第20話 しゃっくり

「雨など降る気配すらないな」

 ジュエル殿下が庭で空を眺めながら呟く。

 フリンデルも必死になって言い訳を主張するが、顔がすでに青ざめている。


「どうして……どうしてよ! そろそろ空に変化が起きてもおかしくないのに!」

「これでは聖女として主張はできぬな。本物の聖女は祈ってから遅くとも一時間以内には変化があったのだからな」

「それは、アイリス義姉様が聖女だというのですか……?」

「そういうことだ。彼女は素晴らしい。それなのに、この家での扱いは何事だ?」


 すでに義父様はジュエル殿下に対して土下座の体制をとったまましゃっくり以外では動かない。

 しゃっくりのたびにピクピク動いているのがかわいそうになってくる。

 それにしても長いしゃっくりだ……。


「男爵よ、顔をあげたまえ」

「ももももっもったいなき……グフェッ……お言葉! 我々は決して愛するアイリスに無礼をしたわけではありません! 嫁に行くための修行と思って厳しく仕付けいただけでして」


「ほう、私の兄上であるホルスタを昏睡状態にさせるようなことはしなかったとはいえ、アイリスは心から悩まれていたぞ?」

「ななななっなにを仰っているのか訳がわかりませぬ……」


 ホルスタ殿下を昏睡状態にさせた者や共犯者は、聖なる力によってしゃっくりと身体中の痒みが出ているはず……。

 まさか義父様が関係していたなんて思いもしなかったが……。


「聖女アイリスの加護の力を借り、現在兄上に毒を盛った者たちは全員、其方のようにしゃっくりが止まらないようになっている。身体中も異常に痒いだろう」

「ぐ……偶然です! 私のしゃっくりは常日頃息を吸うようにグフゥェッ!」

「断じて兄上に何もしていないと宣言できるのだな?」

「ははっ! それはもちろんのこと!」


 ジュエル殿下が恐い顔になっていく。

睨んだりしているわけではない。

 昨日、聖なる力の使い方を閃いた時のような、悪趣味的なおそろしい発想をしたときの顔だ。


「アイリスよ、今日はあと一度聖なる力を使えるな?」

「はい……。何を祈れば……?」

「この男爵に加護を与えてもらおうか。兄上に毒を盛った関係者だとしたら心臓が止まる加護を……」


 ジュエル男爵がそう宣言した瞬間、横にいた義父様がおそろしいまでの悲鳴をあげながら奥の壁まで後ずさった。


「ひいいいいいいいいいっ!!!!! そ、それだけは……」

「何を恐れている男爵よ……。そなたが兄上の毒盛りに関与していなければ何も起こることもない。なぜ逃げるのだ?」

「そ……それは」


 義父様には意外と間抜けなところがあったのか……。

 今まで威厳ばかりで知らなかったが、こうして頼れる人の側で話を聞いていると、そこまで恐がるような相手でなかったのかもしれない。

 もしかしたら、フリンデルやゴルギーネもそうなのかも……。


「アイリスよ、私が十数えるまでに男爵が何も言わなければ容赦無く加護を発動したまえ」

「はい」

「な!?」


 横でずっとやりとりを見ているフリンデルやゴルギーネは固まっている。

 二人とも驚いているようだった。


「待ってくれアイリス!! 俺はまだ死にたくない!!」

「ほう……では認めるのだな?」

「認めますグゥエッ……認めます!! だから殺さないでくれ!!」


 すぐに私の護衛たちが義父様を捕らえてそのまま連行された。


「お父様……。まさかそんなことって……」


 フリンデルがその場でへたばっている。

 ゴルギーネは立ったままフリンデルを見下したような表情で睨み付けていた。


「ふん、まさかこんな偽聖女と婚約しようとしていたとは……俺も抜けていたな。フリンデルよ、貴様のような親が犯罪者のようなクズとは二度と関わりたくない。よって婚約破棄させてもらう」


「そんな……私は聖女なはず。今日は調子が悪いだけで」

「アイリスが聖女だということは良くわかった。俺は再びアイリスと婚約させてもらう」

「「は!?」」


 思わず変な声が出てしまった。

 すぐそばにいたジュエル殿下も同じように声を出し、ゴルギーネを見下していた。


「ゴルギーネと言ったな。確か君の親は諜報員の男爵だろう?」

「そうですけれども……一体何か?」

「先ほど発言した親が犯罪者のようなというセリフ、しかと聞いた。後悔するでないぞ?」

「は……はぁ」


 ニヤリと笑ってジュエル殿下は私の手を取った。

 こんな時に手を握ってこられても困るのだけれど……。


「ゴルギーネよ、それからすまないがアイリスとの婚約は許さぬ。何故ならば、私がそれを望んでいるからだ」

「え? えええぇぇぇぇえええええーーーーーっ!?」


 私は今までで一番大声でそう叫んでしまった。

 だが、ジュエル殿下は私の方を見て軽くウィンクをしてきた。

 何かの合図か?


 ……あ、意味がわかった。

 これは演技なのだな。

 ならばジュエル殿下に会話を合わせることにしようか。


「な……いくら王子とはいえそんな勝手な……」

「勝手なのはどちらだ? キミとアイリスの情報は夜中のうちにすでに入っている。まさか婚約破棄を宣言した翌日に再び婚約をしようというような奴にはアイリスは渡さぬ!」


 い、いや……そう言われても、私、まだジュエル殿下のものではないんだけれどね。

 と、ツッコミを入れたくなる。

 私にはわかっているのだ。


 ジュエル殿下が本心で私と結婚したいと言ったわけではない。

 この場から私を守ってくれようとしているから、あえてそう言ってくれているだけだということを。


「さぁ行くぞアイリス。もうここにいる必要もあるまい」

「仰せのままに~」


 演技は難しい。

 少しだけ読んだ小説のヒロインキャラを演じてジュエル殿下についていった。

 後ろを振り向くと、未だに床にへたれこんでいるフリンデルと、悔しそうにしているゴルギーネの姿があった。

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