第27話 脅威は未だ去らず(三)

「確かに、あの日、一晩にして『非都民』とやらの追い出しが出来たというのは、普通では考えられないことですね」

 ここに来て戸越が相槌を打った。区長は「樋里さん」と言っていたのだが……まあいいか。

「ええ、この作戦を実行するために秘密裡に組織され、訓練された、特殊な部隊なのでしょうが——あれほどの規模のものを東京都単体で組織したというのは、正直言って考えづらいのではないかと……」

「ではやはり、後ろ盾がいるのではないか、ということですかな」

「はい、先ほどの電力の件もそうでしたが、いくら数百万の人口を抱えているとはいえ、東京都だけでこの『東京国』計画を実現するのは不可能に近いと思われます。もちろん、他国の干渉があったのだとしても、それを成し遂げるには十年単位での準備が必要でしょうが……」

「え? 数十年?」

「なんでしょう、押立さん」

「よく考えてみてください。今の都知事——築地木犀ついじもくせいが就任したのは二年前ですよ、本当に構想から十年以上の計画なのだとしたら……都知事が代替わりするたびに、その計画が引き継ぎされていたってことになりますよ」

 確かに、その通りだ。築地都知事の先代は二期連続当選、つまり八年間都知事の座にいたが、樋里の推論が正しければ、少なくとも、その人のさらに先代が都知事だった頃からこの計画は継続してきたことになるのだ。

「なるほど、だとすれば、東京都とその『後援組織』は、長い間秘密の協力関係にあったのではないか、と……。なかなか考えにくい話ではありますが、確かに東京都から渡された武器——市民兵が使うためのもの——も、かなり高性能らしく、ある物によれば『狙った対象を勝手に追いかけてくれる』——さらに言えば、『ちょっと外そうと念じれば勝手にそうしてくれる』とかなんとか……」

「勝手に? それって、自動追尾機能というか、『念で動く』ということで……流石に何かの勘違いなんじゃないかという気もしますが、そんなのは、流石に聞いたことがないですね……」

「うーん、なんだか難しい話に……」

 戸越のその一言を境に、皆、沈黙してしまった。確かに、この一連の騒動に、黒幕ではないにせよ、何かしらの組織が関与しているのだとすれば、話が壮大になりすぎてしまう。仮に真実だとしても、話の風呂敷は広がったままで、中身の大きさ故に結べる気配がない。

 ここでこんな、妄想以外の何物でもないような話に現を抜かしていても仕方がない。最後にどんな強大な敵が待ち構えているのだとしても、今我々に出来ることは、いや、するべきことは、「吉祥寺を守り抜くこと、そのために練馬南部を掌握すること」しかないのだ。

「み、皆さん……とりあえず、この話は終わりということにしませんか? これ以上何か収穫があるようにも思えませんし……」

「ええ、私もそう思います。なんだか後味は悪いですが、これからするべきことについては合意が形成出来たのですから、何も問題はありませんよ」

 八千代も同調した。他の参加者たちも、もはや仕方がないといった様子で、頷いた。

「そうですね。一応、したい話は済んだわけですし……これにて、会議は終了ということにさせていただきます。戸越さんにおかれましては、こちらの停電の方の対応をぜひ、お願いいたしますね」

「分かりました。ええーっと……皆さん、お疲れ様でした、急に参加させた頂いたのに、本日はありがとうございました」

「お疲れ様でした」

 こうして、会議が終わった。

「ふう……想像以上に長々と喋ってしまいましたね……。もう正午近くとは。皆さんもお疲れでしょうし、少々休んでいかれてはどうでしょうか。お茶でもお出ししましょうか」

 お茶。樋里はこういうときどうするのが正解なのか、未だに明快な答えを得られずにいた。すぐに「はい」とでも言えば、貰えるものはすべて貰うような強欲な奴と思われかねないし、かといって断るというのもなんだか薄情な気がしてならない。棘のない断り方というのが、分からないのだ。

 押立に目配せして、目で意見を聞くと、「せっかくだし、良いんじゃないか?」という感じの表情が返ってきた。押立が言うのならば、そうなのだろう。ということで、お茶を頂くことにした。

「……では、お言葉に甘えて」

「そうですか、では——おーい、戸倉さん、お茶をお出ししていただけますかな」

「はーい、すぐに伺いまーす」

「さて、ここからは単に私の意見というか、ちょっと感じた程度のことなので、聞き流していただいて構わないのですが——」

「失礼しまーす」

 もう「戸倉さん」がやって来た。仕事が早い。相当手際がいい人なのだろう。

「築地都知事は、どちらのご出身でしたかな?」

 樋里は、思わず怪訝な顔をしてしまった。唐突に出身地の話をし始めるとは、どういうことだろうか。とはいえ、樋里自身も彼女の出身地については知らなかったので、検索した。

「ウィキペディアには、中央区とありますね。もちろん東京の」

「区長も、どうぞ」

 運ばれてきたお茶を啜った後、区長はこんなことを言った。

「中央区、ですか……そんなイメージはありませんでした。私の記憶ですと、もうちょっと西の方であったような気も……」

「政府の方もどうぞ~」

「ウィキペディアの情報が間違っている、と?」

「吉祥寺の皆さんもどうぞ~」

「いえ、そういう訳ではありませんが……まあ、樋里さんも覚えていらっしゃらないなら、これ以上話しても仕方がありませんね、すみません……」

「えっ、樋里って……あーーーっ‼」

「え?」

 お盆が落ちる音がした。幸い、既にお茶を渡し終えていたから、床は無事のようだ。しかしこんな、突然大声を上げてお盆を落とすなどという絵に描いたようなオーバーリアクションをするとは、一体全体何が……? そう思って、樋里は「戸倉さん」の方を見た。

「やっぱり! 樋里くんじゃん! 私だよ私、戸倉伊奈とくらいな!」

 オレオレ詐欺のテンプレートのような文言で自己紹介をされて、ようやく状況を理解した。


 彼女、戸倉伊奈は——檜原村に住んでいたとき、小中学校時代の同級生。言い換えれば、いわゆる幼馴染である。こんなところで仕事をしていたとは、何たる偶然。

 しかし、理解したとはいえ、状況を呑み込み切れたわけではなかった。自分でも何をしているのか分からなかったが、なぜかその場で、出されたお茶を一口飲んだ。杉並区庁舎は節電中で少々寒かったから、お茶の温かさがより一層体に染み渡った。

「『ほっと一息』じゃないんだよ、何やってんの」

 その一言とともに、樋里は頭頂部にツッコミのチョップを食らってしまった。

 まあ、それは良いとしよう。問題は、この場の雰囲気である。辺りを見回してみれば、皆俯き加減でお茶を啜っているではないか! そう、会議室は既に、気まずさが具現化したかのような空間と化していたのだ!

 授業参観に親が来た時のような、あるいは大学の友達とつるんで遊んでいる時に高校時代の友人とエンカウントしてしまった時のような、自分にとって「公」であるものに「私」が入り込んでくるという、あの特有の気まずさ。そんな空間同士の接触事故に気付いた途端、樋里もまたその事故の犠牲者となり、一瞬にしてお茶を飲み干して、そそくさと会議室を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る