第二章

飛ばされた先……。

『――マ!』

 叫んだ時には、ママの姿は掻き消えていた。

 ママどころか、いたはずの洞窟のゴツゴツした壁や天井も視界に無く、写るのは草木が並ぶ風景だった。


 え?

 何?

 どこ?


 見覚えがない。

 今まで住んでいた洞窟の周りとは植物の種類が違う。

 ここが、ママが言っていた南の森なんだろう。

 視界が潤み、冷たいものが頬を伝う感触を感じながら、わたしは叫んだ。

『ママぁぁぁ!

 おにいちゃぁぁぁん!

 おねえちゃぁぁぁん!』

 うぁおぉぉぉん! という涙ながらの叫びだったけど誰も答えてくれず、ただ空しく晴天の空に溶けていった。


 バタンとわたしはその場に倒れてしまった。


 漆黒の巨躯を持ち、水をかけてもなかなか消えない黒色の炎を吐く黒竜、ドブのような肌をして近づくだけで目や皮膚にダメージを与える毒竜、遙か空の彼方から突然飛来し、食べようと襲いかかってくる飛竜……。

 クマさんやバジリスク蛇王君もけして侮ることの出来ない強敵だ。

 そんな怪物達がそこらを闊歩するのがこの世界なのだ。


 こんな、恐ろしい異世界場所に身一つで投げ出されて、この先どうやって生きていけばよいの……。


 ママやお兄ちゃん達がそばにいたからこそ、そうした化け物達も恐れて近づかなかっただけで、わたしが一人っきりになったら、それこそ、喜々として食べに来るに決まっている。


 怖いよぉ~怖いよぉ~


 寝ころびながらシクシクしていると、不意に、視線の上の方に何か見えるのに気づいた。

 ん?

 体を起こし、後ろを振り向くと、木造の家が建っていた。

 前世で見たロッジみたいな感じで、傾斜がやや鋭い屋根をしていた。

 床が地面から一段分高く作られている。

 新築の様で、ニスで磨かれただろう表面は艶やかで、少し輝いている。

 よく見ると階段を五段ほど上がった先にある入り口の戸には、フェンリル(たぶんママ)が描かれていた。

 え、何?

 ママがわたしの為に用意してくれたの?

 わたしはあることに思い当たり、周りを見渡す。

 そして、目に入った物のそばまで駆けた。

 やっぱり、あった!

 それは、白くて小さな石だ。

 少し輝くそれが、いくつも地面に並び、列を成していた。


 結界石だ。


 これに囲まれた場所は、”特定の条件”に当てはまる者以外は中にはいることが出来ない。

 つまり、この中にいる限りは安全なのだ。

 恐怖心が和らぎ、ホッとした。

 そういえばママは、容赦なく厳しいけど優しいんだった!


 以前、崖を飛び降りる鍛錬をしている時もそうだった。


 崖の上で怖くてプルプルしてると、『仕方がないわね』とママは崖の下に降りていき『ほら、わたしに向かって飛び降りなさい!』って言ってくれてたんだった。

 もちろん、飛び降りた時、体で優しく受け止めてくれた。

 ママはそんなフェンリルだった!


 つまり、ここを拠点にして、この地を支配しろって事なのだろう。

 セーフティーエリアが有るのと無いのでは、安心感が全然違う。

 仮にそこらの黒竜が来ても、入り込むことの出来ないこの結界が有れば、最悪、ここに引きこもってやり過ごすことも出来るのだ!

 ホッとすると、周りを見る余裕も出てきた。

 家の周りは鬱蒼とした森になっている。

 少し警戒しつつ、家に向かって駆けるとジャンプした。

 屋根の頂点に立つ

 この家より高い木が多いので、よく見えない。

 太陽の位置からすると、家の正面が南の様だ。


 その場で軽く飛び上がる。


 二十メートル飛んだ辺りで、体をぐるりとひねりながら三百六十度見渡してみる。

 この場所は森のど真ん中に有るらしく、一キロぐらいは木々に覆われていた。


 屋根に着地した後、もう少し遠くを見ようと再度飛んだ。


 北方は北東辺りに岩肌が露出している箇所以外は、かなりの距離、木々に埋もれているようだった。

 東方の奥の方に大きな川らしきものが見えた。

 南方には小さな川が有り、その奥には草原、そして、さらに先に町が見えた。

 西方の奥には荒野らしきものが少し見えた。


 屋根に着地をすると、目を閉じて気配を感じる。


 ???


 あれれ?

 大型の魔獣の気配がしない。

 巧みに隠れているのかな?

 いや、特に竜種なんかは”隠れる”などという事など思いつきもしない傲慢さがある。

 ひょっとして、この辺りは余り強力な魔獣がいないのかも知れない。


 思わず頬が緩む。

 何やかんや言って、ちっちゃいわたしでも生き残れるように気を使ってくれたのだろう。


 ママ、やさしい!


 問題は……人間の町かぁ。

 もう一度、南の方を向きながら飛び上がってみる。

 要塞都市――っていうのかな?

 結構高そうな壁に囲まれていて、軍隊で攻め込むとしてもかなり難儀しそうな感じがした。

 この世界の軍事水準がどれくらいなのかは分からないから、何ともいえないけど。

 あんなのを征服?

 一人で?

 無理難題もいい所だ!

 そりゃ、ママとかお兄ちゃんとかだったら、可能だろう。

 たぶん、近寄るだけで恐怖で混乱し、白旗を上げることだろう。

 でも、わたしみたいなありきたりな女の子など、鼻で笑われるだろう。

 いや、むしろ中二病あっちの子かな? と生温かい目で見られるのがオチだ。


 屋根に着地をして、ため息を付く。


 まあ、難しい事そこらへんは置いておいて、拠点となる家の中を見ておこうかな。

 わたしは家の前に降り立った。


 家のサイズはそれほど大きくなかった。


 もちろん、前世の日本の住宅事情とは違い、家族四人がゆったりと生活できるぐらいはある。

 わたし一人だと広すぎるぐらいだ。

 そこを大きくないと言ったのは、要するに通常の人間サイズということ。

 フェンリルママ達ではとても入ることが出来ないと言うことだ。

 ここを準備してくれたのは結界のこともあるからママであることは間違いないだろうけど、たぶん、ここの建築とか準備とかにはエルフのお姉さんが関わっていることだろう。

 ひょっとして、お姉さんの仲間のエルフとかも関わっているのかな?

 今度、お礼を言った方が良いよね。

 五段有る階段をぴょいと飛び越して、木製のドアに手をかける。

 ノブじゃなく、横長い取っ手だった。

 鍵もない。

 前世は比較的都会に住んでいたので、ちょっと、不用心にも思えるけど、こんな森の中に泥棒なんていないかと思い直す。

 そもそも、先ほどまでいた洞窟なんて扉すらなかったんだから。

 なんて事を思いながら開けると、視界に再度ドアが現れた。

 ???

 え?

 どういうこと?

 最初に開けたドアと奥にあるドアまで一メートルほど有り、右端には大きい木製のスコップみたいな物が置いてあった。

 土間……ではないよね?

 こんなあからさまな西洋風の家で。

 荷物置き場……なのかな?

 よく分からない。


 入って左側には外側、内側に窓らしき物があった。

 空気の入れ替え用かな?

 まあ、元々前世マンションぐらしの中学生(多分)で、今世洞窟暮らしのわたしには、家の構造やその機能など理解出来なくても仕方がないだろうけどね。

 それぞれの窓に硝子は無い。

 代わりに木で出来た両開きのものが取り付けられていた。


 この世界にはまだ、発明されてないのかな?


 考えるのはあとにして、とにかく中に入る。


 新築の匂いって言うのかな?

 木の心地よい匂いが凄く良い。

 気分良く、奥にある扉のノブを掴む。

 あ、こっちは金属だ。

 しかも、鍵穴がある。

 え?

 ここに来て、鍵が開いてなかったらどうしよう?

 などと考えつつノブを捻る。

 杞憂だったようで、普通に開いた。


 入って直ぐに見えたのは――暗闇だった。


 先ほどの物以外、窓がないから、日が入らないのね。

 まあ、わたしは夜目が利くので、何となく分かるんだけど……。

 あ、入り口直ぐにランプ発見!

 奥にもあるみたい。

 白いモクモクで火を付けながら見渡す。


 玄関すぐはリビングって事みたいだ。


 飾り気が無く、がらんとした印象を与えた。

 一応、横長の木製テーブルがデンと置かれていた。

 詰めれば六人ぐらいが座れるサイズで、しっかりニスが塗られてるのか焦げ茶色の天板はランプの明かりで輝き、のぞき込むとうっすらだが顔を写した。

 ただ、椅子は二脚しかなかった。

 一つはわたしの分だろう。

 ママの大きさではここに入れないだろうから、もう一つはエルフのお姉さん用かな?

 ひょっとしたら、様子を見に来てくれるのかも知れない。

 だったら、少し安心できる。

 ん?

 テーブルの上に、二十センチほどの長い鍵が、二つ置かれていた。

 玄関の鍵かな?

 二つとも同じ形なので、予備なのだろう。

 まあ、とりあえずはいいか。


 天井に直径十センチほどの灰色の石が付いていた。


 そこからケーブルっぽいのが天井から柱を伝い、玄関の脇に取り付けられた同じく灰色の石まで伸びていた。

 ひょっとしたら、照明かもと思い押してみた。

 ……何も起きなかった。

 なにこれ?

 ……まあ、保留ということで。


 奥には暖炉がある。


 暖炉って前世も併せて実物を見たのは初めてだ。

 くすんだ茶色の煉瓦で作られていて、中は大人が二人ほど潜り込めそうなサイズだった。

 そこに、薪台? っていうんだっけ、金属の台があり薪が組まれていた。

 鍋を吊せるようになっているし、鉄板を置けば肉も焼くことが出来そうだ。

 良いねぇ~

 火を付けてみたくなったけど、取りあえずは一通り、見てからの方が良いかな?


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