断罪する慈悲の刃⑥

 シアは俺の腕から離れて、椅子にぽすんと座る。


「だいたい、なんであの人がここにいるんですか? 入れたらダメですよ」

「いや、なんか勝手に入ってきて……ここの警備体制どうなってるんだよ」

「今、すごくバタバタしていて」

「……だろうな。シアはどうするんだ? 俺のところに来てる場合でもないだろ」


 シアは俺を見て、それから深く頭を下げる。


「アルカディアさんを、フるためにきました」

「…………そうか」

「はい。……ごめんなさい」

「……いや、俺が謝るところだろ」


 思ったよりもショックだな。まさか家を捨ててまで自分といてくれるとは思っていなかったが……。


 それでも、この子と過ごせる時間がもうないと思うと寂しくて仕方ない。


「……王家の人は、全員公開処刑だそうです」

「……だろうな」

「幼い子供も含めて……です。まだ赤子や幼児も、まとめて」

「……そうか」


 シアは俺の方を見ながらも目だけは決して合わせない。そのせいか揺れる瞳の美しさに見惚れることは出来ず、不快な現実を見てしまう。


 シアは迷ったように、あるいは決断したように、どちらともつかない薄い笑みを浮かべる。


「……当然、罪のない幼子。……その処刑に、志願しようと思っています」

「……」

「もう処刑は決定していて、覆ることはまかりなりません。誰かが手を下すことになります。……なら、可能な限り苦しみは減らしてあげたいと、思います」

「……」


 罪のない子供を殺す……と、シアは俺に語る。

 俺はなんと言えばいいのだろうか。「他の人にやらせたらいい」とか「シアは悪くない」とか、それはシアの高潔さに水を差すような薄っぺらい言葉のように思えた。


「それに、父はエクセラ家に必要な人です。兄もいますが、同様に後継として重要でしょう」

「………」

「子供を殺すという罪を負うべきは、僕です」

「……王族の子供を処刑したあと、自刃するつもりか」


 俺の問いに、シアは答えない。


「……馬鹿だろ。誰も引き受けたくないような、最悪の貧乏くじを自分から引きにいって……自殺までするとか」

「…………誰かがやることになるんです。なら、僕がします。やれば、責任を取らねばなりません。なら、僕が取ります」


 ……やめろと言いたい。俺と一緒に行こうと言いたい。

 けれど、俺が惚れたシアは……こういうやつだ。いつだって自己犠牲ばかりで、見ているこっちが痛くなるほど真面目で。


 肺が押しつぶされるような感覚がして、息が荒くなる。


「……何、泣きそうになってるんですか」

「…………シアのせいだろうが。……「やりたくない」と、一言、その一言を言ってくれたら、俺は剣を握れるのに」

「……ナルさんと、幸せになってください」

「シアが「助けてくれ」と言ってくれたら……俺は戦えるんだ」

「……ケーキ屋さんの夢、叶えてください」


 そんなもの……! 本気で言ってるわけがないだろうが……!

 そう怒鳴りたいのに、口から声を上手く出せずに喘ぐようなみっともない泣き声が口から漏れ出る。


「……泣かないでくださいよ」

「……うるっ、せえ。なんなんだよ。シアは……いつも、いつも、好き勝手なことばかり言いやがって」

「すみません。悲しい思いをさせて」

「……そんな言葉を聞きたいんじゃ……ないんだよ。俺は、ずっと、シアに……」


 ずっと「助けてほしい」と、弱音を吐いてもらいたかったんだ。


 優しく、強く、気高く、高潔……そんなところに惚れたくせに。

 シアに非情になってほしかった。弱く、浅ましく、みっともなく……幸せになってほしいと、そう願ってしまった。


「……言えよ。助けてって」

「僕は、罪を引き受けて、その後、己を罰します。自らの意思で……罪のない子供の首を刎ねます」

「…………そんなことしたくないって、シアが言えば……! 他の剣聖だろうが、賢者だろうが、軍隊まるまる一つでも、国一個相手でも……! 俺は斬れるんだよ!」

「……いつまで、ですか。アルカディアさんが負けなくても、国相手に何年戦い続けるんですか。その間に何人が死ぬことになります。……ナルさんはどうなりますか」

「……っ」


 なんで……俺は強くなったのに、鉄屑を拾う子供から剣聖にまで成り上がったのに……自分を助けてくれた女の子ひとりを助けることも出来ないんだ。


 俺は強くなったんじゃないのか。あの惨めな生活から抜け出して、剣を握って生きていけるんじゃなかったのか。


 俺はあの頃から……結局、何一つ、成長なんて出来ていない。ずっと……救いたいものも救えない。惨めで弱いガキのままだ。


「……ありがとうございます。……アルカディアさんの存在に、救われます」

「……やめてくれ。っ……やめて、くれ」

「……最後にアルカディアさんの冤罪について、ちゃんと手続きをしてきます。少々強引な手を使いますが、こんな混乱の中なら問題にはならないでしょう」

「……そんなこと、望んでない。俺はただ……」


 シアを幸せにしたいだけなんだ。

 そんな言葉は、きっとシアを苦しませるだけだろう。


「……軍は横槍が入ることを恐れています。すぐに処刑が敢行されて、それから続々と粛清されると思います」

「……」

「……おおよそ、あと三日もすれば僕は子供を殺して、それからちゃんと死にます。……その間だけでも、この城下町から離れてもらえないでしょうか。……アルカディアさんが近くにいると、苦しくて」

「……」


 どうしようもないのだろうか。……軍と戦えば、その間にたくさんの兵士を殺すことになるし、その兵士の子供はひどく苦しむことになるだろう。


 それに俺が勝っても他国に攻め込まれる可能性が高く、そうなればより多くの人が死ぬ。それはシアが処刑することになる人よりもはるかに多いだろう。


 クーデターが成功した通りに粛清をしていくのが一番被害が出ないだろうということは分かっているのに……別の可能性を探ってしまう。


 シアが苦しまなくていい可能性を探るが、どうやっても人が死ぬ。あっちが死ぬか、そっちが死ぬか、両方死ぬか。


 ……俺は気軽に考えすぎていた。

 そうなるとまでは思っていなかった。見通しが甘く……せいぜいが国政に深く関わっているやつを消して終わりと考えていた。


 お偉いさん同士が揉めて、多少周りが巻き込まれる程度にしか思っていなかった。


 ……「逃げよう」と、口にしてはいけない。シアはこういう生真面目で誇り高い人だからこそ俺は救われて、それを否定することはシアの人格を、人生を否定することに他ならない


 だから、そんなことは……絶対に言ってはならないだろう。


「逃げよう」


 言ってはならないと決めていた言葉が自分の口から漏れ出たことに遅れて気がつく。

 シアは驚いたような、戸惑うような表情を浮かべて、それから苦笑いをする。


「……アルカディアさんは、僕のことが好きすぎです」

「…………人が死ぬとか、仕事の責任とか……全部、全部捨てて、俺と逃げよう」

「ナルさんを幸せにしてあげるんじゃないんですか? 今日、誓ったばかりで……他の子に浮気ですか?」

「ああ、浮気だ。……ナルも連れて逃げよう」

「……しようのない人です」


 シアはぽすぽすと俺の頭を撫でて、それからその手をすっとズラして俺の目に溜まった涙をすくう。


 そのままシアの小さな手が俺の目を隠し、唇に湿った吐息がかかる。

 ぺたり、と、不器用な柔らかく濡れたものが触れる。


 俺の目を覆いきれていないシアの小さな手の隙間から、紅潮させた少女の顔が覗けた。

 恥じらうような、寂しそうな、苦しくて辛そうで……どこか嬉しそうな、そんな表情を盗み見た。


「ほっぺにちゅーをする約束、守りました」


 そんなことで……誤魔化せるわけがないだろう。けれども、俺は何も言うことが出来ず、幼子をあやすように俺の頭を撫でるシアの手を受け入れることしか出来なかった。

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