実に、ネコの国はあなた方の間にあるのだ。
真槻梓
某日、世界から全てのネコが消えた。初めの一報は、ネット上の些細な投稿に過ぎなかった。しかし、その投稿から連続的に、共感を伴う形でネコの消失が報告される。
「最初は……最初は本当になんでもなかったんです……」
女性が泣きながら話す。途方もない出来事に触れて、どうしようもなくなった人間としての反応だった。
「どこかに隠れているだけだって、ルルも、キティーも、いつも仲の悪いセトとトラも、たまたま示し合わせてかくれんぼでもしているんだって……もうずっと会えていないなんて、おかしくなりそう……」
日付変更線が上空を駆けて、翌日になった瞬間、ネコはその影を消した。最初は太平洋の島々での特異的な現象とも思われていたが、それは楽観的な予測に過ぎなかった。極東から西洋にかけてその超常現象は連鎖的に起こっていき、残る南北アメリカ大陸の人間は、ネコを隠してでの眠れない夜を過ごすことになった。
「私はずっと起きていました」
日付変更線を西に接している島に住む、男性が語る。見ると、目には重度の隈ができていた。
「ずっと、ずっと起きていました。うちのチャチャは何ともないし、怪しいそぶりもない。きっと大丈夫だって……」
男性は嗚咽混じりの声で話を続ける。
「でも、忽然と消えたんです……僕はじきに、国からの補助金を受けてコールドスリープに入ります。もう、ネコのいない世界では生きて行かれないんです」
世の愛猫家たちがネコ消失の事件に喘いでいた時、各自治体から特段の支援はなかった。確かに不思議な出来事ではあるが、あくまでネコという、一般的に自由気ままな生物が姿を消したというだけであって、事件性は無いとするのが大方の見解だった。
しかし、意外ながらも最初に問題が生じたのは警察組織だった。愛猫家たちが個人での捜索を断念して、警察に遺失届を出す形での捜索をし始めたのだった。一日で提出される遺失届の件数は日を追うごとに格段に上昇していき、またある種のヒステリー気質を持った人間も、警察にかかり始めていた。
「阿鼻叫喚、と言ったらいいのでしょうか。交番に、警察署に、そして関連する方々の機関に、終日人が押しかけているんです」
交番に勤務する男性が話す。彼はこの事件の異質さを、彼自身の職業から知ることになった。
「僕はネコに関してそれほどまでの思い入れはないのですが、家族の一員が居なくなったんです、と詰められれば、少しは分ることができました。様々な画角の写真を持って、人が海の白波のように溢れているんです」
彼は笑って言う。
「僕は最善を尽くしましたが、その時点で一件たりとも解決したものはありませんでした。怪奇事件として、僕の中でも強く残っています」
警察機関がネコを探す人間の対応に追われ、その柔軟性を失っていく中で、ネコとは全く関係のない事件に対しての動きが鈍っていく。これを問題視したのは大小の自治体であり、また一般市民だった。
「強盗が野放しにされているんです、到底許される話ではない」
強盗被害者の会の会員が一人、主張する。
「悪いですが、ネコの問題は正直どうだってよかった。それよりはより深刻な問題の解決です。私は失うことの辛さを知っていますから、安易にネコ狂いに対して自重を呼びかけることはしませんでした。結局、自治体に直談判をしたのです」
しかし困ったのは、当の自治体だった。同じような思考に至った人間は多く、そして同じような内容の陳述が机の上に山を為したのである。自治体も、徐々にその機能が緩慢になっていき、地方自治がうまく機能しなくなってくる。にもかかわらず、警察組織への面倒は続いていたのだった。
「残業続きでした」
都市部から離れたバカンスの地、かつて県の職員をしていた女性が話をした。
「あの日々には絶対に戻りたくないですね、ノイローゼになりそうな毎日で、さっさと辞めていった同僚は賢いと思います」
ネコのことも少しは愛着があるという女性は、しかしいなくなったことに対しては冷淡だった。
「そういう生き物でしょう、とは思いますね、いずれは戻ってきますよね」
警察が鈍化して、自治体が機能不全に陥って、流石に各国の政府が動き出した。ネコが消えるという事態には未経験の国も、なけなしの人脈を動員して、それらしい専門家から結成された全国的な委員会を作った。
国民はその行動を賞賛し、委員会は華々しい幕開けでその行動を始めた。しかし、この内容に明るい人間など、どこにいるわけでもなかった。少額の予算と人員を動かした委員会も、結果を残せないまま舞台裏へと消えていく。
「正直、あほかと思いましたよ、そんな専門家いないし、委員会だって作れないって」
国家の官僚として勤務を続ける公務員が話をする。その目線は現在も仕事の方に注がれていて、余裕ない状態での回想であった。
「それでもやるってんだから、やるしかないんですよね、酒の席で友人に話したら……もちろん守秘義務は果たしましたよ、当然です……そう、話しても信じてくれないんです。冗談じゃないって何度も話したんですが……まぁ、彼らは数日後のニュースで知ることになったわけです」
語っている彼女は、パソコンの画面に視線を泳がせたまま、机上のコーヒーを啜った。
「その後、ネコを飼っていた友人からはお礼のようなメッセージが送られてきました。その人に委員会のことを話したわけではなかったですが、本当に切羽詰まっていたみたいでしたね」
国もその責務を果たせないとなると、各地で暴動が発生する。実に、ネコが姿を消してから、四週間が経とうとしていた。
「悪夢だと思いました。こんなことが起こるなんて、という衝撃で、私は何も信じられなくなってしまったのです」
自警団の代表をしている男性が、答える。彼自身も重度の愛猫家であったが、この騒動が起きて、市民の要請のままに仕事をすることになった。
「元はと言えば仲のいい連中が集まって作った団体でしたから、中には私と同じ愛猫家の団員も居ました。彼女は仕事に対するストライキを訴え、実際部屋から出てこようとしませんでしたね」
ネコを失ったことが直接的に暴動へとつながっていったとはにわかに信じ難い。真に相関があるのは公的機関の麻痺と暴動であろうが、「その論理なんてどうでもいい」と男性は語る。
「とにかく、無駄な血だけは流させたくなかった。だから私は現場に向かったのですが、実際の暴動は、思っていた以上でした。二度とあんな仕事はしたくないですね」
この一件から、徐々にネコ消失騒動の事件としての重要度は高まりを見せていく。各国が手をこまねく中、民主主義を標榜する一部の国々が、この騒動への対処機関を組織することになる。各国の失敗を受けて、世界中の能力ある研究所を動員し、ネコの代替物たるものを制作するという政策が行われるに至った。
「簡単でしたよ、それっぽいものを作ることはね」
その時、研究所の代表として働いていた女性は、大きな溜息を吐いた。
「しかし、それっぽいものは、所詮『それっぽいもの』なんです。参考人として呼んだ愛猫家たちの意見の割れ方と言ったら!あんな支離滅裂で、感情先行で、自己中心的なクライアントには初めて出会いました」
女性が卓上のパソコンを操作して、一つの動画を開く。その中には、ネコの様にしか見えない、しかし確かに違和感のあるロボットたちが映されていた。
「今思えば当たり前ですが、個人にとっての見方が大きくことなく、既存のものへの代替物を作るなんて、そんな馬鹿げた話はないんです。作られた大量の試作品は、機関が予算不足で崩壊してから、協力してくれた諸職員の元で元気にしているでしょう」
この頃から、治安の悪化からか、ネコ成分の不足からか、世界規模で自殺率が上昇を始める。失業率が各国軒並み増加して、生活苦(賃金、治安、経済、政治、そしてネコ不足!)を理由に、全労働者団結の上でのストライキが敢行される例もあった。
「救いはネコにあるのです」
こんな時期、ネコを教祖として新興宗教団体を起こした男性が、語る。
「救いは、ネコにあるのです」
彼は聖遺物として箱を教団に設置して、その中にネコが居ると言ったうえで、大いにその信者数を伸ばした人間だった。メディアミックスを果敢に行い、自分が声優を務めるアニメ作品までをも制作した。
「救いは、ネコにあるのです……」
しかし、その箱の中に一人が毒性の物質を放り込み、ネコの不在を訴えた。その行動から徐々に教団はその地位を落としていき、結果、市民をたぶらかしているというかどで、勾留の憂き目にあうことになった。
「救いは、ネコに……」
一部の地域では、政権が倒れる。愛猫家として名を馳せてきた一部の人間が、謂れなき暴力でその命を落とす。ネコの消失から始まった事件は、その影響を大きくしながら、深刻化し続けていた。
「後の世代にある希望に期待したいと思います」
日付変更線のすぐ東、隈を湛えた資産家の男性が、涙の間隙を縫って、語り続けている。
「世界は宇宙規模でのネコ探しを始めます。私も持てる資産を全て投じて、そのプロジェクトに賭けました。あとは、計画が成功した時に、このコールドスリープマシーンから起こしてもらうだけです」
男性は静かに笑う。
「最後の夜に、あなたのような数奇な人間と会えてよかった。あなたがまた、ネコと相まみえますように……」
その日、西の空にロケットの尾が引かれて、史上最大規模の資産と人員を動員した、ネコ探査機が飛び立った。そういえば、混乱の中、地球は徐々に自然を取り戻していた。人間の活動が鈍化して、人間の自然破壊能力より自然の自浄能力が上回ったのであろう。だからこの空は、広く、そして遠い。透けるような青空に、探査機の炎が赤く光っている。
管制塔の限界度合いとは反対に、探査機の中は朗らかだった。「ネコ」が消失するという一件から二十年の時が経ち、私は探査機の船員としての仕事を宇宙で全うしている。
ところで、私は「ネコ」なる存在を知らない。動画などでは見たことがあるが、確かに可愛いとはいえそこまでいなくなって困るものだとは思えなかった。割りがいいこの宇宙船の仕事は、私の夢を他者の希望となることで叶えてくれた。
「針路に異常なし。予定通り目標への着陸を始めます」
「ニ十歳の誕生日の主役さんは、今日もお仕事かい」
「ええ、仕事後にたくさん祝ってください」
画面の上で手のひらを躍らせて、私は宇宙船の操縦を補佐する。画面に映る外の景色が、当該惑星への着陸がそろそろであると教えてくれている。
この探査船は運用から二年ほどの新米で、私が初めて乗るものだった。二十年の間、世界から集められた多額の資産はロケットを何百本も飛ばせるようなもので、また研究費も考えられないほど積み上げられてきた当計画は七本目の探査機を打ち上げている。その全てで成功して、その全てで華々しい新発見をして、その全てで、「ネコ」を見つけることには至れていない。
「二十年前の金持ちの子どもと、お前同い年になったわけか」
先程から交信している先輩から、皮肉のようなセリフが飛んでくる。
「いや、流石にゼロ歳でコールドスリープはないんじゃないですか?」
「わかんねぇぞ、何せ金持ちだからな。家族を大事にするということはつまり、自分の手元に置くってことくらいには思っていそうだけどな」
「無駄口を叩くな、任務に集中しろ」
管制塔から即座に叱責が飛んでくる。思えば、本来あったはずのタイムラグも劇的に改善されている。人類の英知が資金と情熱を得て、太陽系外と地球との間での高速通信を可能にするとは、たまげたものだ。
犬派として三十年以上生きている先輩は、顔で「これだからネコ派は」という表情をする。そう思っているのが分かるのは、いつもその表情でその台詞を話しているからだ。私は気が抜けて、吹き出してしまう。
小さい震動がして、探査機が惑星に到達した。緑が混じった青色をした植物、のようなものが生えている、不思議な惑星だった。
「未探査の星の中で、可能性が高いのがそこだ。安全には気を付けて」
「了解です」
私と先輩は保護服を着用の上で、探査機から下りた。自然の感じは地球の熱帯に近い感覚があるが、風がない。瞬間、保護服のガイドがピッ、と鳴って、飛来物回避の動作を行わせてくる。これは最新の機能で、曰く、「いつネコが飛び出してきても補足できるように」だそうだ。本当に、わからない。
飛んできたものは、何やらメッセージが含まれているようだった。
「つまり、この星には知的生命体が居るってことか?」
先輩がそうぼやいて、周囲の状況を観察する。私はメッセージ読み取りの機能を起動して、内容を確認する。これは、「いつどこから生物の声が聞こえても、ネコのものだと判別できるように」という代物である。便利ではあるが、動機がやはり何とも言えない。
「『名乗れ』、だそうです」
「それだけか?」
「そうです」
「それなら大丈夫か」
先輩が、保護服のガイドを利用して、地球からの訪問である旨を、周囲に送信する。これも、「見つけたネコに確実に想いを伝えるため」だそうだ。至極、使い勝手がいい。
結果、現地人と遭遇。これにて文明を持った知的生命体との接触は、四度目となった。ここでも変わらず、「ネコ」なる存在を説明して、現地人に聞き取りを行うことになっている。全ての調査より先んじて、だ。
「ええ、居ましたよ、確かに」
管制塔で歓喜の声が上がる。先輩がその歓声を面倒くさそうな表情で流して、こう聞いた。
「しかし、少し前に居なくなった、でしょう?」
現地人は頷いて、その通りです、と言った。
「相当前の話ですね、五世代前の話になりますか、この星で栄華を極めていた種族が、愛玩動物として飼育していたのです」
「その種族はどこに?」
「私たちの先祖が滅ぼしました。そのきっかけとなったのが、あなた方が言うところの『ネコ』の消失だったわけです。失踪を受けて意気消沈したあれらを受けて、先祖は武器を取ったのです。革命は成功し、今に至る、と言うわけですね」
なるほど、と先輩が唸って、私はやはり、よくわからない気持ちのまま聞いていた。
調べたところによると、ネコは傲慢不遜をそのままに表したような生物で、よく人間に迷惑を掛けていたはずである。その様な生物が、人間のみならず遠い異星の政治にまでも多大な影響を及ぼしたという事実に、驚きより先に、その情報に対する不信感が芽生えた。
私はその旨を、少し穏便に現地人に伝える。管制塔からむっとしたような雰囲気を感じたが、それは無視する。
「ええ、本当に分からないのです。だから私たちの星も、ある程度の予算を割いて『ネコ』なる生物の捜索に当たっています。あなた方ほどの懸命さこそないものの、こちらの研究も少しは進んでいますよ」
「して、その結果をお聞きしても?」
管制塔から割り込みの音声が入って、現地人が少し驚いたような態度を取る。私はすみません、と小さく呟いた。
「……いえ、こちらも同様、ほぼ同じ時間に消失したと。それにしても、あなた方は近隣の星から来たのですか?」
「いえ、少し距離がありますかね」
先輩がそう言うと、現地人は驚いて、何という技術……と呟く。
「ここまでの精度、ここまでの速度、ここまでの技術を持った通信は、例を見ないものです。本当にすごい……」
先輩と私が、この技術が成り立った経緯たる、ネコの消滅の話をする。現地人は興味深そうにそれを聞いて、頷いた。
「私たちの種族が居なければ、場合によってはかつての政治主体がここまでの技術を練り上げたかもしれないと思うと、なんだかもったいないことをした気分ですね」
「いえ、流石にそんなことは……」
私は否定するが、現地人は首を振って、仮定の話です、と言った。
それから私たちは簡単に各々の説明をして、情報を交換する。現地人は大概をオープンに、そして楽しそうに語った。少ししか生きないのに、細かいことを気にして隠し立てをしてもいいことはない、と言う。
「私も、『ネコ』に対して少しばかり興味がありますね」
現地人がそう言って、管制塔と現地人の間でネコを探すことを主目的に添えた星間同盟が結成された。なんだかんだ、ネコの力は偉大だった。
某日、世界から全ての偶然が消えた。解析されていない事象は無いとまで言われ、かつては科学と言われ地球で信奉されたものも、技術という枠組みの一つとして、いわゆる魔法や法術の類いの仲間となり、文明の発展に寄与することになった。
運命とまで確定的でないものの、世界の行きつく流れのようなものは読み取ることができるようになり、川上から川下までを概観するような形で、世界は大まかな未来の行く先を予測できるようになった。
私は一人の学徒として、教育機関で勉強をしている。もう三桁も半ばとなった教授は地球人に近いなりをしていて、容貌が私と異なってはいたものの、見た目の差異なんてそんな些細なことは気にするに値しないものだった。なんて言ったって、クラスメイトですら私と同じような容姿の人はいないのだから。
「余談ですが、技術には波があります」
教授がお得意の話をし始める。この教授の授業を何度も受けている私にとって、この話は耳にたこができるものだった。
「昔、『ネコ』という生物が居ました。この生物は非常に広範な地域で飼われていましたが、同日、世界から消えました。この事件を契機に、諸地域の構図は一変、ここ地球でも、他の星でも、技術が大躍進することになったのです」
「質問です」
学徒の一人が手を挙げる。正しくは脚、触手と言うべきか。ならば手か。
「はい、どうぞ」
「『ネコ』ってそもそも何ですか」
「そこの、そこの方、ちょっといいですか」
この話になり、この質問が上がると、大抵私に指名が当たる。私は渋々と言った体で、立ち上がった。
「頭頂部付近に二つ生え揃った大きな耳、マズルと呼ばれる少しばかり出っ張った鼻口部、そして全身が数色程度の毛で覆われており、腕の端、手が五つに割れ、クッション機能としての膨張部、肉球が見られます。この方は人間が素体になっているため二足歩行ですが、小さくして四足歩行にすれば、類型として判断できるでしょう」
私は教室中からの視線を浴びて、少したじろいだ。教授が申し訳なさそうな表情を私に向けて、小さく謝るような形を取る。私はそれを受けて、席に着いた。
「現在、このような形でネコの情報は残っておりますが、件の消失から、その痕跡を見つけるには至っていません。そして未来予測を行っても、ネコは今後世界に戻ってくることはないと考えられております」
私は照れて熱くなった顔に、手を扇いで風を当てる。
授業が終わって、私は研究室に赴いた。教授が座って何やら作業をしており、私はそこから少し離れた席に腰掛ける。
私が着座したことに気が付いた教授が作業を止めて、私に再度謝る。
「いや、ごめんね、急に振られたら恥ずかしかったでしょう」
「いえ、慣れっこですので」
そうかい、と教授が言って、文書を私に送信する。私はそれを受け取って、その場で展開した。
「話をごまかすわけじゃないんだけど、あなた宛てに招待が来ていてね。未来研。あなた行きたいって言っていたでしょう」
私は驚いて、文書を真剣に読む。希望していた、未来研の求人だった。
「えっ、いいんですか!」
「いいも何も、あなたが得たものでしょう」
「室内予測機の結果だと八割程度だったのに……」
「あなた、私的に予測機を利用したのですか?」
教授の口調が厳しくなって、私は自分が失言したことを自覚した。許可のない予測機の使用は厳禁である。
「……まぁ、あなただからよしとしましょう。未来研に言った後も、私的な機器の使用はご法度ですよ。特に、予測機は個人で使用するものではありません」
「すみません、どうしても気になったもので」
教授は溜息を吐いて、普段のあなたに免じて今回は……と言う。私は適当に謝る。
「何にしても、あなたはあなたの能力によって、その権利を得たのです。それが先天的なものか、後天的なものかはさておき、あなた故に、です。ゆめゆめ忘れないように、無理せず精進してください」
「ありがとうございます」
私はその晩、眠れない夜を過ごした。緊張から、目が覚めてしまっていた。
この世界には偶然性がなくなりつつあるが、それは現在の、予測機の個人的運用が禁止されているからである。私は未来研に行き、この世界の未来を完全に知りたかった。世界には様々な要素があり、その全てを用いて完全なる予測を立てることは難しいが、膨大な資産を継承している未来研ならば、その夢も叶うはずであった。
未来研の存在意義は、歴史の中、突如として消えたネコの再発見。全ての可能性を解析して、可能性の高い方策を進言して、世界の諸機関を動かしている。私はネコの再発見なぞに興味はないが、それを建前に全てを知ることができるならば、それほどまでに安い取引はないと思っている。
その次の日、私は未来研に顔を出した。広大なオフィスに、様々な容姿をした人間が働いている。
「未来研へようこそ、あなたが今期の実習生ですね」
「はい、よろしくお願いします」
緊張の面持ちで、私はその社員を見る。社員はまじまじと私を観察して、ネコみたいですねぇ、とこぼした。私は反応しあえず、黙ってしまう。
「あぁ、いえ、別に何というわけではないのです、ご気分を損ねましたら申し訳ございません。私は数年前にコールドスリープから起きた地球人なのです。ですから、あなたのような、そして他の方々のような風貌は珍しいばっかりで……」
「そうですか……」
途端に社員の目が涙を湛えて、私は困惑してしまう。
「チャチャにそっくり……すみません……」
泣き出す社員を見て、思わず困惑する。その後、異変を聞きつけた他の社員が来て、替わって施設の説明をしてくれる。
「優秀だと伺っていたのでね、私たちのあなたに対する期待もひとしおです。ネコは世界を変えるってね」
「よく言われました。そうは言っても、私は『ネコ』を知らないんですけどね」
「言葉の綾ですからね、さっきの社員のような、コールドスリープから起きた人間は大抵それを信じていますから、少し肩身が狭いかもしれません。その際は対応しますので、お申し付けください」
「わかりました、ありがとうございます」
私は巨大な予測機が設置されている事務室に配属になった。私個人の研究成果が買われてか、異例の待遇だった。ここまでの昇進は想定していなかったばかりに、私は年甲斐もなく興奮してしまう。
「あなたの仕事は、上から来る予測内容の実施と結果の管理です。わからないことはいつでもなんなりと」
同じ事務室の数人に挨拶をして、私は予測機の操作部に触る。念願の、未来研の予測機だった。
まだ実習生でしかない私に大した権限はないが、項目を見ている限り色々なことが可能だった。柄にもなくテンションが上がる。私が担当する仕事はまだ来ていなかった。手慰めに予測機を起動して、「ネコの再来」と予測を掛ける。要素を指定して、バレないように短時間で結果が出るように調整をした。勝手がわからない部分は勘で。
結果は、ゼロ。当然と言えば当然だった。
「ネコかいな」
後から声が掛かって、私は驚いて振り返る。見れば、この事務室の室長だった。
「みんな最初はそれをやるもんよ、未来研の存在意義だしね」
「勝手にすみません」
「いや、いいのよ。それにしても手慣れているわね」
「ありがとうございます」
室長は朗らかに微笑んで、ポケットから大量の資料を取り出す。
「じゃ、仕事ね」
その量は、一日で目を通すことが困難に思えるほどに、多かった。
「え……こんなに?」
「勝手に予測機を使ってはいけないって習ったでしょ」
室長は小さくにこやかに笑って、無理せずに、時間の限りやって見なさい、と言う。
室長の言うことは最もで、確かに発覚したら免職では済まないかもしれない行為だった。口留めとしてのこの仕事量ならば、受け入れるしかない。私は予測機を再起動して、資料の内容を予測に掛ける。
天災、ゼロ。超常現象、ゼロ。異常事態、ゼロ。文明の崩壊、ゼロ。ネコ、ゼロ。高精度の予測機は、かつていた研究室のそれより圧倒的に高精度で、答えを弾き出す。頃合いを見て、私は室長に声を掛けた。
「世界って本当に平和ですね」
「あら、もう終わったの?」
「いえ、少しだけです」
「それにしても早いわね、見せてちょうだい」
私は資料を室長に渡して、その反応を見た。室長の顔は怪訝に曇って、険しいものだった。
「あなた、これちゃんとやった?」
「えぇ、何か間違っていましたか?」
「普通ゼロばっかりなんて、ありえないのよ……」
室長はそう言って、私の操作していた予測機の方へ行く。話を聞いて、同じ事務室の数人が室長と私についてくる。履歴を見て、そして再度予測をして、それでも産出されるゼロという数字に、室長の表情はさらに曇った。
「……あなたを疑ってごめんなさい、あなたの腕は正確だわ」
恐縮です、と私が言うが、私の返答などどうでもよかった。何かが変だった。
「予測機がダメになったのかしら、主任、統轄部に連絡を」
主任と呼ばれた人物が跳ねるように走って行って、室長はまた予測機を操作する。未来研の存続可能性、ゼロ。
「馬鹿げているわ!」
その瞬間、事務室の室内灯が消えた。急な停電に、みな驚きが隠せない。
主任が走って戻ってくる。私は夜目が効くのでそれを見ることができたが、その様子は異常そのものだった。
「コールドスリープ室の装置が全て作動して、ネコの再発見を条件に凍結されていた人間が全て目を覚ましました!」
瞬間、電源の入っていないはずの予測機が動き出して、操作部が明るく光り出す。遠隔操作がなされているように条件が加えられていき、あまりの速度故に目視では何が起こっているか検討すらつかなかったが、結果が産出される。画面上に文字が浮き上がった。
「百……?何が百なの……?」
瞬間、私の頭に何かが乗る。ずっしりと重い感触だった。事務室の自動扉が作動して、何か生き物のようなものが入ってくる。二足歩行の、私にそっくりな何かだった。
室長が予測機の画面を触って、「百」を弾き出した予測項目を見る。
「『ネコ』、が百」
室長は呟いて、そのまま部屋を飛び出していく。私はそれを止めようとするが、あまりの速度に止め得なかった。
「室長を追いかけましょう!」
私は頭の上に乗ったネコのような生物を下ろし、言う。しかし、主任がゆっくりと首を振って、その必要はないことを示してくる。
「室長がコールドスリープをしたって言うことを知っているか?目を覚ましたのは本当に数十年前なんだよ」
事務室の外から、室長の声が聞こえる。それは泣き声だった。「ルル……キティー……!」と続くその声に、私は室長を止めることなどできないと知った。
某日、世界から全てのネコが戻ってきた。そのしれっとした態度は、本当に聞いていたネコのそれで、私は笑ってしまった。その後、世界は本当に平和になってしまって、争いも、災害も、特段の事件もないままに、私は棺に入った。なんだかあっけない人生だった。
実に、ネコの国はあなた方の間にあるのだ。 真槻梓 @matsuki_azusa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます