陰陽双璧異聞奇譚
かける
《壱》 内裏ノ内デ女房ノ化生ニ喰ラハルル事
後宮の化生
君と共に紡ぐ明日は、焼け焦げる喪失をともなうのだろう――。
◇
「後宮で
ここ数年、都のうちでは病が流行り、死の翳りが人々の日々に寄り添って久しい。そのためか、目に見えて彼方と此方の境も薄くなっているようで、化生の起こす陰惨で血生臭い事件も多くなっていた。内裏のうちとはいえ、魔を宿し、人に害を為すものたちの悪事が起きても不思議はない。
頭を抱え、胸のあたりをさすり、ほとほと参ったとばかりに師は重い嘆息をこぼした。ここしばらくの師の心労具合は、まだ四十はいかぬ齢ながら、黒髪に白いものが混じりだしそうだ。
「男の出来た女房が、宮仕えをやめたくともやめられず、抜け出すために、くだらぬ小細工でもしたんじゃないんですか?」
「お主、もうちょっと歯に衣を着せなさい……。ああ、でもそうだったらどれほどよかったか」
冷めた声音で身も蓋もなく言い捨てる愛弟子に、桂木はまた胃のあたりをさすった。
春明は都の誰もがその名を知り、一目置く稀代の術者と育ったが、いささか言動が冷淡で配慮に欠いた。そのうえ、氷のように温もりなく、鋭く整い過ぎた容貌に拍車をかけられ、彼を怖れる者も少なくない。
「だが、確実に化生の悪事か……あるいは呪詛か。こちらの手が必要なことなのは間違いないのだよ。こたびの件があって、早々に血の穢れを嫌い、中宮も女御も里下がりしようとなされたが……誰ひとり、
桂木は深くため息をついた。
「ゆえにこの件の解決は急を要してな。なにせ、中宮の御身にもいつ危険が及ぶとも分からぬ状況だ」
「それで藤原の氏の長者様が気に病んで、このくそ忙しい中せっついてきやがったと――そういうことですか」
「せっついてきやがったとは言ってません! 私は言ってないからな!」
冷徹な目元が、淡々と呆れ混じりに言い捨てる。桂木は聞く者もいないはずなのに、その神経質そうな細面を悩まし気にしかめた。
「まあ、だがお前の言うとおり、
「
「それは、あれだ。ほれ。以前に定周殿お抱えになったあの男だよ。
「ああ……。奴ですか」
やや不機嫌そうに眉を顰めた桂木に、言葉少なく春明は返した。
芦屋玄月――彼は数年前、京の
桂木は、そんな彼が気に食わないようなのだ。愛弟子を脅かす存在と思っているわけでもなければ、陰陽寮に属さぬ、非官の陰陽師だからでもない。むしろ、実力は認めているだろう。ただ、その目がどうにも不穏だと言っていた。確かに、それは春明も同意をするところである。
(あれは――魔性を誘う目だ……)
初めて彼とまみえた日を思い出す。
数年前、化生が出たと呼び出された先のことだ。行ってみれば、すでに彼が事をおさめた後だった。
そこに佇んでいたのは、すらりとした細身の、美しい青年。だが、都の貴人やそれに仕える者なら必ずかぶる冠のひとつも正さず、長い黒髪を風に遊ばせていた。
そしてふわりと春明を振り返ったその瞳が――背筋をぞくりとさせる凄みを抱いていたのだ。艶やかな
――あの瞳の光の揺らぎを、いまだ春明は鮮明に記憶している。
「あやつが動いて、いまだ解決の報がないということは、確かに……それなりに大事なのでしょうね」
「そういうことだ。まぁ、巷では『陰陽の双璧』などと騒がれ、お主の好敵手ともてはやされている男だ。そやつが動いてお主がなにもせず……ともなれば、春明が逃げたの怖じたの、口悪く謗る者も出てこよう。そうなると、こちらに目をかけてくださっている慶長さまの評もだな、」
「もうあの方の悪評は、ある意味落ちるところまで落ちているので構わないのでは?」
「おっ主、本当に口を慎めよ?」
心痛に身悶えしながら、桂木は春明を叱りつけた。しかし、春明の色も形も変わらぬ凍えた表情には、反省の素振りすら浮かばない。
「まぁ、慶長さまとの
言いたいことのみ好きなだけ言い置いて、春明は一向に胃痛の改善しそうにない師を捨て置き、その場をあとにした。
鋭い眼差しの端を、ひらりと桜の花が舞って落ちていく。春の光は麗らかで、おどろおどろしい事件が側近くであるとは思えぬのどかさだ。
だが、確かに、どこかそよぐ風に、鼻つく異臭が折り混じっているような心地もした。
「――花の散るらむ、か……」
呟いて、春明は懐から出した符に吐息を吹きかけた。とたんに紙の符が煙のように溶けて、一陣の風とともに掻き消える。
ただそこには、桜の花が穏やかに舞い散っていた。
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