世界の問題と吸血鬼

「ひとつ、今の世界の問題点を教えましょう」

「どうしたよ、急に」

「酷く重要なことなので聞いてください」


 宿の二人部屋に泊まっている最中、ベッドに座り込んだアメリアから「重要な話があります」と真剣な顔つきで切り出された。

 シャワーを浴びた後のアメリアはほんのりと肌が火照っていて、色っぽく見えた。

 鼻を揺らす花の香り。一言一言その口から紡がれる言葉はどことなく脳を揺らされるようである。

 アメリアはジトッとした目でその顔を俺に近づける。


「真剣に聞いてくれませんか? だから女性にモテないんですよ。そもそも女神にハーレムを頼む時点で魅力が壊滅的って分かりませんか?」

「なに? おれの魅力が壊滅的って当たり前のことを告げるために話を切りだしたの?」

「悲しい人ですね。違いますよ、彼女いない歴イコール年齢の俊さん」


 異世界に来てからずっとギスギスしている気がする。

 原因の10割はおれなんだけど。

 おれは憎まれ口にアメリアの目をじっと見つめるという答えを返す。


「余裕が無いのは分かりましたけど楽しくいきましょうよ。じゃないと——光の槍で貫きますよ?」

「話を逸らすなよ。誘拐の片棒を担いだ制限付きの女神風情が。で、何?」


 アメリアから一瞬膨大な聖なるオーラが放たれた気がした。

 内心相当キレているのだろう。

 そりゃ、女神がアンデッドに助けを求めている状態なわけだしなぁ。

 それもおれという個はアメリアが作り出したようなものだし。

 屈辱以外の何物でもないだろうよ。

 アメリアは力の籠った瞼を落とす。数秒ほどしてから、閉ざした瞼を上げる。


「今のこの世界にはどこの国にも所属していない逸れ転移者が存在しています。彼ら彼女らは、自分の私利私欲のために自らの能力を使うことに躊躇しません」

「それで?」

「分かりませんか? 死にぞこない。その転移者に遭遇した場合、所見殺しに遭う可能性が高いと言ってるんです」


 なるほど、異能力だしな。さもありなん。

 原書が運命を見る能力だったということは、他の奴らもさぞ滅茶苦茶な能力である可能性が高いと。

 迷惑な話だな。

 本当に。なっ、アメリア?


「ええ、本当に迷惑な話です。それで、私に当たってスッキリしましたか? 見た目相応に。自分にとって不都合なことを。近くにいる間接的な大本に当たることで解消できましたか?」

「良いや。おかげさまで面倒くさいことしてくれたなって思ったもんだよ。なんでこの世界に神の血を引いた種族を産み落としたんだよ」

「それは分かりません。あなたは人間が生まれるよりも前、微生物が生まれた理由について問うのですか?」


 なんでいきなり微生物に飛ぶのだろうか?

 ただ人間だけが二本足で立てて地球に広まって生きているのかの理由について問えないことだけはよく分かった。

 それと同様に神の血を引く者が生まれた理由については分からないのも。

 アメリアはそれだけおれに伝えると、布団を上から被る。


「転移人に痛い目を見ればいいんですよ。今のあなたは」

「最初から最後まで他力本願だな、お前。最初の転移人といい今の状況といいおれを懲らしめる方法といい。流石は女神様。上に立つ偶像アイドル様様だ」


 売り言葉に買い言葉。

 おれはアメリアに軽口だけ返して同じように就寝する。

 ……こいつの言う通り、こいつに当たってもしょうがないのにな。

 意味のない行為だと知りつつも止められない。人間の性らしい。

 自分から言っておいてなんだけど……罪悪感が込みあがってくる。

 それは多分あっち側も同じなんだろう。

 視線を感じる。アメリアからの。

 されどそれは敵意や憎悪によるものではなく、なんというか憐憫に近い感情によるものだと感じた。


「……死なないでくださいね」

「今更だな」


 おれも布団に体を預ける。

 もしも転移人に会った時のことを考えると寝付くに寝付けない。

 異能力バトルって傍から見ると面白いけど、当事者になってみるとこうも怖くて仕方ない。

 寝付けない夜でも瞼を落とせばいつかは眠れる。

 瞼を落として意識が無くなるのに集中し、考えることを止める。

 だがそんなおれの考えは甘かったのだと思い知らされる。


 最初に聞こえたのは悲鳴だった。

 人が恐怖をする時に発する甲高い悲鳴。

 次に耳元を刺激したのは火の手が上がる音。パチパチと火花が弾ける音。

 起き上がって宿の窓から外を覗くと、町の外が燃えていた。

 ごうごうと町を飲み込みそうな業火が。ただ事では済まされない黒煙が天へと昇る。

 見てはいけない。絶対に見てはいけない。

 脳からの警報が鳴りやまないのに、おれは街並みに目を落としていた。

 水たまり。真っ赤なザクロのように赤い水たまり。それが人を中心に広がっている。

 息はある。されどすぐにでも治療を施さないと間に合わない重傷者。

 すぐに宿の廊下を走る音が聞こえ、部屋のドアが勢いよく開かれる。

 立っていたのは宿の女将さんだった。

 女将さんはおれとアメリアに瞳に映し込むと、ただならぬ勢いで叫ぶ。


「大変だ、吸血鬼が攻めてきた!」


  *  *  *


 吸血鬼。

 その単語を聞いた瞬間、おれの心臓が大きく高鳴る。

 目の焦点が合わなくなって。ただおかみさんが出ていくのを見ていたと思う。

 扉が閉まる。


 吸血姫であるおれをこの場において。


 おかみさんはいなくなる。

 おれは床に四つん這いになったところでひとつ疑問が浮かぶ。

 もしかしておれの正体がバレたわけではない。

 そう、寝る前からおれはここにいた。勝手に動いていたのであれば、今ここにおれがいるのはおかしい。

 ともなればこの世界に居る別の吸血鬼が攻めてきたということになる。


 ……関係ない。

 この世界がどうなろうと。

 今更町ひとつがどうなろうと関係ない。

 自分の心に言い聞かせるように何度も何度も言葉にして呟く。

 けれど胸の鼓動は収まらない。

 おれの隣で誰かが立ち上がる音が聞こえた。


「ここで待っていてください。吸血鬼なら私ひとりでも対処できますから」


 アメリアは部屋から出ていこうとする。

 ドアノブに手を掛けて、ひとつおれに頭を下げてきた。


「ごめんなさい。普通はそうなりますよね。争いも銃もない日本育ち。なのに私、俊さんに頼り切ろうとしていました。だから良いんです。今回は任せてください。ここから先は地獄への入り口なんですから。でももし、覚悟があるのなら来てください。私は待っていますよ」


 アメリアが部屋から出ていく。

 一瞬だけ悲鳴がまばらに聞こえてくる。扉が閉まる。木と木がぶつかり合う独特な音を鳴らして。

 部屋には静寂が訪れる。ひとり小さな部屋に取り残されて。

 おれはこの先どうしたいのか。

 そんなの、そんなのは……最初からひとつしかないじゃないか。

 壁に立てかけられている宵闇小悪魔。おれは刃に触れて指を切る。


 途端に襲い掛かる体中が搔きむしられるかのような痛み。立ち上がることも顔を上げることすらできない現実。

 この瞬間、おれは改めて実感する。異世界に来ているのだと。自分がゲームキャラの吸血姫になってしまっているのだと。


 もう逃げ道などなく。目標を達成するには今この状況を切り抜ける他にはないと。

 いつの間にか痛みは消えている。正確には内側でまだ小さい何かがおれの身体を蹂躙している。

 その痛みが脳を埋め尽くすほどの恐怖を振り払ってくれる。


「行こう」


 おれは大剣の柄を握り部屋を飛び出た。

 昼の時の寒々しさとは違い、壁の外で燃えている火のせいで暑苦しかった。

 周囲には血の匂いが漂い、怪我をした人を手当てする人、知人の死に泣く女性、そして覚悟を決めて戦場に行こうとする人。

 まるで戦争映画の戦時中の場面を見ているかのように。

 見ていられない。見たくない。何も目にしたくない。

 少しでも現状を理解してしまうと、せっかくの闘志の灯が消えてしまいそうで。


 町の門前まで走って行くと、段々と聞こえる何か柔らかい物を裂くような音。

 風に乗って流れる血なまぐさいにおいは鼻を刺激し続ける。

 外に出た先にあったのは闇だった。


 深く黒くただ一色。光すら飲み込むその闇はアメリアの胸倉を掴んでいた。


 赤い双眸をアメリアに向けて。弱者を甚振る愉悦に染めて。

 女神のか弱い首に手を掛ける。

 アメリアの手にする光の槍が消える。霞のように消えていく。

 恐怖という奴は意外なもので長く続かない。

 身体を震わすほどの絶望は今や完全に消えていて。

 おれの思考がはっきりと鮮明になっていく。

 ——何してんだよ。あいつ。


「何してんだてめぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 おれは一秒でも早く地を蹴る。

 ビュンと風を斬る音と風を突っ切るような感覚。自分でも驚くほど一瞬で吸血鬼の眼前に躍り出た。


「死に晒せ!」


 ――すごい速さ、まるで風と一体化したかのように体が軽い。

 おれは速度を維持したまま吸血鬼へ宵闇小悪魔を振り下ろす。

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