第1話



ちゅんちゅん……



雀の鳴く声で、薄らと目を開ける。

いつもと変わらない天井がぼんやりと映った。



朝…。



ベッドから重たい体を起こすと、一伸びし、一日のやる気を引き起こす。

と言っても、私はプー太郎だから家にお留守番の身なんだけれども。



部屋から出ると、美味しそうなパンの匂いと珈琲の匂いが鼻を燻る。



「 おはよう。」



食卓で新聞に目を通す、私の飼い主に声をかけた。

そう……私は10年前、この人、理壱さんに『猫』として拾われた。



……いや、救われた。と言うべきか。



私の声に、表情を変えることなくチラッとこちらを見ると、すぐに新聞へと視線を戻した。



「 おはよう。朝ごはん出来てるから、顔洗ってきな。」



「 うん!」



そんな私には、昔の記憶が無い。

拾われる前の記憶は1片として残っていない。



記憶喪失。



ただ、雨の日は嫌いだ。



.



「 いただきます。」



そうトーストにかぶりつこうとした時だ。



「 今日は帰り遅くなるから。適当に何か食べて、先に寝てて。」



「 うん。分かった。」



それ以上は何も聞かない。

それが掟だから。



東雲家の掟。

其ノ壱・用事の時以外、食事は一緒に摂ること。

其ノ二・報連相をきちんとすること。

其ノ参・余計な干渉はしないこと。



ここ、東雲家の掟。

と言っても、私だけに向けての掟と言っても過言ではないのだけれど。



朝の食事を終え、後片付けを始める。

食べた後の片付けは、大抵 私の仕事だ。



「 じゃ、行ってくる。何かあったら連絡するんだぞ。」



「 うん。行ってらっしゃい。」



理壱さんが仕事へ出ていく。

ガチャンと玄関が閉まれば、シーンと部屋は静寂に包まれた。

この瞬間はいつになっても寂しい気持ちになる。



私は、掟其ノ参によって、理壱さんが何の仕事をしているのかすら知らない。

本当に、家での理壱さん以外を知らなくて。



ただ、彼女はいないと思う。

仕事と用事以外は ほとんど家にいるし、携帯が鳴ることも滅多にない。



……いや、私がいるから。

私がここにいるから、彼女も結婚も出来ないんだ。



そう、心の中で苦笑した。



……………


…………


………



「 っ!」



ハッと目を覚ました。

先に寝ててと言われたが、理壱さんが帰ってくるまで起きておこうと思っていたのに

どうやらリビングのソファで寝落ちしてしまったらしい。



きょろきょろ周りを見回すが、まだ理壱さんは帰ってきていないようだ。

時刻は、日付をまたごうとしていた。



……こんなに遅いのは、初めてに等しいんじゃないだろうか。



携帯を見るが、連絡もない。



……何事もなければいいけれど。



そう考えていた時だ。

ガチャガチャと玄関が開く音が聞こえてきた。



……帰ってきた!



ご主人様の帰りを今か今かと待っていた犬のように私は玄関へと飛び出した。



「 着いたぞー、東雲ー。しーのーのーめー先生ー!ったく!お前がこんな状態になるまで呑むなんて、明日嵐じゃねーか?」



……誰?



慌てて隠れようとしても、嬉しさのあまり玄関へ飛び出していた私は隠れる術もなく。



「 ……え!?」



私に気付いた、理壱さんを肩で担いだ男の人が

今にも目が飛び出しそうな勢いで目を見開いて固まった。



ぐったりとしていた理壱さんが、ゆっくりと顔を上げる。



「 あ、猫……ただいま。」



そしてまたそのままガクンと倒れた。



「 ね、ね、猫!?」



「 ………に、にゃー?」



……………



…………



………

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