くれない愛

吉備ライズ

プロローグ ――2015年 3月21日

 私は今日、この町を出る。

 4月から県外の美術大学に通う。そうでなくても、私はいずれこの町に別れを告げていただろう。ゆっくりと時を刻む田舎町は、過ぎていく時間を、穏やかな思い出に変えてくれる。居心地が良すぎて、いつのまにか融かされてしまいそうだった。

 5歳の頃、両親が離婚して以来13年の間、私は母と2人で暮らしてきた。父が帰ってくることのなくなった2DKのアパートで、時にすれ違うことがあっても、それなりに幸せに暮らしてきたと思う。

 どこかほの暗いキッチンの明かりや、寝室に広がる湿っぽいイグサの匂いが、私は好きだった。

 そのイグサの匂いをかき消すように、畳に何十枚もの新聞紙を重ね広げて、私はキャンバスに向かって絵を描(か)いている。両手で抱えるくらい大きい、風景画を描(えが)くためのキャンバス。それを三脚の台に乗せ、左手にパレット、右手に筆を持って、睡眠と食事の時間を削りながら立ち続けてもう一週間になる。

 キャンバスの正面には、床から天井近くまである大きな窓。狭いベランダへと続くその窓からは、アパートの裏手の景色がよく見える。

 古びたお寺の境内の墓地で、おばあさんが白い菊を片手にお参りをしている。墓地には桜の木が何本も並んでいる。満開に咲き誇り、風をうけては1枚、また1枚と静かに散っていく。

 美しい風景だと思う。舞い散る桜も、澄みきった青空も。楽しげな声をあげながら桜の道を走る子どもたちの、その一瞬を切り取れば、これ以上情緒ある風景はないだろう。

 けれど、このキャンバスに描(えが)いているのは全く別の風景。

 赤い絵の具をべっとりと筆につけ、私は、私の目に本当に見えているものを描(か)く。

 それは、決して色褪せることのない、この世の理(ことわり)から外れた記憶。


 生ぬるく湿った風


 真っ赤な河のように咲いたヒガンバナ


 ぽっかりと浮かんだ不気味な丸い月と、

 その下で繰り広げられる賑やかな妖怪たちの宴を


 ――私の目は、恐ろしくも愛おしい、あの日の光景をうつしている。

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