内裏の狭間(3)



「それで、お前の見立ては?」

 下らぬやりとりをする暇はないと、春明は崩れ落ちた承香殿じょうきょうでんに蠢く影を睨み据えた。


 木屑を払い退けて立ち上がりながら、玄月の双眸が、ふわりと弧を描く。夜空の星ごと溶かし閉じ込めたような射干玉の上に、瞬くような光がちらちらとさざめいたようだった。


「君もおそらくお察しのとおり、あれは本体じゃない。いや、正確には、あれだけが本体じゃない、かな」


 玄月の目は、魔性を惹きつける。それとともに、魔性を見透かすのだ。並の人には見えないはずのモノまで、見通すことが出来る――出来てしまう。彼はそうした稀有な目を持ち、生まれついた。だからその目で彼は、春明をして見えぬところまで化生を見定める。


「内裏のうちなら、《澱み》を餌に、化生などいくらでも生まれ落ちも出来る。だから、そこは不思議じゃない。問題は、ここまで力をつけたこと。普通なら、君や君の師匠が張った結界で、並みの化生は生じた瞬間霧散する。それがあいつは、内裏のうちの女性たちの数多の恨み、嘆き、悲しみ、失意、嫉妬――そうした《澱み》をすべからく吸い取って肥大した。もはや元の情がなにであったのか分からないほどまでに、ね」


 ゆるりと玄月は、あらためて眼前の承香殿や、それと繋がり広がる、殿舎の影の数々を見渡した。


「この広大な内裏すべてが化生の本体だ」

 確信をもって、玄月は断言した。

「本物の内裏を礎に、あの世とこの世の狭間に巣食って、裏で力をつけ、ここまでの規模の姿を手に入れた」


「私たちが気配を読み取れなかったのは、本来違和を感じるはずの気配を少しずつ少しずつ表の内裏に溶かし、結びつくことで、気づかぬほどに馴染ませていたからか」

「だろうね。悪臭も、鼻が慣れちゃえば分からなくなっちゃうもんだからさ。で、問題はここからだ」

 肩にかかった乱れた黒髪を後ろへ払い、玄月は春明へ笑いかけた。


「そこまで慎重だったこの化生が、ここへ来て目立つやりようで人を喰いだしたのはなんでだと思う?」

「より確固とした肉体を求めだしたわけか。実在を奪い取れるような、強固な器を」


 不自然なまでに肥大したこの化生は、人の肉体を喰らい、奪い、己のものと変えようとしているのだ。狭間に潜む偽物の内裏から、本物の内裏と成り代われる器を得ることを求めて。それも、急速に。


「喰う相手を選り好みしてるのは、摂りこんだ彼女たちを元に、理想の内裏を作り上げようとしてるってあたりかな。ま、それにしたって、いまとなっては多少尻尾を出そうと、どうせ祓いきれないだろうという自信がうかがえるところが腹立たしい」


「とはいえ、実際に力も伴っているからな」

 にこりとしながらも棘のある言いように、春明は冷静に返した。

「見ろ、もう戻ってる」


 さきほど春明の術が爆ぜ飛ばした場所は、蠢いていた黒い影の覆いが消えたかと思うと、傷ひとつない姿で蘇っていた。


「そう簡単に破壊の痕が癒えぬような術も織り交ぜておいたんだがな・・・・・・あまり効果がなかったと見える。こうもすぐに戻られては、徐々に力を削ぐ消耗戦は、こちらの負け戦だな」

「とはいえ、仮に一息にどっかーんと、全部この内裏をぶち壊して倒せたとして、ここまで強大になってると、さすがに表の内裏への影響も心配になってくる。普通に考えると、わりと手詰まり」

 どろどろとした影が、また再び簀子の上に人の形を結びだしたのを眺めやりながら、玄月は軽く肩をすくめた。


「で、普通に考えなければどうなる? どうも私としては、覚えのある感覚があるが?」

「さすが春明。話が早い。やっぱりあるよね。あの――勾玉」


 低い声音の元より心得たいらえに、玄月は心地よさげに口端を引き上げた。空間全体に薄く広がり満ちていて、しかと場所までは辿れないが、間違いなく、ここには瑠璃色の勾玉の気配があった。


「そしてここからは予測なんだけど、化生とはいえ内裏なわけだから、中心部は自ずと定まる。大事なものは、そこに在るかも」

紫宸殿ししんでんか」

「そう、この場からも近い」


 そこでぼこりと彼らの視線の先の人影が不快な音ともに波打った。ぐるりと首の部分がひと回転するとともに、例の女童の顔が浮き上がり、地団駄を踏む。


『アナ、憎シ。オノズカラ籠ノ内ニ捕リ込メラレタモノヲ、逃ガストハ』

「俺は雀か」

「自分から捕まる間抜けなな」


 不満げにもらす玄月へ、春明の冷めた一言がぶつけられる。と、ともに、踏みならされた足元から蠢き沸き立った黒い濁りが、一斉に空へと迸り、頭上を覆う宝戟の雨となって降り注いだ。


 印を結ぶ挙動すらないままに、中空へ現れ出た五芒星が、それらすべてを炎の渦に包んで、欠片も残さず溶かし消す。


「君の騰虵とうだの式、相変わらずえげつない火力ね」

「褒めてる暇があったらキリキリ走れ」


 すでに並んで風のように駆けながら、変わらぬ調子で交わされる会話の間を、弓矢が貫き落ちてくる。それを光の糸が弾き、紅蓮の渦が飲み込み焦がした。


 ふたりを追ってどろりと黒い影が波打ち、渡殿わたどのを滑り、ずらりと並ぶ武官の形を成していく。それがいっせいに打ち鳴らしだした弓弦に、「こっちが魔物か」と玄月が笑った。その声をかき消して、がたがたと震えた殿舎の柱や簀子板が宙を舞い、蠢くひとつの生き物ように雪崩を打って注ぎ落ちてくる。


 のしかかりくる殿舎の塊など、避けきれる質量ではとうていない。だが、いつの間にか手にされていた春明の符が数枚、鋭い刃と成り代わって、それを粉々に砕き去った。


「春明! さっきの予測、訂正していい?」

 ばらばらと舞い落ちてくる木屑の中を走り抜け、玄月は声を張り上げた。

「紫宸殿を目指してたのに、どうもあれに見えるは桐壺なんだよね」


 視界の先に姿を見せたのは、ここしばらく、少将の君が寝起きしていた見慣れた場所だ。もしここが本物の内裏なら、間抜けにも紫宸殿とは真反対の方角へ走り抜けてきたことになる。


「どうにも内裏の殿舎が組み代わってる。真っ当な方法じゃ目当ての場所に行き着けないし、ちょっと思ったんだけど、勾玉が紫宸殿にあるってのも、もしかしたら思い込みが過ぎたかも」


 か黒い顔無しの武官たちが撃ち込む弓矢を綺麗に無数の糸で絡めとり捌きながら、少し上がった息で玄月は続けた。


「この場すべてが化生の一部なのだとしても、殿舎の並びを組み替えるのはそこそこ大ごとじゃん? なのに運びがなめらか過ぎる。だからこれ、あっちにとって織り込み済みの動きだったのかもなぁって気がしてきた」


「どうせ紫宸殿を目指すだろうから、殿舎を崩して攻撃をするついでに並びを組み替え、このうちで迷わせ、消耗させ、喰らおうというわけか」


 簀子の上に並み居る武官たちを、指先の印とともに迸った業火の一陣で一瞬にして薙ぎ払い、春明は薄く口端を引き上げた。


「掌の上というのも、嘗められたものだな」

「だから狙われてる雀としましては、ちょっと思惑を外したことでもしてみようかと」

 無数に蘇っては飛び来る殿舎の板戸や柱の塊を糸を重ねた盾で防ぎ散らして、玄月はにやりと隣の春明を振り返った。


「ちょっと飛んで勾玉の場所特定してくるんで。春明、あとはよろしく」

「ばっ・・・・・・玄月!」


 制止の声がかかる前に、逃れるように玄月は地を蹴っていた。

 たなびく緋色の袴と長い黒髪も鮮やかに。白い単の袂が鴇色の空に美しくはためく。降りかかる柱を足場に、蔀戸を蹴りつけ、さらに高く駆け上がる。追いすがる槍の数々を糸で纏め上げ、遠くへ放りさる勢いでさらに上へと跳ね上がり、玄月ははるか内裏の彼方に舞い飛んだ。


「あっの馬鹿・・・・・・!」

 またやりやがった、と、眉を吊り上げる春明の眼前を、音を立てて瓦解した殿舎が蠢き、新たに龍のごとく組み上がっていった。土煙をあげ、玄月目がけて上空へと滑り昇っていく。


 仕留めにかかった化生の動きに春明が符を投げれば、瞬時に沸き立った黒色の影がぶ厚い壁となり防ぎ止めた。

 舌打ちとともに、その足元に五芒の星が浮かび上がる。瞬間、無数に閃いた刃の数々が、影を千々に引き裂き霧散させ、同時に巻き起こった風が、春明を空へと舞いあがらせた。


「春明! 見えた!」

 見上げた先、殿舎の龍の一撃を防ぎ、開いた口を辛うじて避けたらしい玄月の叫び声が呼びかける。

「藤壺だ!」


 その射干玉の双眸で、内裏全体をあまねく見通し終えたとたん、急加速で落下しだした玄月の身体を、彼が紡ぎあげた光の糸が包み込む。糸はそのまま背後へと伸び、彼の背に天狗にも似た鳥の翼を象り広がった。


「場所がぐちゃぐちゃに入れ替わってるけど、あそこだ! 内裏の裏鬼門」

 落ちる玄月に、空を駆けた春明が並ぶと、玄月は眼下に広がる内裏の南西を指し示した。殿舎の形すら変わっている中、それでも庭に植えられた藤の樹が、不自然なほどしっかりと見て取れる。


「あそこをぶった切れば万事解決」

「それは分かったが、お前、その背中にご大層なものを作ったわりに降下し続けているが?」

「そりゃあね。俺、君みたいに飛べるほどの風なんて生み出せないし。形は真似られても、多少滞空時間を伸ばすだけで、羽ばたけるほどの翼にはなんないから。つまりこれは、ちょっと方向転換が出来るだけになった、ゆるやかな落下!」

「だっからお前は大たわけ者だと言ってるんだ!」


 意気揚々と空高く駆けておきながら、得意げに無様に落ちていく男を、臓腑の底からの苛立ちを込めて春明は叱りつけた。


 落ちゆく先には、内裏の殿舎がひとうねりに固まった龍がとぐろを巻いている。歪に重なり、積もりあい、材木の尖った角が棘のように突き出した強大な姿は、元は内裏だっただけあり、おどろおどろしいながらもある種の威容を湛えてふたりを待ち受けていた。禍々しい妖気も満ちていて、多少方向を変えた程度で逃れられるとは思えない。


「ただの落下で、お前は自分を喰おうとしているあれをどう避ける気だった!」

「よっ! 天下の大陰陽師・安倍春明! 頼りになるね!」

「貴様あとでよくよく覚えていろよ・・・・・・」


 諸手を挙げての雑な賞賛に、春明は忌々しげに玄月を睨めつけると、その襟首を引っ掴んだ。巻き起こる風に玄月の黒髪がさらに煽られ、その身を空へと浮き上がらせる。


 それが分かったのか、獲物を待ち伏せていた龍が、とたんに天へと翔んだ。


 見透かした通りの動きに、春明がそっと口元へ指先をやる。ふわりと小さく浮かび上がった五芒の星に、ふっと彼が息を吹きかけた、刹那。

 白銀の光が一閃――。獣の咆哮のような轟きとともに、龍を両断して切り裂いた。粉砕された木片が鴇色の空に舞い散り、地上へと注ぎ落ちる。


 だがそこへ、地上のどこからともなく、無数の火矢が射かけられた。とたん、木片が紅蓮を纏って燃え上がる。そして次の瞬間、それは方向を変え、上空の春明たちに向けて鋭く空を切った。


(速い……!)


 印を切り、防壁を築き上げるも、すり抜けた火球が狩衣の袖をちぎり、頬を掠めた。絹の焦げた臭いと、血が噴き出す前に焼けついた傷跡に、春明が口端を引き上げる。


「ずいぶんと力を溜め込んでいたようだな」

「わぁ、手傷を負う君、久しぶり~」

 脇でこぼされた暢気な感想に、冷たいひと睨みを送ってやる。


 木っ端にした殿舎もすでに蘇り、再びうねりをあげて龍を象りだしていた。獲物たる上空のふたりを捉えて頭をもたげながら、一方でその長い巨躯で狙いの藤壺の位置を絶妙に隠している。


「一息に仕留めるには、どうにもやむを得ないか」

 いささか忌々しげに太めの眉を顰め、春明はともに彼の風に浮かび舞い、すっかり素人顔で傍観を決め込んでいる男を振り返った。


「本気でいく。狙いを過たぬよう、奴を少しの間引きつけろ、雀」

 とたんに玄月の周りにだけ逆巻いた風が、彼を放り投げて、さらに高くその身を吹き飛ばした。


「無茶をいう~!」

 唐突な暴挙にあげた抗議の声も虚しく、緋袴を鮮やかにはためかせ、玄月の身体は空を舞った。


 はるか眼下の落ち窪んだ龍のまなこなき両目がそれを追いかける。すっ飛んだ玄月の射干玉の瞳とそれが重なり合った――気がしたな、と玄月が思った、瞬間。龍が勢いよく空気を震わせて、彼めがけて突っ込んできた。



「あ~! もう! 覚えてろよ、春明!」

 やぶれかぶれに叫んで、玄月は引っ掴んだ幾枚もの符に息を吹きかけ放ち、籠目の印を切り結んだ。


 投げつけられた符を起点に絡まり合って、紫の糸が伸びる。編み上げられた巨大な格子は、まっすぐに突撃してきた龍の巨体を防ぎ止めた。

 だが早くもすでに、その衝撃に糸が軋み、ほつれだし、格子に罅が入り始めている。


「無理無理無理! これもう、すぐにもたなくなるって!」


 ぎりぎりと押し迫る龍の身体と、見る間に壊れかけている壁に非難じみた声を玄月は張り上げた。


「頑張れ、もたせろ。私の双璧」

「薄情者―!」


 もはやはるか遠く、下方から投げやりに送られた声援に、玄月は恨みがましく絶叫した。





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