春明廷で歓談を(2)


「俺みたいな非位非官ひいひかん浮草うきくさ陰陽師は、ひとたびお抱え先が傾けば、身の上が保障されない悲しい生き物ですよ。あ~、宮仕えしとくべきだった……!」

「お前、少し前までは、人の苦労をしり目に、『宮仕えなんてするもんじゃない。気楽な身の上最高』というようなことをのたまっていなかったか?」

子遠しえん、春明が過ぎたことをほじくりだして俺をいじめる」

「いじめてるわけじゃなく、ただ事実を述べている」


 もぞもぞと隣の背中に移動していった噓泣きの男へ、春明は冷めた一瞥を投げかけた。

 その冷たい眼差しを柔らかな苦笑でなだめながら、背中にすり寄ってきた頭をひとまず気休めにぽんぽんとなでてやって、子遠は言う。


「玄月の腕と評判なら、なにか陰陽寮の仕事をもらえたりしなのかな? それこそ、春明の推挙を受けたりしたら」

「子遠、真面目にとりあってやるな。口先だけで、そいつに本気で宮仕えしようという気概はない」


「だって本気であったとしても、無理じゃない? どうせどっかの叔父上なんかが、あることないこと定周殿のよからぬ噂を出してきて、いいように今の事態を転がそうとするでしょ? そうなるとさ、『定周殿が誰かを呪詛した~』なんて、かっこうの評判下げの噂じゃん。もしそうなったら『誰がその呪詛しましたか?』って、『俺!』みたいになるじゃ~ん。そんなんで宮仕えは春明の推挙があってももう無理筋~」


「悲観的な予測だが、大方、あの氏族ならありそうな話だな」

「ちくしょう、勝者め」

 どこまでも他人事な余裕の香る春明に、玄月は再びの体当たりを見舞わせた。


「もうそうなったら、俺はこの邸の守り神になろう」

「去れ、まがつ神。居座るな」


「じゃあ、子遠の元で厄介になるぅ。山育ちなんで、薬草の知識はあります、先生」

「う~ん、意欲的。でも、うち狭いからなぁ」

「よし! じゃあ俺が一発当てるから、大きくしよう!」

「薬でどう一発当てる気だ、たわけ」

 背後の男の頭をはたいて、春明は溜息をついた。大仰に痛がるそぶりをしり目に、子遠へあらためて問いかける。


「それで、子遠が来たのは、ただ飲み食いに上がり込んだこいつと違って、なにかきちんとした用向きがあったんだろ。それこそ、薬師の仕事がらみで何か起きたのか?」

「うん。ちょっと、流行病のことでね」

 子遠は困り顔でうなずいた。ふっと、陰陽師たちの顔つきが変わる。


 病は時に、呪いや化生と結びつく。特にいまの流行病は、広がり方も、症状も、どこか異常だった。


 まず、この病は眠りを奪う。異様なまでに寝付けなくなり、そして、次には食欲が減退した。飲み食いを不快に感じ、避けがちになり、やがて食べられなくなるのだ。

 しかし、それでもなぜか、かかり始めのうちは、病前と変わらず動けてしまう。だが、しばらく経つと急激に悪化する。


 それまで眠りもせず、食べもせず過ごしてきた生物としての不自然さが、負荷として一気に表出し、身体がぼろぼろになっていく。そして、止まらぬ咳とともに血を吐くようになり、やがて息が出来なくなり、死に至るのだ。

 まるで、生きるための力を、ひとつひとつ蝕み取るような病だった。


 だから、春明も玄月も、この病の裏に、よからぬモノの働きを疑っているのだ。しかし、いまのところ不審な気配がまるでない。それがかえって、不気味だった。その不穏さは、あの勾玉とどこか似ている。


「流行病か……。あれ、どうにもじわじわ苦しめて嬲ってくる感じだよねぇ? 俺は好かないな」

「好く病があるわけでもないだろう」

「いや、ほら、都合が悪い時の持病の癪的なものは、ありかな、と」

「それを世人は仮病という」


 緊張を纏いながらも、いつもらしさを失わぬやりとり。それをなんともいえぬ微苦笑で見守りつつ、子遠は言葉を続けた。


「この目で見た訳ではなく、うちにきた患者づての又聞きの又聞きだから、信憑性は低いんだけどね。この病、このところ妙な噂があるんだ」

「妙な噂? なに? 『治せます』とかいって、強請りたかりの類する奴が現れだした?」

「いや、それなら良くはないけど、不思議はないよ。そうじゃなくてね」


 そうだったらまだ良かったという色を滲ませて、躊躇いがちに、子遠の表情は困惑を強めて顰められた。


「病人が吐いた血の塊に、黒い羽根が混じってたって……」


 春明と玄月は、思わず顔を見合わせた。

 それが真ならば、おおよそ、ただの病ではありえない出来事だ。




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