北の魔女と私が出会った話

砂鳥はと子

前編 北の魔女

 私の住む街には北と南にそれぞれ魔女が住んでいる。魔女たちは森の中で暮らし、日々魔法や薬草などの研究に勤しんでいた。依頼があれば人を助けることもあった。


 特に南の魔女は先代の魔女が十数年前に引退したこともあり、まだ若い魔女ということもあって街の人たちの関心を引いている。性格も明るく朗らかで、先代の魔女に引けを取らない良い魔女だと街では評判だった。


 だから何かあれば皆、北ではなく南の魔女に会いに行く。


 今日も街では南の魔女の評判をよく聞いた。困りごとをすぐに解決してくれて、かかるお金もお手頃とあり、大人気だ。


 一方、北の魔女についてはあまり話を聞かない。どんな人かもよく分からず、話題にする者は少なかった。一部の老婦人たちから北の魔女の薬はよく効くと耳にすることがあるくらい。


 ミステリアスで得体の知れない北の魔女。私は以前から興味があった。アイドルのような扱いの南の魔女より、謎のベールで覆われた北の魔女に会ってみたい。


 みんなは南の魔女の方がいいって言うから何となく私も魔女を頼りにする時は南の魔女を選んでいたけれど、一度芽生えた北の魔女への好奇心は消えそうにない。


 そんなことを考えていたら、妹がタイミングよく風邪を引いてしまった。これは北の魔女の薬を頼るチャンスと言える。ただ家族に「北の魔女の所に行って来る」なんて言われたら絶対に「南の魔女にしておきなさい」と言われそうなのは明白だったから、私は黙って北の森へと行くことにした。


 北の森は南の三倍は広いと言われている。黒々とした木々に覆われて、日差しもあまり届かない。今日なんて朝から燦々と太陽が春の日差しを落としているのに、森の中はどこかひんやりとして、時折涼しい風が通り抜けた。


 私は古ぼけてペンキが剥がれた道標を頼りに、森の中の蛇行する道を黙々と進んだ。


 途中で休憩も挟みつつ一時間が経っただろうか。森は突然開けた。上を見上げれば青い空に、のどかな雲が羊のようにふわふわと浮かんでいる。目の前には二階建ての蔦で覆われた煉瓦作りの屋敷。


 一見すると不気味ではあるが、屋敷周りはきれいに手入れされているのが、一目で分かった。錆びついた門をくぐると、庭に薔薇の生け垣が見えた。立派な生け垣はもうしばらくすれば、見事な花を咲かすだろうことは容易に想像がつく。さぞ胸が踊る景色が広がるに違いない。


 私は生け垣の合間に続く石畳を進み、玄関までたどり着く。獅子の形をしたドアノッカーを叩いた。けれど誰かが出てくる気配もなく、私はもう一度叩く。


「どこかに出かけてるのかなぁ」


 私は玄関前から少し離れて、建物にいくつも並ぶ窓に目をやる。玄関横の大きな窓に目が止まり、思わず悲鳴がもれた。


「⋯⋯ひっ」


 そこには真っ白な無機質で何の表情もない仮面が覗いていたから。


(よくない場所に来てしまったのかも⋯)


 好奇心だけでここに来たことを後悔し始める。


 どきどきしているうちにいつの間にか仮面の人はいなくなっている。


 間もなく玄関の扉がゆっくりと開いた。扉の内側にいたのはさっきの白い仮面の人。よく見れば仮面からは長く艶のある黒い髪が生えていて、着ている黒いロングドレスは一目で高価と分かる品。


(この人が魔女⋯⋯? それとも使い魔ってやつ?)


 感情が何一つとして読み取れない仮面を前に、私の体は固まっていた。


「家に何か御用ですか?」


 先に口を開いたのは仮面の女性。声は透明な小川のせせらぎのようにたおやかで、怖そうな雰囲気はしないことに、少し安堵する。


「あの、こちらは北の魔女さんのお宅でしょうか?」


 いつの間にかカラカラになった喉から声を振り絞る。


「ええ、そうだけど。どんなご用件かしら?」


「えっと、その⋯⋯、家族が風邪を引きまして。それで風邪によく効く薬を調合していただきたく⋯⋯」


「ならどうぞ、入って」


 私は女性に案内されるまま屋敷に足を踏み入れた。


 私が通されたのは応接室らしき一室。百合の花をあしらったふかふかの絨毯の上に、赤いソファーが二対向き合い、その間にローテーブルが置かれている。壁には青い瞳の美しい少女の肖像画。部屋の隅の小さな机も年季が入ったアンティークだ。どれもこれも立派な調度品で、気後れしてしまう。


(薬がめちゃくちゃ高価だったらどうしよう)


 私は不安になりつつも、仮面の人に促されるまま、ソファーに座った。ソファーもとてもふかふかしていて柔らかい。


 仮面の人は机から紙とペンを持って来ると私の前に座る。


「あなたが所望しているのは風邪薬で間違いないわね?」


「はっ、はい。そうです」


「風邪はどんな症状が出ていますか?」


「熱はあまり高くないのですが、咳がひどくて。そのせいで喉もガラガラになってしまって⋯」


「他にも症状はある?」


「食欲がなくて、だるいと家族は申してます」


「なるほどね」


 女性は流麗な文字でさらさらと紙に記載していく。


「症状にあった薬を調合して来るのでしばらくここで待っていてください」


 すくっと女性は立ち上がる。見上げる位置にいるせいだろうか、女性の足の長さとスタイルの良さが強調されて見える気がする。この人が北の魔女なのだろうか。


「あの⋯⋯、すみません」


「他にもまだ何かありますか?」


「いえ、あの、貴女が北の魔女なのでしょうか?」


「ええ、そうだけど。北の魔女、ディートリンデとは私のこと。何か問題でも?」


「南の魔女は仮面をしていなかったので⋯⋯。北の魔女は仮面をする風習があるのでしょうか?」


「⋯⋯⋯⋯。ええ、まぁそんなところね。大した意味はないから気になさらないで。それとも素顔が気になるかしら?」


 初めて魔女は笑う気配を見せた。


 確かにどんな顔かはとても気になる。でもそんなことを言うのは失礼かもしれないし、私は適当にごまかした。


「この仮面の下はとても醜い顔なのよ。まるで悪魔みたいにね。だから隠しているの」


「⋯⋯⋯⋯⋯」


「なんて、冗談よ。どこにでもいるありきたりな顔よ。怖がらなくていいわ。薬を調合して来るのでお待ちになってね」


「お、お願いします」


 私は優雅な身のこなしで部屋を出ていく魔女の背中を目で追う。もう少し魔女と話していたかったと思ってしまうのは、何故だろう。これも魔女の持つ魔力に魅せられているということかもしれない。


 十分ほど待ったところで魔女は硝子瓶を持って戻って来た。


「これが風邪薬。取り敢えず一週間分用意したから、しばらくは使ってみて」


「ありがとうございます。これで家族も元気になると思います。お代はいくらほどでしょう?」


「一瓶1000ペクーニアよ」


 私はカバンから銀貨を取り出す。


 値段はいたって普通だった。豪華な家に住んでいるから、薬も高価でお金が足りなかったらどうしようと思ったけれど、十分足りる。


 けれど、値段も普通で魔女も優しいのにどうして南の魔女に比べたら人気がないのか不思議だ。もしかしたらあまり薬が効かないのだろうか。こればかりは妹に使ってもらわないと検証ができないけれど。


「ありがとうございます、ディートリンデさん。また何かあれば頼ってもいいですか?」


「それは、もちろん。でも貴女変わってるわね。普通はみんな南の魔女を頼りにするのに。ここに来るのはほとんど昔馴染みのお年寄りくらいなのよ。貴女も街の人なら分かるでしょう」


「私は北の魔女がどんな方なのか知りたかったんです。確かにみんな南の魔女を頼りにしてますけど、きっと北の魔女もすごい方だと思って⋯⋯」


「貴女のお眼鏡にかなうと良いのだけど」


 ディートリンデさんは何故か寂しそうに言う。きっと皆この仮面におののいて、南の魔女の方へ気移りしてしまうのかもしれない。


 私は名残り惜しさを感じながらも北の魔女の家を後にした。




 


   

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