第16話 レプリカ

 基地に戻って一息つこうとしたところ、極度の緊張が解けたせいか、一気に空腹感が襲ってきた。お腹がかなり大きな音を立てて鳴ってしまったので、他の隊員にもそれがバレてしまった。もちろん、八千代も含めて。

「樋里さん、本当にご苦労様でした。皆さんも、お腹空いてますよね? そろそろもう、夕ご飯ということにしませんか?」

 ほとんど全員が賛同した。ということで、少々早めの時間であるような気もするが、二度目の夕食の時間だ。

 樋里は、厨房設備を拝借して、レトルトの和風ハンバーグを軽く調理した。


 ハンバーグを頬張りながら、こんなことを考える。

 自分は如何様いかようにして「吉祥寺前線基地のリーダー」たり得るか。

 ここにいる市民たちからの信頼を獲得するには、どうすればいいのか。

 自分は一人の政治家でしかない。軍人でもなければ、金森さんのような威厳ある人でもない。しかも、政治家であるにも拘らず、まともな人心掌握術すら会得していない。作戦を考えるであるとか、そういった「ブレーン」としての役割は、八千代の方が圧倒的に適している。

 檜原から、苦境を乗り越えて独学で東京大学に合格した樋里は、自身の頭脳に関してはある程度の自信を持っていたが、それは既に八千代の存在によって打ち砕かれていた。しかし、だからといって彼女を憎んでいるかといえば、そういうわけでもなかった。樋里は、心優しい青年であった。

 そろそろ食べ終わるかというところで、八千代が隣に座ってきた。……相変わらず、食べるのは早いらしい。

「それ、美味しいですか?」

 微笑みを浮かべながら、こちらを見て、彼女はそう言う。この笑顔を見ると、やはり「強くあらねばならない

 」と強く実感する。

「ええ、とっても」

「そうですか、それは良かった……」

 八千代は黙ってしまった。話題に困っているのだろうか。意味もなく喋りかけてくるような人ではないだろうが、確かにもともと口数が多い方というわけでもなさそうだし——。

 ゴミをまとめながらそう思っていると、彼女は徐に口を開いた。

「樋里さんは、?」

 耳の痛い質問だ。思わず、「えっ、えっとその、それは……」と情けない声が出てしまう。

「あっいえ、すみません、毎度毎度言葉足らずで! そういうことではなくて——」

 八千代は、息を入れて話し始めた。

「樋里さん、自分はまだ『ダメダメ』だとか、そういう風に思ってませんか? まだ全然みんなに受け入れられてないって。それで、そんな自分を変えたい、あの人みたいになりたいって、そう考えてるんじゃないですか? 特に——金森さんとか」

 完全に図星を突かれてしまった。ごまかしようもないだろうから、特に否定せずそれを認めた。

「おっしゃる通りで……みんな口には出して彼を褒め称えるようなことはないけれど、ところどころで、『吉祥寺前線基地の人たちの精神的支柱になっているのは、間違いなくこの人だ』と思うことがあって」

「ええ、とても分かります。私もあなたもここの人々が集まった経緯を詳細に知らないので、定かではないですが——彼がそこで重要な役割を果たしたことは、考えなくても分かりますから」

「本当に……というか、八千代の頭脳——地理的な知識であるとか、戦術であるとか——そういうところももすごいよ」

「えっ」

 思わず口に出してしまった言葉に、八千代は驚いている様子だった。

「いえ、そんな……私はそういう教育を受けてきただけですし、結構皆さんに良くしていただいているとはいえ、正直なところまだいろいろ慣れない側面も多いですし……」

「いやいや、教育だろうと何だろうと、それが実力ってもんだし、慣れなくてもまだ来て二日目なんだから——」

「はい! 一回この話は終わりです! あと二日目なのはみんな一緒ですから! その理屈が通るなら、樋里さんが『自分は受け入れられてない』と思うのも普通のことですよ!」

 無理やり話を打ち切られてしまった。確かに、二日目で見知らぬ人を受け入れられる方がおかしい、というのには一理あるかもしれない。

 八千代は、二度、深呼吸をして、再び喋り始めた。

「……とにかく、そういうことですから、『自分はまだまだだ~ナントカになりたい~』とか、言わなくていいんですからね。そうやって無理して、悲惨な結末が訪れでもしたら……本末転倒なんてもんじゃないですからね。それに、そんなことになったら——私も、きっと立ち直れません」

 神妙な面持ちでそんなことを言われてしまえば、何も言い返せなくなってしまう。

 樋里は、ただ一言、「分かった、ありがとう」とだけ言った。

「というか……受け入れられてないってのもウソですからね? 私聞いちゃったんです。男性陣が『樋里とかいう人のさっきのアレ、正直カッコよかったよな、俺ならあんなん出来る気がしねぇや』と言っているのを!」

「えっ……本当に?」

 驚いた。確かに、自分でも結構勇気のいる行動をしたものだなあとは思ったが、それがそんな風に受け止められているとは思いもしなかった。八千代が言ったように、「虚勢張って無茶なことやりやがって……」と思われているものとばかり考えていた。

「ですから、もうちょっと安心して、肩の力を抜いて、今後も——ってあっ!」

 かなりの大声に、樋里は思わず声を出して驚いてしまった。一体、何だろうか。

「さっき私の名前を呼んだとき、さん付けじゃなかったですよね! ね!」

 そうだっただろうか、と樋里は思った。記憶にはなかったが、彼女が言うならそうなんだろう……。

「じゃあ、今後はそれで! お願いしますね。じゃあ、私はそろそろちょっと失礼します」

 立ち上がって、八千代はこちらを向いた。それを見て樋里は、自分の中にあるちょっとした恥じらいのようなものを捨て去ることを決意した。

「じゃあね、ありがとう、八千代」

 八千代は、より一層目を輝かせて、満面の笑みを浮かべた。

「はい! 樋里さんも……頑張ってくださいね、明日」

 そう言うと彼女は、小走りで去っていった。


 そう、明日は「交渉」の日だ。下っ端の彼は区長のことを「弱腰」と評していたが、かといって油断ができるわけではない。八千代は「変わろうとする必要はない」と言っていたが、その言葉をそのままの意味で捉えるとするならば、明日は自分の「交渉力」が試される場所と言える。

「皆さん、明日は、吉祥寺の防衛に関して、特に重要な日です。朝はそこまで早くもないですが、体力を温存すべく、早めに就寝することとしましょう」

 そう言ったのち、緊張を誤魔化ごまかすかのように、早々に支度を済ませて、九時半には眠りについてしまった。

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