ポラリス

川見花

第1話 ハイライトの味

 コーヒーも煙草もビールもセックスも、別に最初からその旨みがわかるわけじゃない。生き物はふつう、苦いとか痛いとかネガティブな対象から極力距離を置くようにできているはずだ。でも、気づくとはまっていて、果たしてなぜ最初に辞めようと思わなかったのか、振り返ってみても思い出せるものじゃない。

 土曜日の夕方、私はろくに吸いもせず風に吹かれて背丈を縮めたハイライトの吸殻をどこに捨てようか迷っていた。自宅のベランダである。ポイ捨てしたいところだが、どうせ自分が後で掃除しなくてはならない。見回して、部屋がとっくに暗くなっていることに気づいた。結局台所まで戻り、捨てるはずだった空き缶を引っ張り出してきて、その中に捨てた。

 指が油で濡れていた。おそらく漏れたツナ缶の油だ。ぬるりとした感触に、忘れていた記憶が閃光を放つように蘇る。Tシャツをめくり、濡れた手で脇腹をなぞってみる。違う。自分じゃ全然ダメだ。奴はもっともっとうまかった。手のひらを鼻の上に翳すと、ツンとハイライトと油の混ざった臭いがした。もうこの世に存在しない人間が、まるですぐそばで息をしているような気がして、涙が出そうなほど懐かしくなった。

 奴が死んだのは一年前。開封することなく逝った奴の最後の一箱を、今日初めて開けて、人生で初めて吸った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ポラリス 川見花 @kima_s4

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ