春明邸で歓談を(4)
「俺としてももう少し顔を出したいところではあるんだが、師匠の貴族嫌いが相変わらずでな。左京に出入りすると何かと面倒くさい。悪いな。ただ……今日はちょっと急ぎ耳に入れたいことができたんだ」
無逸の静かな声は、そこで翳りと共に重く沈んだ。春明が訝しげに眉を寄せ、騒いでいた玄月と子遠が振り返る。
「一昨日……兄弟子が亡くなったんだ」
無逸は鍛冶見習いとして、洛西の片隅に両親や妹とともに住んでいる。彼はそこから師の元に通っているのだが、洛外の里から住み込みで働く弟子も何人かおり、亡くなった兄弟子というのも、そうした住み込みの青年だったらしい。飲み込みが良い愛弟子で、無逸も特段親しくという間柄ではなかったが、世話になることも多かったという。
その彼が、宇治の方の生家へ一時、
まったくの行方知れず。どうしたことかと首を捻る使いに、里の者が震えながら言ったのだそうだ。
「《
「辻狼?」
「聞かぬ話だな……」
首を傾げる玄月と春明と違い、子遠は思い当たる節に、はっと顔色を変えた。
「ついこの前、聞いたよ。洛外の方で化生の類が人を殺めて回ってるって」
子遠にその噂話を伝えた患者は、だから洛外へ行く時は気を付けるよう、注意を促してきた。心遣いは嬉しいが、そうした化生の話は虚実定かではないまま、山のように沸いては消えていく。正直、子遠はその時は、話半分に聞き流してしまっていた。
「犠牲者が出ているのは間違いがないようだったから、どちらかというと僕は、また質の悪い野盗でも出たのかと思っていたのだけど……」
「俺も昨日、使いから帰った奴の話を聞いた時はそう思った。人を殺すのは、なにも化生だけではないからな」
華々しい大樹帝が都のうちといっても、火付けや強盗、乱暴狼藉騒ぎなど、ありふれたものだ。不慮の事故や事件による死は、時に貴族にとってすら珍しくも映らない。ましてや庶民の間で――しかも都の囲いの外で起きた事件であるならば、人が死んでいてすら、まだ日常の悲劇の範囲だ。
しかし無逸は、今回は明確に、それが日常に非ず、という印があったのだと話を続けた。
「今回犠牲となったのはみな、道を往来していた者たちなんだ。里のうちでは被害は出ない。ただ、宇治周辺でどこかへ行こうと道を歩いていると、殺される。だから、宇治のあたりの者たちも、最初は野盗の類が通行人を襲っていると思ったらしい。ただその時から、おかしいと感じさせる部分はあって……まず、首しか遺体が残らないんだ」
無逸が聞いた話によると、犠牲者の遺体は頭部しか残されず、胴はいくら探しても周囲に見つからないのだという。その上、どの犠牲者も綺麗に、道の
「それが奇妙なもんだから、里のあたりでも気味悪がりだした頃に、化生を見たってやつが現れたんだ」
それは、辻を寝床にしている無宿人の老翁であったという。いつも通り、老齢独特の早めの睡魔に、黄昏時からうつらうつらしていると、声が聞こえたそうだ。普段なら気にも留めないのだが、妙に心がざわついて、老翁はひょいとそちらの方へと目をやった。すると、目深に笠を被った男が、道行く人を呼び止めたところだった。腰元に差した不釣り合いに立派な太刀が、目を引いたという。
老翁がそれを覗いたところは、ちょうど道が急に下り、草原と交わる土手のあたりだったそうだ。そのため、あちらからは見えなかったようだが、老翁からは西日の中でさえ、いやによく様子が分かったらしい。声も、距離の割には明瞭に響いてきたそうだ。
『もうし、どこへお急ぎか』
笠の男の這いよる闇のような声が、暗く、低く問う。それに困惑しながら、相手は里への帰路だと答えた。すると――
『それは怪しい、それは怪しい。まこと、帰る道はお分かりか? ――
とたん、腰の太刀がゆるりと揺れて、獣の尾のように逆立った、瞬間。
笠の男が太刀を引き抜き、狼の遠吠えがどこからともなく響き渡った。
斬り捨てられる――と、老翁は思わず目を瞑ったそうだ。だが、いつまで経っても、なんの物音もしてこない。不審に思って、老翁がそろりと瞼を持ち上げた時には、笠の男も里の男も、どこにも姿が見えなくなっていたそうだ。
だが次の日、里の男だけは見つかった。道端で、首だけを晒されて、烏に虚ろに開いた片目を啄まれていたという。
「……その話が広まって、犠牲者も重なったもんで、辻狼と呼ばれるようになったらしい。で、黄昏時に出歩かない、声をかけられても振り返らない――それが、誰が言うでもなく、里のあたりでは、辻狼から身を守る方法として信じられるようになったんだ。最初の頃は、効果がありもしたらしい。だけど……」
「違ってきたってわけか。無逸の兄弟子さんのあたりから」
物思わしげに、玄月は端正な顔をしかめた。頷きながら、つとめて平静に淡々と、事情だけを話す無逸の細い眉も、きゅっと苦しげに寄せられる。
「ああ……。俺の兄弟子が里を出たのは、里の者からの忠告を受けて、昼時だったそうだ。それなのに……首だけで見つかった。それも、見つけた使いの話によれば、他にも五人、同じ有様の犠牲者が並んでいたそうだ」
複数の首が一列に、整然と――血潮に似た濁りを帯びた夕陽を浴びて、
「――その化生、行動が変わり、犠牲者も増えている、ということか」
「そういうことなんだと……思う。事の起こりだしは、誰もしかとは分からないみたいなんだが、例の老人がその妙な光景を見たのが、長雨の終わり頃。そのあたりの頃はひとりふたり、夕暮れ時に出歩いた者が、二日三日の間に消えていた。それが、最近は一度で六人、時を問わずに殺されてる」
春明の言葉に、無逸は困り果てた様で頭を抱え、溜息を落とした。
「そのうえ、嫌な噂が信じ込まれ出してるんだ。辻狼にやられた奴に近寄ると、ついた血の臭いで道連れにされる、って――。だから、近ごろ里の者は、近親者であっても、遺体を埋葬したりはしないらしい。そのまま道端に野ざらしだ」
近年、庶民層は土葬が主流となってきた。風葬の風習が残っていないとは言えないが、そうだとしても、無残な姿のままさらされっぱなしとあっては浮かばれない。
「兄弟子も、師匠が嘆いて弔おうとしたんだが、里の者や怯えた弟子たちに止められてな。で、頼ってきたんだよ。春明と玄月を」
そこで無逸の猫のような黒目がちの瞳は、ふたりの陰陽師を交互に見やった。
「お前らがいるっていうなら、里の者も弔わせるのを渋りはしないだろ」
貴族は当然として市井の者たちにも、春明の類まれなる才は知れ渡っている。玄月も、その春明に並ぶ者として、官位を持たぬ者たちにまで名が知られるようになってきていた。
「
返る答えはひとつと分かっているだろうに、なお遠慮と躊躇いが謙虚にのぞく。勝気に見える顔立ちながら、どこか不安げに伺う眼差しは、彼を幼く見せた。
「――言うまでもない」
神妙な面持ちに、微笑みを携えて春明は頷いた。のち――隣の玄月へ視線を突き刺す。
「あと、手伝いついでに、お前は無逸の爪の垢でも貰え」
「人には人の、俺には俺の美徳があるさ。謙虚さは無逸に譲る」
あからさまに春明を振り向かないまま、玄月は歌うように流して、無逸へ向けて首を傾げた。
「で、時期も時期だし、こうしたことは早い方がいいでしょ? すぐにでも行くのでいい?」
「ああ、助かる。支度だけは整ってる。まぁ、たいしたことはないがな」
「僕も行くよ 無逸のことだ。他の五人も一緒に埋葬するんだろ。人手があった方がいい」
心得顔の子遠の申し出に、ありがたいと律儀に無逸は頭を下げた。
「しかしその化生――辻狼か……。気になるな。それほどの被害があってなお、こちらには噂のひとつも届かなかった」
「貴族の方にはまだ被害がないからだろう。京の外の民草が死んでるだけだ。野盗にやられたのとあまり変わらない」
「またそう冷めたこという~」
妬みや嫌味ではなく、事実として己が身分のほどを切って捨てる無逸に、玄月は彼の頬をつんつんと指先でつつきやった。
されるがまま、しかし鬱陶しげに無逸の眉が寄る。それに同情を示して、春明は無逸に絡む玄月の手首をつかんで引っぺがした。
「祓う方策も、考えよう」
「ああ、よろしく頼む」
「あれ? これ、祓うって俺のことじゃないよね? 化生の方だよね?」
「微妙なところかなぁ」
子遠の送る苦笑も半ばのまま、ずるずると玄月は、無逸の後追う春明に引きずられていった。
目指すは宇治。黄昏が迫る前までに終わらせるならば、少し急かねばならない。
苛烈に地を焼く太陽は、遠く天頂を過ぎ、緩やかに地へと歩み寄る一歩を踏み出しかけていた。
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