《幕間・弐》

物語の結末


 物語の終わりは、再び何とも言えぬ余韻を含む沈黙を齎した。

 数多の想いを宿して、複雑な表情のまま言葉を紡げずにいるあやめを見上げる玄鳥の瞳は穏やかだ。

 居間から長時計の時を告げる音が流れ聞こえてくる。

 気が付けばそんなにも経っていたのかと思っていると、膝から不意に重みが消えた。

 玄鳥は身を起こしてあやめのほうを見つめている。そして言葉を待つような眼差しを向けている。

 ひとつ息をついて、あやめはぽつりと呟いた。


「結局、二人はどうなるのでしょう」

「どうなるのでしょうね……」


 『彼ら』にしかわからないと言う玄鳥を見つめながら、おや、とあやめは首を傾げた。

 これは彼が考えた物語の筈なのに、作者である玄鳥が結末の先を考えていないという事だろうか。

 そういう物語の終わり方もあるのか、と思ってもみたけれど不思議に感じる。

 玄鳥は遠くの――そこに居る誰かを見据えるような眼差しのまま続けた。


「少女は鬼を拒絶し死を望むかもしれないし、鬼の想いに触れて生きる事を選ぶかもしれない。あるいは相容れないまま続く事もあり得る」


 一度は絶望から死を望んだ人間は、生を望めるだろうか。

 鬼はその心を動かし得るだろうか。二人は、向かい合う事が叶うだろうか。

 語り手ですらわからない事、それでもあやめは信じたい。この話の先にも、当人たちにとっての幸せな先があると。

 自分がその時どんな表情をしていたのかはわからない。

 けれども玄鳥はあやめを見て微笑むと、おやすみなさいと小さく残して寝室へと引き上げていった。

 言葉なくその背を見送って暫ししてから、あやめは立ち上がり嘆息する。

 哀しい、と思った。

 女が男性側の事情に翻弄される事も、逆らう術なく言いなりになるしかない事も、悲しいけれど珍しい話ではない。

 だが、話に出てきた令嬢と、伝え聞いた祖父に袖にされた令嬢が被る。あまりにも、聞いた二つの話の根底にある事情が類似していて。

 偶々あやめは幸運だっただけだ。

 父は家長として威厳を以て振舞ってはいたものの暴君というわけではなく、母とも夫婦仲は良かった。

 妾が居た事もあるようだが、それで母やあやめを蔑ろにする事はなかった。

 お母様もあやめ様もお幸せね、と周りの人々に頻繁に言われていた事を思い出す。

 あやめにも、家同士の約束により婚約者と呼ばれる人は居た。しかし、それはけして不幸な思い出ではない。

 年が離れており、婚約者というよりは兄のように思う相手だった。

 顔を出したなら、小さな自分に付き合って遊んでくれる優しい人だった。

 妹が居たらしいが一緒に遊んだ事はない。

 あまり顔を合わせる事がなく、一度だけ遠目に見た時は哀しそうに此方を見ているだけだった。

 そのご縁も潰えて久しい。あやめの家が傾くより前に、その人が亡くなったのだ。

 急な流行り病だったと聞いている。当時とても哀しかったのを覚えている。

 自分は確かに幸運だった、けれど釦が一つ掛け違っていれば。令嬢は自分だったのかもしれない、とあやめは思う。

 何時の世も、女は生きにくい。今も昔も、本当にそれは変わらない。あの人に会えなければ自分とて、とあやめは心に苦く思い……。

 そこで我に帰る。何を心に呟こうとしていたのかと。

 確かに玄鳥に出逢えたこともまた、自分の幸運であるのは間違いないとは思う。

 しかし、何かが胸に騒めくのだ。それは切なさを伴うけれど、けして不快ではない。

 大きく一つ息をついて、あやめは立ち上がる。何時までもここでこうして居るわけにもいかないと歩き出そうとして、棚の上の万華鏡に目が止まる。

 もしかしてと思いながらそれを手にとって、一瞬の逡巡の後に覗いてみた。


 ――色が、またひとつ増えている。今度は紅が。


 金に紅が加わり、くるくると集って散じる様子は中々に美しい。

 けれども、これはどういう事だろう。

 玄鳥は、妻が亡くなってから色を失ったままだと言っていた気がする。

 それが、ひとつずつ色を取り戻していっている――色を冠した鬼と人との物語が語られる度に。

 その上、移り替わる像を結ぶ中、刹那に切れ切れの情景が浮かぶ。

 何処かの景色である事は間違いない、人影らしきものも見える気がする。

 普通の万華鏡では有り得ない、この世の術にて作られたとは到底思えない品であると思う。

 未知は恐怖にも繋がるというのに、あやめは何故かこの品を恐ろしいとは思わないのだ。

 筒を持つ手のひらに感じるのは、不思議に『あたたかい』という感触だった。



 ――ああ、夢を見ているのだとぼんやりと思う。

 気が付けば、先日見た御殿を歩いていた。風雅な佇まいのその場所が、以前夢に見た御殿だという確信があるのは不思議である。

 遠くには、麗らかな日差しに照らされた郷の景色が見える。

 肌に触れる滑らかな衣の感触すらある。どうやらとても美しい装束を身に着けているようだ。

 お姫様になってみたいという幼い頃の夢が、現ならざる世界で叶ったのかと思った。

 渡り廊下を歩いて、何処かへ向っている。そう、誰かに会う為に。

 誰に会おうとしているのだろう、誰に、会いたいのだろう。

 その人物は、この先に居る。会いたい、早くその顔を見たい。

 靄がかかったようなおぼろげな視界の先、誰かの影を認めたと思った、その時……。



「また、夢……。」

 あやめは、己の寝床で目を覚ました。

 まだ感覚がぼんやりしている、どうやら夢から抜け出しきれていないようだ。

 胸を締め付けられる程の切なさも、満ちる懐かしさも以前と同じ。むしろ更に強く残っている気がする。

 あともう少しだったのに、と知らずのうちにあやめは呟いていた。

 早く朝餉の支度をして、玄鳥を起こさねば。そう思うのにこころはまだ夢と現の際にある。

 夢は夢なのだ。何時か、この不思議な感覚も記憶から消えて行く時が来るのだと、自分に言い聞かせて……。

 暫くしてあやめは床から離れた。

 気持ちを切り替え身支度整え終える頃、彼女の中から夢の残滓は消えていた。






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