第2話

 あたしはキズを貰う。キズ女だからね。あたしがキズを貰うかわりに、あたしはあたしの体をやることもある。アザとか切り傷なんてのは貰うだけだがね。声が壊れちまったとか、鼻が削げちまったなんて時はあたしのをあげるのさ。それは知ってるだろう?

 そうさ、あたしだって最初はこんな見てくれじゃなかったよ。

 キズって言っても様々でね、切り傷、刺し傷、火傷なんてもんだけじゃない。『心のキズ』になってるもんもなんでも貰える。

 歯が欠けちまって無くなったら歯だってやれるし、骨が曲がっちまってたら、骨もやれる。

 ……心のキズってのは奥が深くてね。嬉しいって事が解らない子に嬉しいって思う感情をやったこともあるさ。

 なぁに、嬉しいってことを知ったその子の心が育って欠けてた感情が埋ったから、勝手に帰ってきたさ。だから、あたしだって嬉しいって今は思うことも出来るさね。まあ、あんたのせいでとんと嬉しいって思えなくなってるけどね。

 ふん、よく言うよ。

 いいや、そうでもないのさ。あたしより先に死んじまうとキズは帰っちまうが、あたしが先に死ねばそのキズはそのままあたしが持ってくのさ。

 ……だからキズ女は早く死ぬ。病気も貰うしね。

 なんだ、怒ってるのかい?ははっ、それがキズ女の宿命さね。なぁに、あたしはまだ死なないよ。大切な仕事が一つ残ってるからね。

 流石にたかだか二十そこらで死にたかないさ。


 「二十……?」

 老女の言葉に魔術師が声をあげた。

 「こんな見た目だからね、そりゃババアにしか見えないだろうさ。しゃんとした背中もやっちまったし、若い肌もくれてやった。この白髪の髪も貰いもんさ」

 「おまえは……それでいいのか?」

 やけに低い声だった。

 「さてねぇ、欲望って言うのかね?嫌だって、抗いたいって、綺麗になりたいって気持ちは死にかけのキズ女に持って行かれちまったから解らないんだよ」

 老女の言葉はなんの感情も挟んではいなかった。魔術師は、何故かその事が無償に悔しく感じた。

 「……病気も貰えるのか」

 「あぁそうさ。でもあたしはなんの病気も貰っちゃいないよ。まだ、ね」

 まだと言うことは、いずれ必ず貰う時が来るのだと魔術師は確信した。

 「なぜだ」

 魔術師の問いかけに老女――いや、キズ女は目を伏せる。

 「大事なお役目があるのさ。それが済んだら、病気も貰うようになる。あたしにキズを渡した奴らは早く死んでほしいと思ってるだろうからね、お役目が終わったら貰えるだけ貰ってお陀仏するさ」

 「おまえはっ……!」

 魔術師が声を荒げ、椅子を鳴らして立ち上がりかけるが、耐えるように拳を握ると椅子に座り直した。

 「お前はそれでいいのか?」

 「いいも悪いも、それがキズ女さ。言ったろ?嫌だって思う気持ちは死んだキズ女に持ってかれちまった。あたしがその気持ちを取り返すのは、あたしが死にかけた時――新しいキズ女が現れた時さね」

 「キズ女はどうして産まれる」

 「産まれるんじゃない。キズ女は……おっと、こりゃ話しちゃ行けないことだった。もうこれ以上はいいだろう?さっさと仕事に戻りな」

 キズ女に追い立てられ、魔術師は粗末な一軒家を後にする。仮面の下で、怒りに盛大に眉をしかめながら。


 「ふざけたことだ……」

 魔術師は自分用にと宛がわれた部屋で、キズ女について詳しく知る男から奪った記憶を読み、唸るように声をあげた。

 キズ女は禁忌の術を用いて<召喚>される。異界から召喚された女は、不都合な感情を奪われ抗う気持ちを無くした後に、キズ女の法をキズ女から移される。

 移したキズ女はもうキズ女ではないから、貰ったキズはどの持ち主にも帰ることは出来なくなる。

 「ふざけた、ことを……」

 言葉や生活の知恵などというものも移す事が出来るとのことで、異界から拐われた女にその全てを移して、キズ女は赤子のようになって死ぬのだ。

 いや、死ぬのではない――殺されるのだ。

 「ふん……」

 あのキズ女を拐って、国を出てしまおうか。

 魔術師はそう思う。

 元々、魔術師はこの国の民ではない。新たな魔術や、知らぬうちに生まれた知識を求めてさ迷い来ただけで、都合がよいと王宮に勤めていただけにすぎない。

 煩わしい事も増えた。

 王は何があるごとに、些細なことでも魔術師の術を頼り、また麗しく力のある魔術師を従えていることを自慢するかのようにつれ歩こうとする。王妃は豊満な胸を魔術師に押し付けるように腕を取ろうとし、姫なんて夜這いをかけて来たことがあった。

 「腐った国だと思ってはいたが、ここで使われる魔術も腐っている。何もかも腐敗した国に、留まる理由などなにもない、か」

 仮面を外し、魔術師はつるりと美しい肌に手を滑らせる。

 あのケロイドまみれの顔は己のものだった。顔のキズを奪われる前、キズ女の顔はどんなだったか。

 魔術師は目を閉じて記憶を探る。

 あぁ、そうだ。ケロイドはなかったが、皺だらけの顔、削がれた鼻、曲がった口はそのままだった。目は……目は、そうだ、片目を閉じていた。もしかすると、誰かにくれてやってすでに無いか、見えぬのかもしれない。頬に傷もあった。

 思い出しても醜い容姿だ。本当の顔は、どんななのだろうかと、魔術師はそのことが気になって仕方がなかった。


 「なにも、あたしが作る不味い飯を食いにくるこたないだろ」

 キズ女の呆れ声を無視して、魔術師は二人分の皿を用意する。今日の晩飯は牛の肉(と言っても切れ端だった)と、キズ女が端正込めて育てた野菜の炒めものと、スープにパン。

 もう一品、何か作ろうとしているらしく小皿に卵を割り入れる。

 「おまえの作る食事は上手い」

 それはぼそりとした、小さな呟きだったが、キズ女の耳にはちゃんと届いた。

 「ああいやだ、うっかり嬉しいって思っちまった」

 「なにがうっかりだ。素直に喜べばよいだろう」

 「へっ、あんたな……ああ、この卵もだめだ」

 かご一杯あったはずの卵の大半を、キズ女は一つ一つ小皿に割り、見ては捨てを繰り返している。

 「まったく、あんなにいい野菜をくれてやったのに、ほとんど腐ってるじゃないかい」

 キズ女は自力で手に入れられない食材を、物々交換で手に入れている。しかし、そのほとんどは端切れであったり、腐りかけだった。

 「理不尽だとは思わないのか」

 皿を取り出し終わった魔術師がいつものようにキズ女の背後に張り付き声をかけた。

 「そりゃ、ちょっとは怒る気持ちはあるがね。なんたって、こうやって逐一確認しなくちゃなんないんだから!でもね、こんな気味悪いババア、本当なら顔も見たくないだろうに、それでも交換してくれるんだから怒ったりできないさ。文句言ったら二度と卵も肉も手に入らなくなるだろう?」

 キズ女が、卵の最後の一個を割る。

 「ん、こいつは使えるね。三十も割って使える卵は五個かい。まぁ、こんだけありゃいいかね」

 貰った肉の脂身をフライパンに落とし、油を広げると、さっとかき混ぜ味付けをした卵を入れあっという間にオムレツを作った。

 その鮮やかな手付きに、魔術師は見とれていたが、「皿をお寄越しよ」と声をかけられた。

 今日の食卓は少し豪華だ。

 いつものように、美味そうだと呟き、そして美味いと言いながら食べる。

 キズ女の顔がくしゃりと歪んだ。

 「こんな腐りかけの卵使った飯なんて、食わなくてもいいだろうに」

 「腐りかけだろうが、おまえの作る食事は上手い」

 真顔で言われ、キズ女は手を降る。

 「あーあー、わかったわかった。わかったからさっさとく食っちまいな」

 照れ隠しなのだろう、ぞんざいな言い方に、魔術師が「そんな言葉遣いをするものではない」と返すのは最近のお決まりのやり取りだった。


 魔術師は前と違って食事時に現れて、食事がすむと居なくなる。

 何をしているのか、やけに忙しそうだと感じながら、キズ女はペロリと綺麗に食べきられた皿を洗いながら柔らかく微笑んだ。

 その顔すら、人が見れば失神しそうなほどにおぞましいものだった。

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