第12話 杉並区長からの手紙

 杉並区長から手紙が届いた——それは樋里、いや、吉祥寺前線基地の全員にとって、予想外のことであった。そもそも、どうやってこの基地まで届けたのか、どうしてここが分かったのか、全てが謎だ。

 早急に布団等の片付けと朝の支度を済ませ、樋里は手紙を開いた。そこには、このようなことが書かれていた。

「吉祥寺前線基地の樋里数馬先生。あなたと、是非直接会ってお話ししたい。我々はこの対話において、一切の攻撃を行いません。もちろん、罠なのではないかとお疑いになっているでしょうから、他の兵士を全員連れてきていただいても構いません。明日の朝、東京女子大学の付近まで来ていただけませんでしょうか。何卒、宜しくお願い致します。杉並区長・桃井和泉ももいいずみ

 直筆の手紙だった。本物であることは間違いない——と見ていいと思う。桃井区長といえば、厳しい財政状況の中で幅広い世代に対して手厚い支援を行い、区民からかなり人気の政治家だ。今年で六十四になり、もうすっかり「お爺さん」と言っていいくらいの歳だが、人当たりはかなり良いらしい。

 まあ、そんなことは今はどうでも良い。人を集めて、手紙の内容を共有した。すると、箱根崎が瞬時に反応した。

「罠じゃないって言ってますけど……どう考えても罠じゃないですか、これは……罠じゃないと思わせての罠、裏の裏……いや、そのさらに裏を突いて本当に罠じゃないのかもしれないですが……とにかく、危険すぎるんじゃないかと思います……」

 長沼も、同じように反対の意思を表明した。

「罠じゃない……兵を引き連れてきても構わない、って……それ逆に宣戦布告ってゆーか、『お前らなんか片手で十分相手してやれるぜ』的な意味なんじゃね~の? 全員でかかってきても返り討ちだぜ、っていう」

 珍しく、押立も強く主張した。

「うーん……俺もあんまり賛成できないかなあ……みんなでのこのこあそこまで行って、それで全滅、なんてことになったら、取り返しがつかないどころの騒ぎじゃあないってもんで」

 その他の人々も、概ね会いに行くのには反対、といった意見であった。そんな「民意」を集約して、ダメ押しをするかのように、金森も発言する。

「この感じじゃあ、行くにしたって誰も付いてきてくれやしないですよ、樋里さん。この件はなかったことにした方がいい」

 この、気だるげそうながらも、その静謐せいひつさの中に豊富な人生経験と底知れぬ賢明さが宿っているような感じを醸し出している初老の男を前にすると、樋里は何も言えなかった。そして、樋里が「じゃ、じゃあ……杉並区長からの手紙は、見なかったという体で破棄する、ということで…‥」と言おうとした、まさにその時、「少し、良いでしょうか」という声がした。

 八千代だった。

「私は……この『対話』、乗った方が良いのではないかと思っています」

 すぐに疑問の声が上がる。樋里は、「ちょっと待ってください、ちゃんと話を聞いてあげて」とそれを止める。

「まず、自分たちの置かれている状況をよく考えてみてください。『東京軍』が吉祥寺を狙っていて、いつ攻め込まれてもおかしくない状況。実際、昨日は攻め込まれたんですよね? なぜか見逃してもらえて、辛うじて無傷で帰還したようですが……。まあとにかく、すぐに分かることとしては、ということです」

「ですから、何もせずにここで彼らを迎え撃つことにするよりは、あちらの『善意』に賭けて話に乗った方がまだマシなのです。攻め込まれるという意味では、どちらもやることは同じ。それに、侵入経路が判明しているという点、そして市の外縁部に近いという点で、むしろこちらにとって有利でしょう」

「それに、本当にこちらを殲滅せんめつする意思があるなら、昨日の戦闘で我々を見逃すなんてことはしなかったはずです。そう、全員で行っていいんですから——騙されたとしても、決戦の時が早まったというだけなんですよ」

 八千代は早口でまくし立てた。彼女は、主張をする際には普段と違ってかなり饒舌じょうぜつになる。いや、これはどんな人でも当てはまることかもしれないが、彼女の場合は——すぐにその場に座り込んでしまった。これほど一気に喋るのには、かなりの体力を要するらしい。樋里も政治家ゆえ、その大変さは身を以って知っていた。

 聴衆らが彼女の喋りに圧倒されてしまっていたのを見てか、金森が口を開いた。

「うーむ……なかなか難しい話になってきましたね。よく考えてみれば、確かに一理あるような気がしてきます。そうです、我々は『吉祥寺前線』基地の者どもなのですから、元より戦闘は避けられない前提、それを承知の上で集まったものだったはず……皆さんは、どう思われますかな?」

 同意と反対の声が七対三くらいで聞こえてくる。まあ、同意とは言っても、「確かに、否定できない……」くらいの、あくまでも消極的なニュアンスのものが多かったのだが——それはある人の鶴の一声によって覆された。

「皆さん、大変申し訳ございません! 私は小心者でございました! わざわざ政府から派遣されておいて、自分が怖いからといって反対して……そうです、我々は義勇兵なのです! 我々の力で、吉祥寺を守り抜く! そのためには、リスクを冒すことも時には必要というもので……もっと早く気付くべきでした。本当に……」

 実直極まりない男、押立是政である。押立の発言は、「皆さん、当然賛成ですよね⁉」といったような「呼びかけ」ではなかったが、それゆえに、かえって人々の共感を得た。「そう……ですよね! 私も反対しちゃいましたが……八千代さんの話を聞いて、確かにと納得しました!」「押立さんもそうでしたか……! 僕も意気地なしでした、面目ないったらありゃしない……」

 樋里は、改めて、政治家・押立是政の求心力の高さに嫉妬し、同時に、自分のあるべき姿をそこに見出した。自分は「これ」にならなければならない——それは彼にとってとんでもない重責でありながらも、大きなモチベーションでもあった。


 何はともあれ、かくして樋里は、杉並区長との対談に向かうことが決定したのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る