ママ(フェンリル)の期待は重すぎる!【Web版】

人紀

第一章

異世界転生!?

 前世の記憶と言われても、わたしはさほど覚えていない。


 ヒステリックに喚く母親の影と、怒声を上げながら物を壊す父親の影と、現実から逃げるように見続けた魔法少女もののテレビアニメ……。

 あとは、スマホで読み続けたWeb小説や学校の図書館の書籍達……。


 それぐらいなものだ。


 自分が何という名前だったのかも覚えていない。

 自分がどんな人間だったのかも、ほとんど覚えていない。

 自分がどうやって死んだのかも、覚えていない。


 何となく、セーラー服を着た女子中学生だった――そんな記憶しか無かった。


 ひょっとしたら、そこから高校生になり、大学生になり、社会人になり、優劣はともかく大人としてそれなりの知識や経験を積み重ねていたのかも知れない。


 だけど、それらの記憶が一切無い。


 故にと言うべきか、知識チートで”わたしスゲー!”は出来ないようだった。


 ……いや、それ以前に、Web小説のテンプレ主人公達とは違い、わたし、バッドエンド最後みたいです。


 だって、目の前に巨大な狼が立っているんだもん。


 深雪の様な真っ白い毛並みに、尖り気味の鼻や耳、すらっとした胴回りの後ろから長い尻尾が見える。


 因みに、目の前といっても目と鼻の先ではない。


 多分、二十メートルは先、かな?

 遠近感がおかしくなりそうなぐらい大きい!

 もう、あれ、絶対普通の狼じゃない!

 異世界転移を誘発する事で有名な、大型トラックと同じぐらいのサイズはある。

 しかも、夜なのに、なんだか体がうっすらと輝いているのかはっきりと見えるの。


 これ、もうあれじゃない?


 某小説投稿サイトではドラゴンと双璧を成す、あのお方じゃないの?


 そんなことを思っていると、後ろからおっさんらの野太い声が聞こえてきた。

「――!

 フェンリル――、フェンリル――――――!」


 はい、フェンリル様でしたぁぁぁ!

 やっぱりね!

 わたし、知ってたもん。

 知ってたもんね!


 因みに、後ろのおっさんらは、首がようやく据わったばかりの赤子(わたし)を祭壇に置き、最強の魔獣の前に差し出すクズ野郎共です。

 多分、わたしの現世の父親もいます。


 むしろ、中心人物が父親それです。


 前世の記憶は本当にわずかしか無い。


 ただ、前世の両親は娘のわたしに辛辣だった気がする。


 どんなことをされたかまでは分からないけど、彼らを思うと記憶の奥底でドロドロした何かが湧き出るように不快になる。


 ただ、現世の母親は、娘であるわたしに対してそんな態度を取ったことは無い。

 というより、興味が無いのである。

 ただまあ、使用人らしき人達に世話を任せるぐらいはしてくれていたので、生まれてすぐに前世の記憶がもどったわたしとしては、多少はホッとしていた。

 身分うんぬくんぬは赤ん坊だからよく分からないけど、お金に関して言えばそこそこ有りそうなので、体裁的な意味でも虐待とかはされないだろう――されないよね? ね? って感じだった。


 ただ、現世の父親はわたしの事を疎んでいて、二人っきりになると汚れた物を見るように、見下ろしてきた。

 どうやら、主導権は母親の方にありそうなので大丈夫そうではあるが、将来、父娘の争いは避けられないか……などと、予期していたのだが。


 まさか、こんなにすぐに行動を起こすとは、思いも寄らなかった。


 クズではあるけど、その決断力には脱帽する。


 当然、尊敬は出来ないけど。


「フェンリル――! フェンリル――!

 ――――!

 ――――!

 ヒャッハッハ!」

 ……いや、決断力というか、ただのヤバい人かもしれない。


 ううん、ヤバい人だ!


 まだ、言葉は分からないけど、絶対、クトゥルフ系の狂信者みたいなことを言ってるよね!

 SAN値が無くなってるよね!?

 現世のお母様、なんて人と結婚したの!?

「フェッフェッフェンリル♪

 ――――、フェンリル♪

 ――――♪

 ――――♪」

 なんか陽気に歌い出した!?

 え? 嘘? わたし、赤ちゃんで、しかも籠に入れられているから視線をそちらに向けられないから見えないんだけど……。

 踊ってない!?

 現世の父、娘を魔獣に食べさせようとしている時に、陽気に歌って踊ってない?


 ヤバすぎるんだけど!?


 なんて、自身の父親の壊れっぷりに驚愕していると、ひぃ! フェ、フェンリルがゆっくりと近寄ってきた。

 巨体なのに驚くほど重さを感じさせない、静かな歩行だ。

 そして、わたしを覗き込んでくる。


 こ、怖い……。


 鋭く尖った目――だけど……。

 わたしを覗くそれは、どことなく、理知的にも見えた。

「フェンリル!

 フェンリル!

 ――――、――――! ――――!

 ――――ぉぉぉ!」

 フェンリルはわたしから視線を上げ――右前足を振った。

 鈍い音、しばらくすると液体が辺りに落ちる音が聞こえた。

 しばらくの沈黙――そして、クズ野郎達の悲鳴と足音が遠ざかっていった。


 フェンリル、理知的でも魔獣は魔獣、うん、うるさかったら殴るわよね、うん。


 そんなことを現実逃避気味に考えていると、フェンリルが舌を器用に使い籠の持ち手を上げると、パクリとくわえた。

「うひぃ!」

 まだうまく言葉が話せない口から、変な声が出た。

 だって、目の前にフェンリルの巨大な歯が、歯茎までくっきり見えるのだ、仕方がない。


 うん、オムツが濡れるのも仕方がない。


 だが、フェンリルはそんなことお構いなしにどこかにわたしを運んで行った。


――


 結論から言うと、わたしはパクリとされる事は無かった。


 わたしが連れて行かれたのは洞窟、フェンリルの巣らしく、赤ん坊フェンリル(大型犬サイズ)が三頭、待っていた。

 フェンリルはどうやら、わたしをその三頭と共に育てるつもりらしく、横になると、『がぅ!』と軽く吼えつつ、わたしを腹部にある乳房に押し当てた。

 飲め、と言う事らしかったが……デカい!

 体長比が体長比だから、乳房がデカい!

 わたしの顔ぐらいはある。

 当然、それより小さいわたしの口では咥えることは出来ない。

 わたしがオロオロしているのに気付いたのか、フェンリルは『がぅ』と一吼えすると、前足で乳房を押し乳を出してくれた。

 プチュっと出てきた乳白色のそれに、恐る恐る口をつけてみた。


 甘い!


 濃厚でほんのり温かな乳は、思わず体をビクっと震わせてしまうほど美味しかった。

 ああ、口いっぱいに広がる甘い甘い乳を喉に流し込む度に、その甘みのためか疲労や空腹がスーッと抜けていく。

 わたしはそれをしばらく飲み取っていると、乳房の上に浮き出ていたそれは無くなってしまった。

 そうすると、またフェンリルが前足を器用に動かし、乳を出してくれた。

 優しい!

 わたしは一生懸命飲んだ。

 しばらくすると、何だか急に眠くなってしまった。

 ああ、食事してすぐに寝ると、太っちゃうのに……。

 おっぱいなら、関係ないかな?

 うとうとしていると、急に体が持ち上がった。


 ???


 フェンリルの前足で、と言う訳では無い。

 なんか、白いモクモクしたものが体を支えるように優しく巻き付き、体を浮かせているのだ。

 何これ?

 白い、霧?

 でも、眠気が限界に近いので(まあ、良いか)って感じで目をゆっくりと閉じた。

 閉じきる前に見たのは、フェンリルのもふもふした毛――どうやら、わたしはそこに沈められるらしかった。


――


 生きるのって大変だ。

 特に別種の生き物に育てられるのは……。


 フェンリルの巣に連れてこられた翌日、それを思い知らされる事となった。

 もふもふ毛皮の中で目を覚ましたわたしは、フェンリルの例の白い霧みたいなのに持ち上げられて、乳房まで運ばれた。

 そこには既に、子フェンリル達がお食事をしていて、わたしはその隣に置かれた。

 そして、昨日と同じく、フェンリルが押し出してくれた乳をゴクゴクと飲んだ。


 ここまでは良かった!


 わたしがお乳でお腹いっぱいになり、フェンリルの胸の毛の中で「ゲポッ」とげっぷをしていると、フェンリルがわたしを――正確には、着ている服を前足の爪で突っつき始めた。

 わたしは何だろうと、視線を服に向けた。

 本来清潔にしていないといけない赤ん坊の服、それが泥や埃や失禁したあれこれで汚くなっていた。

(ああ、着替えが無いな……)

 なんて思っていると、突然、フェンリルの前足の爪がピピッと動いた。

 すると、わたしの服があっという間にバラバラになった。

 冷たい空気が体を撫で、「ひゃ!?」と声を漏らすわたしに対して、フェンリルはなんと、その巨大な舌でなめ回し始めた。

 くす、くすぐったい!

 ちょっ!

 股の間に、股の間に入れるのはや、止めてぇぇぇ!


 しばらくすると、わたし、出しちゃった。

 刺激するから……刺激するから……。

 出しちゃった……。

 しかも、フェンリル……。


 それを食べちゃった。


 しかも、その後すぐに、わたしの体をまた、ペロペロ舐め始めた。


 心が折れた。


 しばらくされるままになったわたしは、それが終わっても、呆然と洞窟の天井を見つめていた。

(消えて、無くなりたい……)

 そんな事を考えていたわたしだったが、長くは続かなかった。


 素っ裸になった体が、寒さのためにガクガク震えだしたのだ。


(ヤバイ、死ぬ!)


 フェンリルが異変に気付き、体から例のモクモクした白い霧を出して、わたしの体を持ち上げると、胸の毛の一番深い場所にわたしを置いてくれた。


 温かいは温かい。


 だけど、この洞窟、多分山の上の方にあるのだと思う。

 空気が薄いし冷たい。

 こんな状態で素っ裸とか、赤ん坊じゃ無くても死ぬわ。


 ああ、もうやだ……。

 前世は多分不幸せな人生を送っていたと思う。

 だけど、少なくとも中学生にはなっていたはず。

 いまいち、思い出せないけど。

 だけど、今世は赤ん坊のまま死んでしまうのか……。


 そんな風に絶望していると、突然、また体を持ち上げられた。


 寒いっ! と思った後、新たなるもふもふの元に送り込まれた。


 そこには、子フェンリル達が固まっていた。

 彼らはどうやら、わたしを温めようとしているらしく、小さい体(フェンリル基準)で取り囲んでくれる。


 温かい。


 子供だからか分からないが、フェンリルより温かいかもしれない。

 わたしが新たなるもふもふにホッコリしていると、フェンリルが『がぉ、がぉ、がぉ』と何やら吠え始めた。

 そして、洞窟の外へと駆けて行った。

(なんだろう?)

 わたしは小首を捻りつつ、子フェンリルに顔を舐められつつ、それを見送った。



 一、二時間ぐらい経っただろうか?


 子フェンリル達に囲まれて、うつらうつらしていると、フェンリルが帰ってきた。

 何やら、口に大きな袋を咥えている。

 それをわたしの前に置くと、フェンリルの体から例の白いモクモクが溢れ出て、それで袋を開け始めた。


 中にはわたしがすっぽり入るぐらいのタライと衣類っぽいものが、ごちゃごちゃ入っていた。

 フェンリルはタライを取り出すと、地面に置く。

 その上で、白いモクモクを変形させていく。


 え? 壺の形?


 すると、壺の口から何やら湯気が出始めた。


 え? なに?


 驚いているわたしを尻目に、壺がゆっくりと傾いていく。

 壺の縁からお湯らしき液体がこぼれ出て、たらいをゆっくり満たしていく。

 フェンリルが前足をそこに入れ、何度か水で温度を調整した後、わたしを白いモクモクで持ち上げると、ゆっくりと下ろした。


 温かぁぁぁい!

 うわぁ~幸せ。


 フェンリルはそんなわたしの体に、白いモクモクで粉っぽく変な臭いがする物を塗りたくり始めた。

 少し泡立ってるから石けん?


 べちゃべちゃ、ドロドロの体が綺麗になる。


 次に、タオルっぽいものでわたしの体を拭くと、白いモクモクを器用に扱い、中世の赤ん坊が着るような服を着せ始めた。


 温かい。

 恥ずかしくない。


 更に、ブランケット――といっても”前世”のものより肌触りは良くない――を取り出し、わたしにかけてくれた。


 温かい!

 寒さから守られて幸せ!


 更に、ブランケットごとわたしを持ち上げて、おっぱいの元まで運んでくれた。


 乳、美味しい!


 いっぱい飲んだ後、フェンリルの一番温かな場所にわたしを運んでくれた。

 その周りには子フェンリルが寄り添ってくる。


 わたし、涙が出てきた。


 温かい。

 嬉しい。

 フェンリルの――ママの胸でいっぱい泣いた。


 ”前世”でも”今世”でも、多分与えられなかったもの。


 本当の家族に与えられなかったもの。


 それを体いっぱいに感じられたから。

 だがら、ポロポロと涙を流した。

 ママやお兄さん? お姉さん? に顔をペロペロ舐められながら、皆の温もりを感じながら、泣き続けた。

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