最低最悪のプロポーズ⑤

「ごめんなさい」


 みっともない、媚びるような許しを請うような声が響く。


「ごめんなさい」


 その情けない声に混じっている感情を知っていた。許されたい、前に戻りたい、なかったことにしたい。……強い罪悪感と、それからの逃避。


「ごめんなさい」


 私を背負う細い体。もう戦えないことは自分でも分かっていた。せめて見捨ててくれればと思うのに、私を掴む腕からは絶対に離さないという意思が感じられた。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


 何故謝っているのか。分かっている。分かってしまっている。せめて足を引っ張らないようにと彼の体を手で押そうとして……押そうとした腕がないことに気が付く。


 パッと目が覚めて自分の口から「ごめんなさい」と寝言が漏れ出ていたことに気がつく。

 痛みと熱に意識を割かれながら、自分の右腕がないことを確認する。


 片目がないせいか、それとも怪我による熱のせいか、視界はいつもよりもひどく曖昧だ。……遅れて、自分の瞳から涙が溢れていたせいだと気がつく。


 それを拭おうとして右腕がないことを再び理解させられてから左手で拭う。


 ……謝りにいかないと、と思いはするけれど、怪我という言い訳がある状況だと脚が動かない。……でも、いかないと。きっとあの人は苦しんでいるから。



 ◇◆◇◆◇◆◇


 数日経った今でもジグの言葉が頭からなくならない。

 シアと一緒にいたいという俺の願いは叶うことはないだろうと思っていた。


 ……ジグに協力すればもっと一緒にいられる。そうでなければ……あと何日だろうか。あと何時間、共に時間を過ごせるのか。


 だが……ジグに協力するというのは、つまりはシアを陥れて貴族の座から引きずり下ろして、攫ってしまうということに他ならない。


 シアを裏切ることは……したくない。俺は裏切られたことで自暴自棄になって、冤罪を押し付けられた。それでシアが助けようとしてくれているのが現状だ。


 そんな俺が、そんなシアを裏切るなんて……。

 歯を食い縛る。微かに血の味が滲む。


「……死んだ方が、やっぱり楽だな」


 裏切ってシアを攫っても、そうせずにシアと離れることになっても、どちらにせよ後悔するだろう。

 考えるだけ無駄だなと思っていると、トントンとノックをされる。


「シアか? 開いてるぞ」

「あ、はい」


 俺の気を知るはずもないシアは無警戒にぴょこぴょこと部屋に入ってきて、慣れた様子でポスリとベッドに腰掛ける。

 今日は白い髪を束ねて上げていて、細いうなじが覗いていた。


「ん、髪、変ですか?」

「いや……シアって、結構髪型変えるよな」

「えへへ、なんだか改めて言われると恥ずかしいですね。まぁ、僕も女の子なわけなので、仕事着でも少しはオシャレをしたいのです」

「……そんなもんか。まぁ、靴下も落ち着いた色合いではあるけどちょっとずつ違うしな」


 シアは俺を見て少し照れたように足元をモジモジと動かす。


「……」

「……」

「……いや、違うからな。そんな靴下に執着してるわけじゃないからな」

「は、はい」

「やめろ。そんな目で俺を見るな。別に靴下が特別好きなんじゃなくて……普通の男はっ! 女性の衣服を意識することぐらいあるだろっ!?」

「かつてないぐらいアルカディアさんが饒舌に……」

「実際っ! 直接、肌に触れる衣服なんだからほとんど下着みたいなものだろ!? そりゃ男なら見てしまうだろ!?」


 シアはささっと長いスカートの端を押さえて靴下を隠す。


「……」

「……」

「靴下は下着ではないと思います」

「違うんだ。俺は……そういう趣味があるわけじゃないんだ」

「……」

「……沈黙やめてくれ」

「えっと、面会を希望する方が来られておりまして」

「スルーもやめてくれ。……違うからな? 俺がおかしいんじゃなくて、あくまで一般論を語っているだけだからな?」


 シアは靴下を隠しながらじとりと俺を見る。


「絶対一般的な感覚じゃないです。……えっち」


 恥じらうように言うシアが可愛らしく、思わず黙ってしまうと、シアは羞恥を誤魔化すように口を開く。


「おほん。それで……ついてきてもらえますか?」

「……まあそれはいいが。……違うからな。普通の男は靴下に感心を持っているんだ」

「はい。……あ、じゃあ案内しますね」


 流された……。俺は普通だというのに……と、考えながらシアに案内された扉を開ける。


 そこにいたのは長い黒髪の少女だった。線が細く、顔が小さく、体つきはすらりとしている。

 少し涼しげな目元と表情が分かりにくい閉じられた口元。幼さが残った顔立ちではあるが、美しいと思うには十分な相貌。


 だが、一番目を引くのは……片目を覆う包帯だった。


「…………ナル?」


 思わず尋ねるように口を開く。

 左目を包帯で隠しているが、その奥の眼孔には何もないことは知っている。右腕が本来ある場所には何もなく、上着の袖がブラりと垂れ下がっていた。


 今まで見ていた凛々しい表情はそこになく。残った左手で右腕の付け根を抑える。

 袖が微かに揺れて……そこに何もないことを理解させられた。


「あ、その……お久しぶり……です」

「あ……ああ、その、久しぶり」


 謝らなければならない。そう理解しているが……かつての仲間の怪我はあまりにいたいたしく、直視することも出来ない。


 一秒、二秒と時間が経過していき、ナルの方に無理矢理顔を向ける。


「……今は、どうしてる」

「軍の病院から追い出されたところです。……アルさんは」

「俺は……ここに来たのなら察しはついていると思うが、話していた恋人に冤罪を被せられて捕まっている。これから……田舎に帰るのか?」

「……村、もうないそうです。手紙が返ってこなくなったから、想像はしていましたが。…………はは、お互い散々です」


 乾いた笑い声がナルの口から漏れて、また息が詰まる。

 どれだけの時間が経ったのか。シアの方に目を向けて砂時計を見るが、まだほとんど時間が経っていなかった。


 息を繰り返して、ナルの袖を見る。


「……私服の上に軍の上着と帽子って、変な格好だな」

「す、すみません。服もいただきものと、支給品しかなかったので。みっともない姿をお見せしました」

「ああ、いや、違う。……そう言うつもりじゃなく……」


 ナルの目を見て、深く、深く頭を下げる。


「すまなかった。……俺のせいで、目と腕を失うことになった。俺が……撤退を選ばなかったから」

「っ……ちが、違います。この怪我は、私のせいで……アルさんにはずっと守ってもらっていて、だから、頭を下げないでください」

「……ナルに、何の落ち度もない。全て、俺の責任だ」

「ちが、ちがう……違うんです」


 ナルは顔を罪悪感に歪ませて、吐き出すように話す。


「わ、私は……謝りに、きたんです」

「……ナルが、俺に? 謝られるようなことはないが」

「負傷して、撤退させてしまいました。要所で……あそこで負けてはいけなかったのに。足を引っ張りました」

「っ……あんな場所よりも、ナルの方がよほど……。どうせ、あそこなんか関係なく負けていたんだ」

「…………違うんです。違うんです」


 ナルは繰り返し「違う」と言って、残った左手で自分を痛めつけるように自分の腹部を強く握る。泣きそうな表情を俺に向けて、グッと歯を食いしばった。


「わた、私は……わざと……怪我をしたんです」

「……は、いや、そんな嘘……」

「あの爆撃の魔法……本当は、避けれたんです。けど、目の前の「死」を前にして、私は……ただ、突っ立っていたんです」


 初めて見る、ナルのぐしゃぐしゃにした表情。


「恥ずべき、みっともない行いを、しました。戦いが辛く感じ、戦場の只中で戦友を見捨てて死に逃げようとしました。……死んで楽になろうと、そうしたんです」

「っ……」

「結局、死ぬことも出来ずに……アルさんに背負われて、戦場を放棄することになりました。アルさんに責任はないのです。……私は、軍人としても、戦士としても失格のクズです」

「…………」

「あなたの右腕になると誓って……我先にと逃げ出して、右腕を失ったのです。間抜けで臆病で、ホラ吹きの……」


 ナルは唇を震わせて、堪えようとしていた涙を耐えきれずに流してしまいながら、震えた声を吐き出す。


「……あなたを守ると……そう誓ったのに……! それを捨てて、生き恥を晒して……!」

「俺が、追い詰めたからだろ。そうなるまで」

「っ……赤錆という蔑称を誇りにしていたんです。ナマクラの剣聖に着いていけるのは私だけだと。振るい続けている剣が錆びるほどに長く戦えるのはこの二人だと。微かな切れ目に剣を磨き、それでも残った鯖の跡を、まるでふたりの家紋かのように」


 ナルの声は、痛ましく、苦しそうで……。ああ、俺はまた間違えたのだと理解する。

 謝りにいくべきだった。脱獄してでも。


 悲痛な表情のナルの手を握ろうとして、いつもの癖で伸ばした先に腕がなかった。


「……っぁ、ごめんなさい。最後まで、最後まで、一緒に戦えなくて……。ひとりぼっちにして……一緒に錆びて、苦しんであげられなくて……ごめんなさい」


 初めて見るナルの涙……。立派な兵士と思っていた彼女は、ただの少女のようにボロボロと涙をこぼす。

 謝らなくてはならないのは俺なのに、苦しめたのは俺なのに……。


 シアが素知らぬ顔で砂時計をひっくり返して黙って面会時間を延長する。


「……ひとりぼっちって、俺に恋人がいたの知ってるだろ」

「それは……その……絶対、利用されてるだけだと思ってたから……」


 ずるずると泣きながらナルは言い。思わず「えっ」と声を上げてしまう。


「だから、アルさんには私しかいなかったのに……。置いて、ひとりで死のうとして……」

「……死にたいぐらい辛かったなら、言ってくれたら撤退でも逃亡でもした。……気がつかなくて、悪かった」

「ごめんなさい。……話を聞いて、利用されてるって分かってたから……戦争が終わるまで一緒にいたら、こんな事になる前に引き離せたのに」

「……そんなに俺とメリアの関係はおかしいように見えたのか?」

「……絶対騙されてると思ってた」


 そうか……まぁ、実際騙されていたわけだが……。


「だから、ずっと一緒にいてあげようと思っていたのに……」


 ナルは失くした腕の付け根を撫でて、包帯に覆われた片目を触る。


「……私は、心の弱さからこんなになってしまいました。利き腕を失いマトモに剣も振れず一緒に戦えなくなって、醜い傷跡を作って」

「……剣、振れないのか」

「……はい」

「……村も無いのか」

「……はい」

「……今後、どうするつもりだ?」

「……分かりません。働ける場所もありませんし、生きる場所もないので」

「……そうか」


 助けてやりたいが……働ける場所もないのは俺も同じだろう。ジグの提案に乗れば戦場が出来て俺が戦うことは出来るが……ナルがそれを望むとも思えない。


 言葉を考えていると、シアがまたカタンと砂時計をひっくり返した。

 その音に背を押されるように口を開く。


「……今度、脱獄するから夕陽を見に行こう」

「……へ?」

「それまで、お互い生きよう」

「……だ、脱獄ってダメでは」

「まぁいいだろ。金はないからケーキは食えないけど、夕陽見るぐらいなら」


 ナルはチラチラとシアの方を見たあと、小声で「はい」と返事をする。


「……看守の方が気を遣ってくださっていましたが、これ以上の長居はダメでしょうね。……これ以上、醜態は晒したくないので日を改めます」

「ああ、また来てくれ。……今度は、ちゃんと俺にも謝らせてくれよ」

「……それは、申し訳なくなるので」


 ナルは深々とシアの方に頭を下げてから出口の方に歩いていき、こちらに顔を見せることなく震えた声を発する。


「っ……アルさんっ! これは、今から言うことは私の醜態なので、すぐに忘れていただきたいのですが……」


 すー、はー、と深呼吸をしてから、欠けた右腕を抑えて大きく口を開く。


「もはや、この傷だらけの身体では望むことも烏滸がましいですが……お慕いしておりました。ずっと、あなたを想っておりました。っ……ごめん……なさい」


 俺がその言葉の意味を理解する前にナルはスタスタと去っていく。……お慕いしておりました……って……。

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