焦燥に駆られながら1

 荷車を引きながら、駆ける。


 地面がぬかるんで走りにくい。

 あと、温かいけどコートが地味に邪魔をしてくる。

 いや、温かい、温かいんだけどね……。


 ん?


 少し、速度を落とす。

 雨音に紛れて、赤ん坊の泣き声が聞こえた気がしたのだ。

 赤ん坊?

 場所は草原と森の境目辺り、こんな所に人間の赤ん坊がいるわけ無い。

 子供の獣が食べられているのかな?

 フェンリル的にはあり得ないけど、獣の世界では捕らえやすく、反撃されない子供は格好の的なのだ。

 わたしとしても、本来であればどうこう言うつもりはないんだけど……。

 何やら、妙に胸がざわつく。


 何だろう?

 ……行ってみるかな。


 しばらくそちらに駆けると、雨でモヤになった先に、大きな影が見えた。

 大きな、といってもドラゴンさんとかそんなんじゃなく、弱クマさんぐらいだ。

 弱クマさんじゃなく……マンティコア老人顔さんかな?

 前足を上げて――引っ掻いていた。

 子供の悲鳴が聞こえた。

 老人顔さんが引っ掻いた箇所を舐めている。

「……様!

 お…あ様!

 お母様!」

「!?」

 荷車から手を離し、その上にコートを投げると駆けた。

 一、二、三、四と地面を蹴り、跳び蹴りを老人顔さんに食らわせる。


 雨と焦りの為、当たりが弱い!


 少しバランスを崩しただけの老人顔さんから、サソリ型の尾が振られる。

 ヌルい!

 わたしは手で軽く弾き――同じ手で殴りつける。

 老人顔さん吹っ飛ぶ――いや、自分で下がった!?


 距離を取った老人顔さんがニヤリと口角を上げる。


 尾を振り上げたーーと同時に毒針が、飛沫のように飛んでくる。

 この距離ですべてを交わすのは不可能――それに、避けたら後ろの人たちに当たる。


 でも、わたしは焦らない。


 両手を広げて、一面に白いモクモクを広げる。

 白い壁の向こうで乾いた音が幾度もなるが、全部打ち終えるのを待つつもりはない。

「シールドバァ~ッシュ!」

 盾で殴る技名を叫びながら、老人顔さんに白いモクモクごと体当たりをした。

 あれ、名前違ったっけ?

 Web小説に何回か載っていたのって。

 まあ、良いけど。

 白いモクモクを散らすと、その先でふらつく老人顔さんが見えた。

 地面を蹴り面前まで行くと、右手を引っ掻く形にしながらその太い首に振り抜く。

 首がずれ、それを追いかけるように真っ赤な血しぶきを上げる老人顔さんは、巨体を地面に倒した。


 後ろから、「お母様! お母様!」という女の子の声が聞こえる。


 振り向くと、背中を真っ赤に染めた女の人がうつ伏せに倒れていて、その周りに女の子らしい二人が泣きじゃくっていた。

 急いで女の人の側に跪き、傷の具合を確認する。

 酷い! だけど……。

「大丈夫、致命傷じゃない!」

 多分、あの老人顔さんはこの人をいたぶっていたんだ。

 胸くそ悪い話だけど、そのお陰でまだ助かる可能性がある。

 女の子――十一歳ぐらいと九歳ぐらいの子達が目を見開き、わたしを見る。

「お母様、助かるの?」

 小さい子が訊ねてくるので、大きく頷く。

 別に気休めを言っているわけじゃない、大丈夫――のはず!

 とは言っても、急がないと行けないのは間違いない。

「今から、治療するね」

と声をかけつつ段取りを考える。

 必要なことは三点だ。

 一、老人顔さんの汚い爪で傷つけられた傷を洗う。

 二、傷を癒やす。

 三、雨による体温低下を防ぐ。

 わたしは左手で白いモクモクを出し、上に伸ばした。

 そして、半径十メートルぐらいの傘にする。

 女の子達が驚いていたが、気にせず今度はスカートのポケットからハンカチを取り出し、女の人の口元に持って行く。

「傷を洗うから、舌を噛まないようにこれを咥えていて!」

 一瞬、気絶してるかな? とも思ったが、女の人は少し身じろぎをすると、こちらを見上げてきた。

 薄暗い中でも分かる。

 真っ青な顔をしている。

「わたしは……良いのです……。

 娘達を……」

「お母様!」

 何か、小説とか映画とかの良いシーンっぽく、わたしも気の利いたことを言わないと行けないのかもしれないけど、いざその立場になったら、口から出た声質は軽いものだった。

「うんうん、分かった分かった」

 折り畳んだハンカチを女の人の口に突っ込む。

 そして、女の子達に少し離れるように言う。

 女の人が痛みのために、女の子達を掴んだりすると、下手をすると怪我をしちゃうもんね。

 上の子が焦ったように言う。

「あの、妹がまだ……」

 ん?

 妹ちゃんならそこに……。

 あ!?


 女の人の下に、かばっていたのだろう赤ちゃんがいた!


 これは大変だ!

 上の子が赤ちゃんを引きずり出す。

 途端、割れんばかりの大きな声で泣き出した。

 ひやぁ!

「泣かないで、泣かないで!」

と上の子が必死にあやそうとしているが、慣れていないようで凄くぎこちない。

 ただ揺さぶっているだけに見える。

 この子達、貴族なのかな?

 良い服着てるし、”お母様”だし。

「動かさなくて良いから!

 そのまま、泣かせるまま抱っこしていて」

「え!?

 は、はい!」


 本当は、魔獣を引き寄せるから良くない。


 けど、下手をすると女の子が揺することで、赤ちゃんが怪我をしそうだからね。

 わたしは右手からだした白いモクモクをお風呂の桶ぐらいのサイズにする。

 少し温めると、「ちょっと痛いけど、頑張って!」と言いつつ、さっと流す。

「っ!」

 痛みのためか、女の人の体がこわばる。

 だけど、これをしないとばい菌が体の中に入っちゃう。

「頑張って! 頑張って!」

と言いつつ、三度ほど流した。

 これは……酷い。

 薄暗いからそこまでしっかりと見えないけど、白い肌に幾つもの傷が走っている。

 それでも生きているのは、老人顔さんがいたぶっていたのもあるけど、着ている服が高価なものだからだろう。

 しっかり防寒できるように、丈夫な生地で出来ていた。

 今はすっかり裂けて、背中は丸見えになってるけど。

 わたしは白いモクモクを桶型から解除する。

 そして、女の人の背中に薄く広げながら被う。

「何をするのです?」

 上の女の子が恐る恐る訊いてくる。

「治癒魔法」とわたしは端的に答える。

 正確にはその前準備である体力回復魔法だ。

 その辺りを説明している時間も惜しいので、端折った。

 本当は同時掛けをしたいけど、左手を雨よけに使っている現状、出来ない。

 一気に送りすぎては駄目だと、エルフのお姉さんが言っていたのでゆっくりと送る。

 そして、治療魔法に切り替えた。

 傷がゆっくりと塞がっていく。

「凄い凄ぉ~い!」

 九歳ぐらいの女の子が歓声を上げる。

 一番上の子も嬉しそうだ。


 だけど、手の中にある体から体温が抜けていっている。

 このままでは駄目だ。


 血が止まった段階で、再度、体力回復、そして、治療を繰り返す。

 よし、この分なら大丈夫!


 そう思った次の瞬間、近づく集団に気づく。


 ……この気配は、あの子達か。

 一番上の子が小さく悲鳴を上げそうになり、手で口を押さえた。

 どうやら、彼女も気づいたみたいだ。

「大丈夫」

とわたしは声をかけつつ、視線を走らせた。

 降りしきる雨の中から現れたのは、白毛の狼――白魔狼しろまおおかみだ。

 三十匹ほどになる。

 先頭を来る子には、見覚えがあった。

 ケルちゃんの時にいた子だ。

 多分、リーダーなのだろう。

 向こうも、わたしに気づいているらしく、恐縮するように尻尾を下ろし、頭を低くしながら歩いてくる。

 殊勝な態度っぽいけど、獲物をねだっているようにも見える。

 このタイミングで現れたのなら、後者の方が高そうだ。

『そこのそれは食べて良いから、それで満足しておきなさい!』

 わうわうわぉ~ん! とフェンリル語で言うと、五匹ほどを残して、老人顔さんに殺到する。

 残りの五匹は、戦士なのかな?

 周りを警戒するように辺りに視線を送っている。

 この分なら、何かが来ても教えてくれるかな?


 一応、持ちつ持たれつって事で。

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