藤の支配者
◇
「春明」
陰陽寮の
大樹に寄り添い巻き付く藤の一族――。その中でも最も位高い、一の人がそこにいた。
陰陽寮に隣り合う
「私を見てそう露骨に嫌な顔をするのは、そなたと
「最近は、中宮も、と伺っておりますが」
「痛いところを突く」
近ごろ娘の露骨な反抗期に手を焼いている
「定周殿が配流にでもなりましたか?」
「甥の不幸で私が浮かれていると思われるのは心外だ。配流は決まっておらぬよ、まだな」
優しい叔父を気取りきらない声音は、「だが良く転びはしなかろう」と無情に甥の行く末を断じた。
「桂木も、これで少しは胃痛が改善するのではないか? ほれ、なにかと気にしていただろう。あの定周の使っておった田舎陰陽師を。そなたに並ぶ力の持ち主などと、一部の者たちの間ではもてはやされていたようだからな。しかしその実、そなたの目からはどうだったのだ?」
ありふれた好奇心から慶長は尋ねているようだが、どうもその常の人柄から、裏を勘ぐってしまう。
狡猾な蛇のような細い瞳を、春明はじっと伺いみた。
一見ひょろりと瘦せて見えるが、重ねた直衣に着られることもなく、威風堂々とした様は、さすが都を牛耳る
望むものをすべて手に入れた者の高慢な余裕が、この男にはまた優雅に似合った。
「特段ご進言するほどのことではありませんでしたが、間違いなく、噂に違わぬ力は持ち得ていると思いますよ」
春明の淡々とした答えに、慶長は意外そうに目を見開いた。
「ほぉ……それは思いもかけぬ……いや、ならばよかった」
慶長の前でも歯に衣着せぬ春明の飾らぬ評は、一言で、玄月の実力を誤りなく彼に理解させたようだった。
「噂通り、双璧の名に恥じぬ術師だったというのなら、定周めが呪詛などけしかけさせる前に、余計なことをしでかしてくれたこと……天運に感謝せねばな」
此度の定周の失態で、桐壺皇后の皇子の立場はおぼつかなくなった。ここで藤壺中宮が懐妊し、男宮でももうければ、それこそ満ち足りた、欠けることなき栄華を手中にできるだろう
「慶長さまの願い通り、事は進みゆきそうで何よりですよ」
「――そなたの目には、そう行く末が見えているのか?」
心のまるでこもってない粗末な世辞を、そのまま流さず、慶長は悠々と湛えていた笑みを引っ込めた。
「私の願いは――我が血筋の安寧は、もはや揺ぎないものなのか?」
「……星見をご希望ならば、占いますが?」
常の人を食った調子が抜け落ち、どこか切々とした面持ちを春明は訝った。だが、慶長はふっと口元を緩めて、首を振るう。
「……いや、よい。そなたのごとき星読みの術を持たぬながら、私は己が直感は信じる方でな。近ごろ妙に胸騒ぎがして落ち着かぬゆえ、つまらぬところが気にかかったのだろうよ。まあ、私が身の上の星見はよいが、殊、いま世情は不安定だ。行く末不穏の兆しあれば、すぐに奏上せよ」
「――承知いたしました」
言うだけ言い置いて、春明の返答は背中で受け、慶長は去っていく。
だが、ここ数年の都の有様を振り返れば、彼の不安ももっともだ。それに、運を味方に、比類なき栄達へと駆け上った男の直感というのも、安易に捨てる気にはなれなかった。
(だが――……)
承諾はしたものの、春明にはいま、星は翳ろって見える。射干玉の夜空に煌めく、星の瞬き。それが意味するところを、読み取れない。
(――玄月に、聞くか……)
漆黒に螺鈿を散らした星の瞳。春明よりも、ずっとよくナニカを見つめられる、不世出の黒。
懐から取り出された符が、そっと吹きかけた吐息とともに曇天に昇って消えていく。
今日は朝から、空は重く灰色が垂れ込めている。苛烈な日差しが一時遠のいてくれているのは助かるが、空気はいまだ熱を持ち、じんわりと湿度とともに纏わりついてきていた。
呼吸のひとつも気怠く苦しい、いやな気候だ。
雨に変われば、少しは涼しくなるだろうかと薄い期待を抱きつつ、春明は清涼殿へと向かった。狐の姿を見かけたと騒ぐ貴族が出たせいで、吉凶を占わせられたうえ、祓い清めの儀式を仰せつかってしまったのである。
(貴族連中はいつも事を大きくして仕事を増やす……!)
腹を立てつつも、いつものように適当に占い、他の陰陽師に儀式を押し付けられなかったのは、怪異の主が狐であったからかもしれない。
(……よもや、な……)
もはや夢でしか見ない白銀の影を振り払うように、春明は歩みを速めた。
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