草太、勝負に出る

「便利屋、どういうことだ?」


 話を聞き終えた黒崎は、語気は鋭く草太に迫る。だが草太は怯まなかった。


「だから、あんたは俺の言う通りにしてくれりゃあいいんだよ」


「待て。だったら俺が代わりに行く」


「あんたは、中田の顔も名取の顔も知らないだろ。向こうも、あんたの顔を知らない。これじゃあ話にならねえよ」


「ならば、俺も一緒に行く。ふたりなら問題なかろう」


「大有りだよ。万が一、ふたりとも殺られたら、誰がユリアを守るんだ?」


 草太の言葉に、黒崎は何も言えず顔をしかめた。

 一方、草太はすました顔である。ポケットから何かを取り出し、黒崎に渡す。

 通帳と印鑑、それにカードであった……。


「おっちゃん、もし俺に何かあったら、こいつを使ってくれよ。ユリアは子供だし、美桜は引きこもりだ。どっちも頼りねえよ。おっちゃんが付いていてくれないと、な」


 その言葉を聞き、黒崎は不満そうな表情を浮かべながらも、仕方なく頷いてみせた。


「わかった、こいつは預かっておこう。だがな、せめて場所だけでも教えろ」


「そいつは無理だ。あんたは気が変わって、押しかけて来るかもしれねえからな。とにかく、今からあんたを美桜の家に送る。時間になったら、俺の指示通りに動いてくれ」


 草太の口調は、妙に軽いものだった。黒崎は口元を歪め、彼を睨みつける。


「その後、お前はどうする気だ?」


「時間までに、いろいろやることがあるんでね。とにかく、あんたは家でおとなしくしててくれ。今ユリアを守れるのは、おっちゃんだけだってことを忘れないでくれよ」


 ・・・


 やがて、名取と約束した時間が来た。

 草太は、辺りを見回しながら倉庫の中に入って行く。周囲は草が伸び放題になっており、人の出入りしている気配は無い。一応、電気などは通っている。恐らく、持ち主が維持費を払っているのだろう。

 慎重に、暗い倉庫内を進んで行く。人の気配らしきものを感じるが、これは名取だろうか。


「名取さん、いますか? 俺です、草太ですよ。いるんですか?」


 そっと声を出してみた。すると、何者かの動く気配を感じた。直後──


「よう、草太」


 その言葉と同時に、明かりがついた。草太は混乱し、慌てて立ち上がる。しかし、目の前の光景は想定外のものであった。

 いや、想定外ではない。ただ、考えうる最悪の事態だった。


 広い倉庫内には、名取淳一が立っている。ブランド物のスーツと、大量のアクセサリーが特徴的だ。背は高からず低からず、不健康な生活のせいか痩せた体つきをしている。いかにもチンピラ風の顔にこすっからい表情を浮かべ、草太をじっと見ていた。

 そんな名取の周囲には、外国人の男たちがいる。人数は十人前後だが、ひとりでも草太ごときは軽くねじ伏せられるような男ばかりだ。どう見ても、こちらの味方とは思えない連中である。

 間違いない。名取は、草太のことをロシア人に売ったのだ。

 こうなれば、逃げるしかない。


 次の瞬間、草太は向きを変えた。だが、時すでに遅いことに気づく。彼の後ろにも、既にロシア人が立っていた。


「おい草太、あまり世話焼かせるな。協力すれば、命だけは助けてもらえるかも知れねえぞ」


 名取の声が聞こえてきた。と同時に、草太はがっちりと腕を掴まれる。そのまま、中央まで一気に引いて来られた。抵抗など、する気にもならないほどの強い力だ。

 その時になって、さっきから感じていた嫌な予感の正体に気づく。名取とスマホで会話した日の翌日に、草太の事務所はロシア人に襲撃を受けたのだ。


(お前は今、ユリアと一緒に事務所にいるんだろ?)


 確かに、名取はそう聞いてきたのだ。あれは、ユリアが事務所にいることを確認するための電話だったのか。


「おい草太、ユリアはどこだ? 連れて来いって、言ってあったよなあ?」


 またしても、名取の声が聞こえてきた。以前から耳障りな声だとは思っていたが、今では本当に不愉快である。名取の声は、曇りガラスを引っ掻く音なみに嫌な音に聞こえた。


「いいえ。あいにくですが、ここには連れて来ていません。あなたの方こそ、中田さんとユリアの母親を連れて来るはずでしたよね。どこにいるんです?」


 顔を引きつらせながら、草太は逆に聞き返した。こうなったら、自分が助かる可能性はほとんど無い。恐らく、ここで殺されるだろう。

 ならば、せめてユリアだけは助ける。


(この件だけは、絶対に不幸な終わらせ方をしたくないんだ。あの歳で、世の中がいかに不公平なものであるか……そんなことなど、知る必要はないんだ。せめてユリアにだけは、ハッピーエンドというものを見せてやりたい)


 黒崎の言葉を思い出す。そう、こうなったら意地でもユリアを守ってやる。

 たとえ、その結果が……草太にとってのバッドエンドだったとしてもだ。


「おい草太、見ればわかるだろうが。中田も母親もいねえんだよ。それに、母親なんかどうでもいい。ユリアさえ渡せば、あとはどうにでもなるんだよ」


 名取は、苛ついたような表情で言った。だが、草太は口元を歪める。


「だから、ここにはいないんですよ。どこにいるか、なんて言えません」


「ふざけんなよ! いいか、死にたくなければユリアの居場所を吐け!」


 怒鳴ったかと思うと、名取はつかつかと歩いて来た。次の瞬間、彼の拳が草太の顔面に炸裂する。

 だが、草太は不敵な表情を浮かべる。不思議と、痛みは感じなかった。


「俺は、ユリアを守らなきゃならないんですよ。だから、安全が確認できる場所じゃなきゃユリアを連れて行きたくなかったんです。あんたも、いまいち信用できなかったしね」


 そう言って、ニヤリと笑ってみせる。草太にとって、最後の意地であった。

 絶対に、こいつらには屈しない……。


「では仕方ないな。申し訳ないが、痛い目に遭ってもらおう。そのうち君は、苦痛に耐えかねて自分から何もかも喋ることになるよ」


 流暢な日本語と共に、ひとりのロシア人が進み出て来た。その顔には見覚えがある。先日、事務所に来て黒崎に叩き出された男だ。名前は確か、イワンだったはず。


「君は何を考えているんだね? 我々は、そこらのバカ共とは違う。さっさとユリアの居所を喋るんだ。でないと、とても痛い思いをすることになるよ」


 イワンは、にこやかな表情で語った。紳士的な態度ではあるが、彼の言葉に嘘は無いだろう。

 だからといって、引く訳にはいかない。


「申し訳ないんですがね……ユリアは今、黒崎さんが移動させているはずです」


 言った後、草太は不敵な笑みを浮かべる。今まで、不良少年たち相手に磨いてきたハッタリやごまかし。それが、このロシア人たちにも通じるかどうかはわからない。

 しかし、今できることはそれしかない。まずは、時間を稼ぐことだ。

 その後は、奴らがひと思いに自分を殺ってくれるよう祈るしかない。


「それはどういうことかな?」


 首を傾げるような仕草をするイワン。草太は声を震わせないよう気をつけながら、冷静な口調で言葉を返した。


「実はね、ある時間になったら、黒崎さんに連絡する手筈になってたんですよ。俺が無事であることを伝えるためにね。ところが、その時間をもう五分以上過ぎてるんですよ」


 草太は、そこで言葉を止めた。彼の語っている話は嘘ではない。だが、真実とも微妙に異なる。問題は、その異なる点にイワンが気づくかどうか、だ。

 そう、まだその時間にはなっていない。あと三十分ほどある。


「なるほど、その時間を過ぎたらユリアを移動させる……という訳か。しかし、それはあまり意味が無いと思うがね。この場で、君に移動先を教えてもらえば済む話だよ」


 イワンの言葉に、草太はかぶりを振った。


「そうでもないんですよ。何せ、次にユリアがどこに行くかは俺も知らないんですから。行き先は、黒崎さんしか知らない場所です」


 その言葉を聞いた瞬間、イワンの表情が変わった。眉間に皺が寄り、鋭い目で草太を睨む。今にも殴りかかって来そうな雰囲気だ。

 しかし、イワンもそこまでバカではなかった。睨みながらも、ロシア語で仲間に通訳をしている。

 やがて、他のロシア人たちにも草太の言葉が伝わったらしい。彼らは草太を睨みながら、ロシア語で何やら相談している。

 一方、名取は顔を歪めてロシア人たちと草太とを交互に見ていた。この状況は、彼にとって完全に想定外のものなのだろう。

 草太はクスリと笑った。自分がロシア人たちに殺されるのは覚悟している。だが死ぬ前に、自分を裏切った名取のうろたえる姿が見られたのはありがたい。


「ひとつ聞きたいんだが……君はなぜ、そこまで手の込んだ真似をしたんだ?」


 イワンの問い。彼は怒りというよりも、純粋な好奇心からその質問をしているように見えた。


「決まってるじゃないですか。俺はあんたらに拷問されたら、今まで付き合った女の名前から電話番号まで、聞かれなくてもベラベラ吐いちゃうくらいのヘタレですからね。けど、ユリアの居場所を知らなければ……吐きようがないですから」


「なるほど。でも君は死ぬことになるよ。我々のような裏の世界の人間はね、バカにされるのが大嫌いなんだ。面子のために、人ひとりくらい簡単に殺す。それくらいは、わかっているよね?」


 イワンの日本語は、実に流暢なものである。こんな状況にも関わらず、草太はイワンの言語を操る能力に感心していた。

 同時に、イワンの頭の悪さにガッカリしてもいた。


「イワンさん、あなたこそ何もわかってないみたいですね。町の便利屋にも、意地ってものがあるんです。あなた方には、絶対にユリアを渡しません」


「なるほど。その意地を守るという行為は、自分の命より大切なのかい?」


「ええ。死ぬよりも嫌なことってあるんですね。俺は、あなた方から学ばせていただきましたよ」


 草太は、出来るだけ平静な口調で答える。もう少しだ。もう少しで、黒崎が美桜に計画を話しユリアを移動させてくれる。

 しかも、黒崎にはこの倉庫の場所を教えていない。したがって、仮に黒崎が妙な気を起こしたとしても……誰も助けには来られないのだ。

 さらに言うなら、警察も介入させてはならない。警察が介入したが最後、ユリアはロシアに戻されてしまう。

 奴らの罠にはまってしまったのは不覚だが、最悪の事態に備え手を打っておいたのは……草太の生涯最高のファインプレーといっていいだろう。

 その誇りを胸に、死んでいくしかない。

 犠牲になるのは、自分ひとりだけで充分だ。


 だが、草太はまだわかっていなかった……これから、とんでもない出来事が起きることを。




 直後、不意に倉庫の扉が荒々しく開かれる。ロシア人たちは、一斉にそちらを見つめた。草太もまた、面倒くさそうな表情でそちらに視線を移す。どうせ、新手のロシア人が来たのだろうと思いながら。

 だが次の瞬間、草太の表情は凍りついた。

 倉庫の中に入って来たのは、なんと黒崎だったのだ。いつもとは違い、Tシャツ姿でのっそりと歩いて来ている。ロシア人たちを恐れているような素振りはない。

 だが、それより問題なのは……彼の後ろから、美桜とユリアが来ていることだ。ユリアは不安そうな表情を浮かべながらも、真っ直ぐ前を向いて歩いている。

 その手を握っているのは美桜だ。落ち着いた態度で、ユリアの歩幅に合わせて歩いている。


 お前ら、どうしてここが分かった?

 いや、それ以前に……。

 ここに何しに来た?





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