわずかながら救いだった。直視するには、まだ覚悟が足りない。
「……化生を倒せば、その病に喰われたものは元に戻るのかい?」
一番気になることを、あえて淡々と、穏やかさを繕って子遠は尋ねた。
望む気持ちで負荷をかけないように。けれど、隠しきれず、縋るように――。
その彼らしさにくすぐったげに微笑んで、しかし正直に、玄月はゆるりとぼやいた。
「そこはまあ……天運しだいかね」
空を撫でるように玄月は滑らかに手のひらを閉じる。いつのまにかそこには、五芒の星が描かれた符が握られていた。
霞む天の星を見るように――玄月は、手にしたその星を、ただじっと眺めやった。
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