とある便利屋の事件簿
板倉恭司
草太、あちこちでトラブルに遭う
「なあ、
にこやかな表情で、諭すような口調で語りかける
「わ、わかりました。とりあえず、出来る範囲で何とかしてみますので……」
言いながら、ペコペコ頭を下げる草太。彼は頭を下げながら、この場をどう切り抜けるかを必死で考えていた。
草太は今、
そんな部屋の中でソファーに腰掛けているのは、ヨーロッパの人形のように整った顔立ちと美しい瞳、そして透き通るような白い肌を持った青年・加納だ。
加納は細いが、しなやかで強靭さを感じさせる軽量級のボクサーのような体つきをしている。白いTシャツにデニムパンツというラフな服装に身を包み、物憂げな表情で草太を見つめていたが……なぜかTシャツの胸には、デカデカと「
そんな加納の横には、恐ろしく体の大きな男が突っ立っている。黒いスーツを着ており黒いネクタイを締め、オールバックの髪型と太い首、さらには異様に広い肩幅と分厚い胸板の持ち主である。身長は百九十センチほどはあるだろうし、体重の方も百キロを軽く超えているのは間違いない。
その大男は、加納とは対照的な岩のごときゴツい顔をしていた。草太を見つめる表情は、冷酷そのものである。
「ほう、何とかすると言ったね……では、どうする気なんだい?」
穏やかな表情で口を開く加納だったが、草太は知っている。目の前にいる青年は、その美しい顔とは裏腹に、冷酷かつ残忍な性格の持ち主である。優しく微笑みながら、ハンマーで人の頭を叩き割れるような男なのだ。
「そ、そうですね。まずは、ここでドンパチやった連中が何者なのか調べてみます。ただ、僕みたいな便利屋では何も出来ませんよ──」
言った直後、草太は襟首を掴まれた。次いで高々と持ち上げられる。目の前には、岩を擬人化したような厳つい顔があった。
「おい草太、てめえ分かってんのか? 春彦さんがやれと言ってるんだよ。ヤー公の事務所でも不良外人の溜まり場でも、どこでも行って調べて来い」
草太の体を片手で持ち上げながら、淡々とした口調で語っている大男は……加納の執事兼ボディーガードの
「そ、そんな、僕はただの便利屋ですよう。ヤクザの事務所なんて、怖くて行けません……無理ですぅ」
持ち上げられながら、哀れな声を出す。だが、木俣は容赦しない。
「てめえは、春彦さんには随分と世話になってるよなあ? その春彦さんの頼みが聞けねえと、そう言いてえのか?」
言いながら、木俣は片手でぶんぶん揺さぶってくる。さほど体が大きくないとはいえ、草太は一応は二十四歳の成人男子である。体重は六十キロ近くあるはずなのだが、木俣はものともせず片手で持ち上げ揺さぶっているのだ。草太は、恐怖のあまり縮み上がった。
しかし、そこで加納が立ち上がる。笑みを浮かべながら、木俣の尻をポンポンと叩いた。いや、撫でたと言った方が正解か。
「まあまあ、何もそう怒ることは無いじゃないか。草太くんも、そのへんは理解しているだろうし……」
にこやかな表情で語る。木俣は憮然とした様子で、草太を地面に降ろした。直後、加納の方を向く。
「春彦さん、どさくさに紛れてケツ触らないでくださいよ」
鋭い目で睨む。だが、加納はすました表情だ。
「そう言うなよ、減るものじゃあるまいし。君の魅力的な大臀筋に触れる喜びを味わうくらいの役得はあっても──」
「何を言ってるんですか春彦さん?」
低い声で言いながら、木俣は岩のように厳つい顔を加納に近づけていく。
「まあまあ、そう怒らないでくれよ。僕は、君のその真面目さが好きさ」
「あいにくですが、俺はあなたのそういう態度が嫌いです」
冷たい口調で言い返す木俣に、加納は苦笑しつつ草太に視線を向ける。
「草太くん……僕はね、君に危ない仕事をしてくれとは言ってないよ。ただ、町のみんなに話を聞いてみてくれと頼んでるだけさ。分かるよね」
言いながら、草太に顔を近づけていく。
草太は顔を引きつらせながら、ウンウンと頷いた。この加納は、美しい顔と残忍な性格とを合わせ持っているが……さらに加えて男好きでもあるのだ。
一方、草太は女の方が好きである。いくら加納がイケメンとはいえ、彼の相手をさせられるのは遠慮したい。
「まあ、そんな訳だ。君も僕のために、頑張って働いてくれたまえ。もしも疲れたら、ゆっくりと休むといい。僕のベッドで、ゆっくりと──」
「春彦さん?」
低い声と同時に、岩のような厳つい顔を近づけて来る木俣。と同時に彼のゴツい手が伸び、加納の首根っこを掴んでいた。
「じょ、冗談だよ木俣。僕が好きなのは、君だけだからさ」
「俺は、あなたのそういう所が嫌いです」
加納を冷たい目で見つめながら、木俣は言葉を返す。草太には、この両者の関係は今もって理解不能である。だが、理解できていることもあった。
ずらかるのなら、今しかない。
「で、では……僕はそろそろ失礼します。とにかく、僕がやれるだけのことはやってみますので」
へらへら笑いながら、頭を下げて後ずさる。次の瞬間には、さっと姿を消していた。
約二十分後、草太は喫茶店『虎の穴』にいた。さほど広くない店内は、客が十人も来れば満員となってしまうだろう。
また店そのものは落ち着いた雰囲気であり、若者が立ち寄りたくなるような場所ではない。もっとも、そんな店内にあって……マスターの風貌は、見る者に強烈なインパクトを与えるのだが。
「いやあ、まいったよ。加納に呼び出されちゃってさあ、発砲事件を調べろだって。あいつは何を考えてんだろうね……」
カウンター席でコーヒーを飲みながら、ひたすら愚痴る。
「あらあら、アンタもツイてないわねえ」
いかにも同情するような言葉を掛けたのは、カウンターの向こう側にいる巨漢だ。二メートルはあろうかという長身、そして一昔前の冷蔵庫のごとき厚みを持つ体格である。先ほど草太を片手で持ち上げた木俣より、さらに一回り大きい。
もっとも、その巨体にまとっているのは特注サイズの黒いドレスである。また、顔にはしっかりと化粧をしている。
そう、この巨漢は女装家……いわゆるオネエなのである。
「ところでラジャさん、加納の言ってた件だけどさ、何か知ってるの?」
草太の問いに、ラジャと呼ばれた巨漢は顔をしかめて見せた。
「さあ、何なのかしらね。アタシも加納たちには色々と聞かれたけど、知るわけないからねえ」
それは、三日ほど前のことだ。
深夜の一時過ぎ、流九市にて拳銃による発砲事件が起きた。目撃者はいなかったが、銃声が数回鳴り響き、空き家のガラスが割れたという。
警察が付近を調べたところ、弾丸と空の薬莢が発見された。警察の捜査は今も続いているが……加納もその件に興味を持ち、独自に調べ始めたのだ。
それだけならいいのだが、なぜか草太のような個人事業の便利屋まで動員しようとしている。彼にしてみれば、迷惑以外の何物でもない。
「全く困った話だよ。発砲事件なんか、俺が知るかってえの。どうせ、ヤクザが揉めてるだけでしょうが」
コーヒーを飲みながら、愚痴をこぼした。するとラジャは、呆れたような表情になる。
「ヤクザですって? アンタってバカなの? ヤクザの仕業なはずないでしょ。今どき、こんな町でドンパチやるアホなんかいないわよ」
「そうかなあ。だとしたら、何者なんだろうね」
首を傾げる。言われてみれば、その通りだ。この流九市には、ヤクザが揉めるほどの旨味は無い。
もともと流九市は、工員や職人さらには日雇い労務者たちの多く住む下町である。古い家屋や建物が並び、さながら迷路のように小さな道路があちこちに広がっている。袋小路も多く、初めて来た者は確実に迷ってしまうだろう。
しかも、得体の知れない者や国籍不明の人間も少なくない。失業率や犯罪発生件数は、全国でもトップクラスなのだ。
実際、流九市は日本のスラム街だ……などとマスコミの前で発言してしまい、翌日に謝罪会見を開いた議員もいた。もっとも、当の流九市市民は、みな苦笑するしかなかったのだが。確かに、スラム街と言われても仕方ない部分はある。
そんな町に、抗争してまで手に入れるほどの価値あるものがあるのだろうか。
「まあドンパチの件はともかくとして、アンタ気をつけなさいよ。加納は本当にヤバいから」
諭すような口調のラジャに、草太は顔をしかめて頷いた。確かに加納は危険な男だ。男好きという点を抜きにしても、この町の裏社会ではトップクラスの人間であるのは間違いない。ヤクザですら、加納には逆らえないのだから。
喫茶店を出た後、草太はのんびりと街中を歩いていた。
やがて、小さな公園の前を通りかかる。すると、嫌なものが目に飛び込んで来た。
「オラァ! おっさん、調子くれてんじゃねえよ!」
「この野郎! 偉そうに説教すんな!」
「バカ野郎が!」
公園の真ん中で、三人の少年が口々に喚きながら、うずくまっている何かに蹴りを入れている。
草太は思わず顔をしかめる。蹴りを入れている少年たちには見覚えはない。しかし、蹴りを入れられている者には見覚えがある。そうなると、見なかったことにして立ち去るわけにもいかない。
ため息を吐くと、スマホを取り出した。周囲に聞こえるくらいの大きな声でスマホに向かい、わざとらしく話し始める。
「もしもし、お巡りさんですか? 公園で不良がおじさんを殴ってますんで、早く来て下さい」
すると、少年たちは一斉に草太の方を向く。怒りの矛先は、今度は草太に向けられた形だ。
「てめえ、何やってんだよ!」
怒鳴ると同時に、三人はつかつか歩いてきた。草太は、体格的にはごく普通の青年だ。一子相伝の古武術をたしなむ訳でもない。彼らとケンカになれば、一対一でも負けてしまう可能性は低くない。はっきり言えば、草太は弱いのである。
もっとも、この男とて自分が弱いことは理解している。三人を相手に、真正面からケンカをするほどバカでもない。
「お前ら、俺に手を出すと加納さんが黙ってねえぞ。いいのか?」
三人を自信たっぷりの表情で見つめながら、草太は言った。ケンカで勝ち目が無いなら、言葉による駆け引きで退散させる。加納春彦は、流九市では下手なタレントよりも有名な存在なのだ。その加納の名前を出せば、大抵のチンピラは怯むだろう。
案の定、三人組の動きは止まった。お互いに顔を見合わせている。向こう見ずな不良とはいえ、加納を怒らせるような真似はしたくないのだろう。
ややあって、少年のひとりが舌打ちをした。
「チッ……俺らは、お前なんかに構ってるほど暇じゃねえんだよ。行こうぜ」
吐き捨てるような口調で言うと、少年たちは肩をいからせ大股で去っていく。あくまでも、不良のスタイルを崩そうとしない。
その様を見ていた草太は、あまりの格好悪さに吹き出しそうになるのを必死でこらえていた。
少年たちが立ち去った後、草太はうずくまっている男に近づき声をかける。
「おっちゃん、大丈夫かよ?」
その言葉に、男は顔を上げた。頭は禿げ上がっており、体型もずんぐりしている。年齢は四十代後半から五十代前半といったところか。その服装や体の汚れ具合からしてホームレスであるのは、どこかの名探偵でなくても容易に推理できるであろう。
「ふん、大丈夫だ。余計なことをしおって」
言いながら、男は立ち上がる。どうやら、大したダメージは負っていないらしい。もっとも、それもいつものことなのだが。
このホームレスは
そんな黒崎だが、なぜか中高生のサンドバッグ代わりにされている姿をよく見かける。ほとんどの人間は見て見ぬふりだが、気のいい草太は放っておくことが出来なかった。
「おっちゃん、いい加減にしないと死んじゃうよ。いくらガキのパンチとはいえ、打ち所が悪いとさ──」
「余計なお世話だ。お前には関係あるまい」
草太のかけた言葉を一言で切り捨て、黒崎はベンチまで歩いていく。彼の方を見ようともしない。本当に偏屈な男である。
「ったく、礼くらい言えよな」
去っていく黒崎の背中に、捨て台詞のような言葉を投げ掛けた。もっとも、この変わり者の中年ホームレスから礼など期待するのは、初めから間違っているのだが。
その後、草太はあちこち回ってビラを撒いた。ネット全盛期の昨今ではあるが、彼のような町の便利屋にとっては、ビラのような昔ながらの宣伝方法も大切なのだ。
特に草太の顧客になるような人間の中には、ネットとは無縁の人間も少なくない。そうした人種に、いかにして自分の存在を知ってもらうか……町の小さな便利屋には、その点が鍵となる。
ビラをポストに投函したり、知り合いから話を聞いたりした後、草太は事務所に戻って来た。ソファーやテーブルの置かれている客間を通りすぎ、奥のカーテンを開ける。
カーテンの先には、居住スペースがあった。ちゃぶ台と、布団が敷きっぱなしの万年床がある。床に寝転び、今日の出来事を振り返ってみる。
昼間、いきなり加納に呼び出され木俣に因縁を付けられた。さらにラジャの店で愚痴った後、公園で不良少年らに痛めつけられていたホームレスの黒崎を助けるが、余計なお世話だと怒られた。
始まりから終わりまで、ロクなことが無い。しかも、まともな一般市民は、どのエピソードにも登場していないのだ。
「この町には、まともな奴がいねえのかよ……」
草太は、ひとり呟いた。
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