レスバカップル ~好きだから論破したい~

橋本ツカサ

第1章 好きなのに論破したい

プロローグ

 昴ヶ咲すばるがさき高校の二年A組の昼休みには、時として嵐のような戦いが巻き起こるというのは学内では有名な話だ。

 その暴風に晒された生徒達は、何度繰り返されても慣れない張り詰めた空気……その独特な緊張感に身をすくませていた。

 本来あるべき昼時の団らんは一変。春先にも関わらず季節外れの冷風を浴びたかのように冷え切った教室内に、一つの声が吹き抜ける。


「――だからさあ、何回言わせんの?」


 蛍光灯の光をギラリと跳ね返す鮮やかな金髪。

 高校生にしては気合いの入った化粧を完璧に施した顔は、ちょうど少女から女性へと移り変わる最中と思わせる整ったもの。

 校則に触れるギリギリまで着崩した制服から、よく焼けた小麦色の肌が覗く。

 制服に覆われた豊満な胸部は、彼女がダンッ、と机を叩くとその存在を主張するようにぶるんと揺れた。

 ただでさえ人目を引く彼女が現在纏う怒気は、周囲の者を委縮させるには十分だった。


 ――ただ一人。その圧を正面から受け止める青年以外は。


「――君こそ、何度説明すれば納得してくれるんだ?」


 女生徒とは対照的に、皴一つない制服をカッチリと着こなした男子生徒。

 いや、制服だけではない。短く切り揃えられた黒髪も、細長の黒縁メガネも、そこから覗く切れ長の瞳も。そして静かに女生徒に語り掛けるその口調も。

 全てが男子生徒から発せられる理知的なオーラを増幅させている。

 誰が見ても一目で優等生だと分かる彼の顔は、女生徒との唯一の共通点として、激しい苛立ちに歪んでいた。


 対照的。相反する二人。

 竜虎相搏つ様相に怯えるクラスメイト達を尻目に、両者の戦いは苛烈さを増していく。


「あのね? もっかいだけ言うからよく聞いてくれる?」

 そう言うと女生徒は、自分の机に広げていた弁当一式の中から、大きな水筒の蓋を力強く掴むと、男子生徒の前にぐいと突き付けて、高らかに宣言した。



「――ご飯にお味噌汁かけるの、マジ至高だからッ!!」



 水筒の中には、わざわざ弁当箱からよそい直した白米。

 そこに味噌汁がなみなみと注がれていた。


「なんでこの良さが分かんないわけ!? いいからたすくも一口食べてみりゃいいじゃん」

 丞と呼ばれた男子生徒は、水筒の蓋をぐいぐいと押し付けてくる手を押し返して嘆息した。


「食うかこんなもの。いいか亜久里あぐり? これはな、もう完全にダメ。白米の触感、甘さ、香り。味噌汁の風味、汁物としての役割。――全部ダメにしてる。最悪の食べ方」

「はあ!? どこがダメになってんの!? 意味不明なんだけど!?」


 女生徒――亜久里はムキー! と怒り、箸を手に取った。


「よく見てみ!? いくよ? ――ズボボボボボッ! ――ウマー! 最高なんだけどマジで!」

「……音も嫌いだ。下品だろその音。和食っていうのはもっと上品に食べるもんだ」

「出た偏見。それ差別だから。なんかのハラスメントだから」

「人の目の前でその不快な音を聞かせるのもハラスメントだと思うぞ」

「じゃあお茶漬けはどうなんの? あれもご飯にお茶ぶっかけてんじゃん」

「む……」


 丞が僅かに息を詰まらせる。少し痛いところを突かれた。


「あれは……そういう食べ方をする前提だから」

「はあ? そんなん誰が決めてんの? じゃあ味噌汁ご飯だって『そういう食べ物』でいいじゃん」

「いやそれは違う。この食べ方はいわゆる『ねこまんま』って呼ばれていて、猫が食べるような残飯みたいだってことで下品な食べ方だとされてるんだよ」

「誰が言ってんのそれ、ここに連れてきてよビンタしてやっから。そんなん一部の人が勝手に言ってるだけっしょ?」

「一部じゃないぞ。ちょっと待ってろ。ええっと……『味噌汁』、『ご飯』、『かける』……」


 丞はスマホを取り出して検索をかけ始める。

 そしてめぼしいページを見つけると亜久里に見せた。


「ほら見ろ。地方によっては縁起の悪い食べ方だと忌み嫌われてたり、……ほらここ。マナーの観点でも、『出されたものを出されたまま食べないのは作った人に失礼』とか……あ、これも。『和食はご飯、おかず、汁物を順番に食べていくのが正しい作法で』……」

「知 ら な い し !! 令和だし今! てかこのお弁当作ったのうちなんだから作った人に失礼とか関係なくない?」


「少なくともそう感じる人が多いってことだろ。だからこそこうして記事として残るまでになってる。問題ない食べ方ならわざわざ記事なんて残さないだろ」

「いや逆じゃない? そういう食べ方をしたい人が沢山いたから記事になってんじゃん。誰もそんな食べ方したがらなかったら記事になんないじゃん」

「いや逆に皆したくないのに君みたいにしたがる人がいたから――」

「もういい! リコちゃんカモンッ!」

「はぇっ!?」


 急に名前を呼ばれたクラスメイト、小野田莉子がびくんと身体を震わせた。


「リコちゃんは味噌汁ご飯どう思う? 好きだよね!?」

「え……いや……どう、かな……あはは」

「小野田さん、遠慮することはないからな。ハッキリ自分の気持ちを伝えればいい」


「別に、その……嫌いでは、ないけど……」

「ほら来た! 嫌いじゃないって! まずうちが一ポイント!」

「なんで今ので君のポイントになるんだ」

「これで2:1だから。丞、少数派だから。ね? だから言ったじゃん味噌汁ご飯マジ最高って」

「こんな少ないデータが根拠になるか。だから君はいつも考えが浅いって言ってるんだ」


 その言葉にカチンときたのか、亜久里は椅子からいきり立って教室を見回した。


「じゃあクラスの人全員に聞けばいいじゃん!」


 また始まった……と黙って成り行きを見守っていたクラスメイト達は頭を抱える。

 ただ騒がしく言い争うだけならまだマシなのだが、この二人は最終的に周囲の人間の意見を求めることが多い。(ちなみにいつも真っ先に声をかけられるのが、クラスでもひときわ気弱で大人しい小野田莉子な理由はよく分かっていない)


「いや、クラスメイトだけだとたかだか三十人程度。まだまだ足りない。――全校生徒にアンケートを取るぞ!」


 バカなのか? と内心でツッコミを入れるクラスメイト達。

 味噌汁ご飯は有りか無しか……そんな超くだらないアンケートを大真面目に採るバカがどこにいるのか。

 でもこいつやるって言ったらやるんだよなあ……とクラスメイトの一人が呟く。

 このままではただの食の好みによる口論が、全校生徒を巻き込んだ大騒動に発展してしまいかねない。


「あ、あの、二人とも……お味噌汁ご飯って……そんなに気にすることないんじゃ……?」

「何言ってんのリコちゃん! これ超大事なことなんだよ!?」


 亜久里は目を剥いて莉子に掴みかかり、両手で肩をガクガクと揺さぶる。

 そして、大声で言った。


「だって――うちと丞が一緒に住むことになったら大問題じゃん!」


 シーン、と一瞬静まり返る教室内。

「……一緒に?」


「確かにな。将来的にそういう可能性も十分あるだろうし、その時になってから食に関して揉めるのは厄介だ。今の内から亜久里を正しい食事法に矯正しておかないと」

「はあ!? なんでうちが矯正されるわけ!? そんなん言うなら一緒に住んでも丞のご飯作ってあげないし!」


「……」

 白熱しているのは当の二人だけで、その周囲との温度差はさながら南極でキャンプファイヤーをしているかのようだった。


 ――そう。何を隠そうこの二人。

 袖上丞と乾亜久里は、学内で知らない者はいない名物カップルなのである。

 既に付き合い始めてから半年近くが経っており、学内でも恥ずかしげもなくベタベタとイチャついては周囲の注目を集めている。

 そんな二人をクラスメイト達も基本的には暖かく見守っているのだが……問題は、二人はしばしばこうしてしょうもない話で口論しては周囲を巻き込んでいるという点だ。


「今日はまたいつにも増して激しいな……」「味噌汁とかどうでもいいだろ」「えー、でも私もあの食べ方ちょっとアレかも」「なんでもいいから静かにしてくれよ……」


 二人に聞こえないようにボソボソと囁くクラスメイト達。

 そんな小声など聞こえないほど加熱していく二人の様子は、とても仲のいいカップルには見えなかった。


「ぜっっったい丞がおかしい! 味覚狂ってる! ねえアキちゃんはどう思う!? 岡野君は!? この分からず屋に言ったげてよ!」

「分からず屋は君だろ。ほら見ろまた見つけたぞ。『汁かけ飯は遡ると数百年前から地方によってタブーとされ』……」

「ああっ! ちょっと! こんなことしてる間にご飯がお味噌汁吸いきってカピカピになってんじゃん! どうしてくれんの!?」

「それは知らん」


 こっちこそ知らねえよ、と多くのクラスメイトが内心で毒づく。

 目の前で繰り広げられる光景に対して、彼らの思うところは様々だった。

 貴重な昼休みをぶっ壊されてウンザリしている学生もいれば、クラスの名物として楽しそうに見物している者もいる。


 だが中には、二人の仲を本気で心配している心優しい生徒もいた。

 ただの口論から、今ではケンカと言って差し支えないほど加熱した二人を見て、一人の女生徒が心配そうにぽつりと呟いた。


「ねえ、あの二人……今日こそ本当に、別れちゃったりするんじゃ……」


 ――ピタリ、と二人の口論が止まる。


 一瞬前まで口角泡を飛ばすほど白熱していた二人が、まるで時が止まったように制止していた。

 一気に静けさを取り戻した教室内に、廊下や校庭から本来昼休みにあるべき喧噪が染み渡ってくる。

 そんな中、最初に動いたのは丞だった。


「――コホン。……失礼」

 一言断って、丞はそっと亜久里の手から水筒の蓋を取ると、中に入っていた味噌汁ご飯をズズ、と一口啜った。


「…………うん、まあ。これはこれで悪くないかもな」


 ズコー! と数名のクラスメイトが椅子からずっこける。


「一口も食べずに批評するのは、確かにアレだ……大人げなかったかもな。すまない」

「う、ううん。うちこそ……一緒に食べる人の気持ちとか考えてなかったし……ごめん」

「いや、亜久里が謝ることないよ。思えば、人の食べ方にいちいちケチつける俺の方がよっぽど下品な奴だったな。反省するよ」

「ううん、丞は全然悪くないよ。ってか、食べ方とか注意してくれて、むしろありがとう、みたいな? ……卵焼き、余ってるけど、いる?」

「なあもう外でやってくんねえかなお前ら!」


 ついに耐えきれなくなった男子生徒の一人が叫ぶ。


「はー解散解散」「俺ら何見せられたん?」「やっとトイレ行けるわ」「うわもう昼休み終わるじゃん」

 一気に弛緩した空気が教室に充満し、2年A組はようやくあるべき姿を取り戻した。

 そんな中、当の二人はさっきまでの剣呑さが嘘のように、今度は人目もはばからずイチャイチャと甘い言葉を交わし合っていた。

 本当は相思相愛。別れたいなんて露ほども思っていないくせに……なぜか毎日のようにくだらないことで言い争う丞と亜久里。


 誰ともなく、呆れたようにクラスメイトが嘆息した。

「……このバカップルが」


 ――レスバカップル。

 いつしか二人はそんな愛称で呼ばれるようになっていた。

 


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