蟷螂は祈らない

Nemo

プロローグⅠ:蘆屋道満

「ありがとうございます法師様。これで娘は……」

「何、気にするな。オレはちょいと指を動かしただけに過ぎん」


 夜間。人々が寝静まろうとしている時間帯に何やら声がする。声の主は二人。

 一人は法師と呼ばれた少女で、もう一人は彼女の前に膝をついて頭を下げている男だ。

 この男は先ほどまで町中を走り回っていたのだが、余程無理をしたのか今にも床にへばりつきそうである。

 彼は娘が急に熱を出した為、医者や薬師、そして術遣いに助けを求め回っていたのだ。だが、貧乏な彼の願いを聞き入れてくれるような者はおらず、最後の望みとしてこの少女の庵を訪れた次第である。


 男の話をしばらく聞いていた法師はどこか明後日の方向を一瞥した後、何だそんなことかと呟く。

 そして、懐から何かを取り出した。それは小さな人形だった。

 法師はひょいと自然な動作で男の髪を一本引き抜き、あっという間に人形に埋め込む。

 いきなりのことに驚く男を無視して何やらぶつぶつと呟いたのち、娘のもとまで案内させた。


 するとどうしたことだろうか。あれ程びっしょりと汗を流しうなされていた娘が今ではスゥスゥと穏やかな寝息を立てていた。


 男は滂沱の涙を流しいつまでも感謝の言葉を止めなかった。






 × ×


「あぁ、そうそう。いくら貧しいからって盗みはやめておいた方がいい」

「ヘ?」


 男は一瞬惚けた後面白いぐらいに動揺し始めた。

 少女はニィと笑い何かをヒョイと拾い上げる。


「菓子泥棒か。一生に一度ぐらい甘いものを食わせてやりたかった…ああその顔は正解のようだな」

「ど、どうしてそれを」


 法師が片手でつまみ上げているのは菓子の包み紙のようだった。まるで最初からここにあるとわかっていたかのような口ぶりであった。


「ああ心配するな。オレは法の番人でもなければ正義の味方でもねぇ。だから人が罪犯そうがそんなことはどうだっていい」

「ど、どうでもいい?」

「じゃあなんでやめた方がいいかってぇと…ああほらよく見てみろ」


そう言って手のひらにのせた包み紙を男の前に突き出す。


 するとどうしたことだろうか。包み紙が突如ドロリと溶け出し黒いタールのようなものに変化し始めたではないか。


「ヒィィッ!?」

「触らない方がいい。まっ、オレには効かんがな」


 少女が何やら呟くとポンッとタールのような何かは消え失せた。


「この通り、盗んだものが呪い塗れだったりするしな」


 男は口をパクパクさせ、腰を抜かしたまま微動だにしない。


「運がよかったな。オレ以外の誰かに頼ってたらまず娘は死んでいた。かなり嫌らしい術式が組まれてるからまさか原因が娘じゃなくてお前にあるんだって気づきもしない。仮に運良く気づいたとしても精々呪いの進行を緩やかにするぐらいしか出来ねえ」


 まっ、あんの狐っ娘ならオレより早く解決しちまうんだろうな、とは口に出さなかった。


「の、呪われたのが私なら何故娘が?」

「ん?ああ別に大した話じゃねぇ。これ作ったやつの性格が悪い。それだけ」


 まずは身内からどんどん不幸にしていき徐々に対象を追い詰めていく。次は自分の番だとその日が来るまで震えるしかない。しかも身内判定がガバガバなのでちょっと対象に関わっただけでも呪いに蝕まれてしまう。本当に趣味が悪い。


「さぁて、これに本来呪われるはずだった奴はどんな面かねぇ」


(多分術者も内心焦っているだろうな。全く関係のない奴が呪われたんだし)


(もし気づかなかったら?そいつは肝心な所で抜けてる大間抜けだろうさ)


 そしてどこか明後日のほうを向き、うんうんと頷く。


「あぁ、やっぱり。流石に間抜けじゃねえな。呪物が何処にあんのか探ってやがるぜ」


 痕跡は完全に抹消した。はてさてこちらに気付くか否か。


「さて……」


 未だ呆けている男に声をかける。


「おい、オレは今機嫌がいい。もし心を入れ替えて真っ当に生きたいってんなら特別にタダで占ってやってもいいぜ?」

「も、もうしません!もう二度と後ろ暗いことは致しません!」


 涙ながらに必死である。どうやら娘が自分のせいで死ぬ所だったのが相当効いたらしい。


「ほーう、なら」


 人差し指でサラサラと男の額をなぞり始める。


「明日の朝、太陽があの建物と同じ高さまで昇ったら西に向かって進め。欲さえ出さなければ真っ当な職に就ける。欲さえ出さなければ、な」


 男はカクカクと激しく首を縦に振った。






     × ×


 疾る、疾る、疾る。


 法師は風のようにどこまでも疾る。


 駆ける、駆ける、駆ける。


 少女は無邪気な笑顔を浮かべどこまでも駆ける。


 さながら新しい玩具を見つけた幼子のようであった。




 ある者は彼女を法師と呼ぶ。


 またある者は術師、或いは術遣い。



 不可思議な術を使う者の呼び名は古今東西幾らでも存在する。


 魔術師、魔法使い、妖術師。


 ウィザード、メイジ、コンジャラー。


 しかし、彼女に最も相応しい呼び名を一つだけ選ぶのであれば。


 陰陽師。これ以外にない。


 陰陽道という東洋で発達した特殊な呪文体系のエキスパート。それが陰陽師。


 彼女はその中でも二位の座を古くから維持し続ける最も頂点に近き者。


 未だその腕は鈍らず、他者の追随を許さない。


 そう。この者、見た目は10代後半の少女でありながら、その実よわいは千を優に超えている。これで容姿が幼ければ合法ロリと叫ばれていただろう。ついでに言うと元は男だったりする。



「ハッハー!今日は久しぶりの術比べだ。何処のどいつだか知らねーがちゃんと持ってくれよ?具体的には1時間ぐらい」


 さて、こうして今も夜闇を駆け巡る元男、現(見た目は)少女の陰陽師。


 名を蘆屋道満あしやどうまん


 かつて日の本一の陰陽師安倍晴明あべのせいめいと術比べをした正真正銘の天才である。






     × ×


「それで?その性悪術師は何分持ったんだい?」

「……10秒。正確には9.7秒」


 翌日、庵にて酒を飲み交わすのは二人の少女。


 純白の髪から覗く狐耳をぴこぴこさせながら面白そうに問いかけているのは日の本最強と名高い陰陽師、安倍晴明。


 そしてやや不機嫌そうに盃から酒を飲み干しているのはもちろん蘆屋道満だ。


「あの根暗、死霊術の腕は大したものだったが戦闘はてんでだめだ。詠唱短縮は必須だっていうのに」

「あぁなるほど。自分が襲撃されることなんて考えもしなかったんだろうね」


 おそらく効力を追求して長時間の儀式に特化した、或いは即効性を軽んじてしまったが故のことだろう。戦闘に無縁な呪文遣いによくある傾向だ。


「で、肝心の動機はなんだったんだい?よっぽど誰かに深い恨みがあったみたいだけど」

「あぁいや、それがな……」


 恨みとかじゃなかったんだよ。そう呟く道満。


 ん?と首を傾げる晴明。


 そりゃそんな顔になるわなと、話をかいつまんで説明する。



 1ヶ月前、件の死霊術師は然る商人の娘に一方的な恋慕の感情を抱き、どうにか自分のものにできないか考えあぐねていた。


 そしてある時ピンとひらめいてしまったそうだ。


 迫り来る命の危機から颯爽と助ける自分の姿を見ればたちまち自分に惚れて結婚を申し込んでくるに違いないと。


 彼女の好物である菓子の包み紙に呪いを仕込み、触れたが最後家族もろとも治療不可能な熱病に罹らせ、そこを偶々通り掛かった流浪の術師を装って瞬く間に治療する。


 完璧な計画だった。少なくとも死霊術師はそう思い込んでいた。


 しかし当日、商人の娘は友人の家に泊まりに行ってしまい、そして深夜には例の貧乏人が菓子を盗んでしまった。


 ただの痩せた男が屋敷から危険な呪物を盗み込めてしまったのは、盗賊の神が味方したからなのか、それとも幸運の女神にどうしようもないぐらいに見放されてしまったからなのか。どちらなのかは定かではない。


 ともあれ、死霊術師の計画は初っ端から台無しになったのであった。



「……ひどいマッチポンプもあった物だねぇ」

「あぁ、まったくだ」


 晴明は完全に呆れ果てていた。


(よりにもよって道満がいる町で成功するはずないでしょ)


 晴明が貴族の為の陰陽師なら道満は民の為の陰陽師。口ではなんだかんだ言いながらもそんな悪事を見過ごすはずがないのである。


「どうかしたか?」

「いや、なんでもないよ」


最も、道満にそれを指摘してもそうかと軽く聞き流されるだけなのだが。



「……で?こうしてわざわざ高い酒持ってきたってことはなんか厄介事か?偶々近くに用があったから様子を見に来たって訳じゃねぇんだろ?」

「近くに用があったのは本当なんだけどね。まぁ残念ながら厄介事だよ」


 露骨に嫌そうな顔をする道満だったが文句は一言も言わなかった。目で早く言えと催促する。


「明日、月が紅く染まる」

「皆既月食か。ついでに天王星食もあるな。それがどうした?」

「その前に君の運勢を占ってみて」

「あん?」


 言われるがまま道満は自分の盃に酒を注ぎ込み、そのまま盃を覗き込む。


「……大凶後大吉って出てるんだけど」

「そっか……」


 占いの結果に納得したのか何やらうんうんと軽く頷く晴明。


「心当たりがあるみたいだな」

「まぁね」


 はてさてどんな厄介事か。道満は黙って続きを待つ。






「ねぇ道満」






「弟子を取る気、ない?」



「……なんてぇ?」


 道満は思わず聞き返してしまった。


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