【完結】キズ女と仮面の魔術師
おうさとじん
第1話
――昔話をしよう
それは、街に自動車はなく馬車の走っていた時代
紳士はスーツではなくテイルコートやタキシード、淑女は肌の露出を控えたバッスルスタイルのドレスを着ていた時代――
なに?自動車はあっただろう?
確かにそうさね、自動車が開発された時代でもあるが、それよりももうちょっとだけ前の時代なのさ。
――とある所に、一人のなんとも気味の悪い女が居た――
「私の顔を返せ!!」
つるりとした美しい顔を両手で覆った男が、悲痛な叫び声をあげた。
驚いたのは目の前に居た背の曲がった老女である。
「どうしてだい?綺麗な顔に戻れて嬉しくはないのかい?」
酷く嗄れた声の老女に問われた男は、渡り廊下に落ちていた黒地に白い蔓模様の仮面を拾い上げその美しい肌の顔に嵌める。
「そのキズは私のものだ、私の顔だ!」
「でもあんたは仮面で顔を隠しているだろう?いやなんだろう?」
老女の問いかけに、男は醜い声を発したその顔を掴む。
「そうだ、このキズは嫌いだ。しかし、私のモノを勝手に盗むことは許さぬ」
男が掴んだ老女の顔は火傷の
おぞましいその姿。
まるでお伽噺で描かれる怪物そのものである。
「でもこれはあんたの『心のキズ』だろう?だったらあたしが貰うのがスジだろうて」
「その代わりにお前の無傷の肌を貰い受けるというのか!?」
「そうさ、それがあたしの仕事だ。まぁ、今回は貰っただけだけどね。あたしの肌はシワだらけだから、あんたにやっちまったらしわくちゃのじじいになっちまうよ。キズを貰う、やれる時はやる。それがあたしがここにいる意味なんだから、あたしはまっとうに仕事をしただけだ」
その言葉に、男が老女の顔を掴んでいた手に力を込めた。
「いたい、いたい、いたい!やめとくれ!皮膚が破けちまうよぉ」
ただでさえ醜い顔が苦痛に歪むと、直視することも出来ぬほどのおぞましさになる。
叫びあげた口は所々歯が抜け、しかも黄ばんでいた。
「ならば返せ!その痛みごと私にキズを返せ!!」
「だめだよぉ、だめだよぉ。これはもうあたしのもんだよぉ」
「馬鹿を言うな!返せ!!」
「だめなんだよぉ、王様に怒られちまう!許しとくれよぉ……」
あまりの痛さに口走った言葉を男は拾い上げ、老女の顔を離すと、しかし今度は皺の寄った手を握りしめた。
「王と言ったな……アレが何を命じた!」
「いたたた!くそっ、手だってこないだキズを貰ったばっかなんだ!逃げやしないから離しとくれ!!」
老女の痛みに歪んだ顔を見て、男は力を弛めた。しかし、離すことはしなかった。
「仕方ないだろう?王様が仰ったんだ!今度の舞踏会にあんたを連れてくってね!仮面のまんまじゃ皆が気味悪がるから、キズを貰えって仰ったんだ!!」
男が無作法にも舌打ちすると、老女がビクリと身を震わせた。そんな小さな動作すら、不気味に写るのだ。
「断ったというに……」
「あんたが断ったから悪いんだろう!幻視の魔法を使っていいって言ったのに頑なに断るもんだから王様にあんたのキズを取れって言われたんだ!」
「全く余計なことを……」
呆れ声で小さく首を振った男は、老女の手を離すと仮面から覗く目を細めた。
「事情はわかった。しかし、それは私のモノだ。返さぬというのなら……」
「な、なんだっていうんだい」
老女の怯えた声に、男の口が歪んだ笑みを描く。しかし、口を覆い隠した仮面で老女はその表情を見ることはなかった。
ふるふると身を震わせていると、転移の魔法を展開したのか、眼前で男が消えた。
老女は、その場でがっくりと膝を折った。
後日、ホールに麗しい顔の男が居た。
切れ長の目に嵌っているのは冷徹そうな瑠璃に似た瞳、緩く結わえられた髪は光を弾く漆黒。
魔術師の名に相応しいローブ姿で王の傍らに立つ姿に、美しく着飾った女たちが感嘆のため息を洩らす。
妖しい魅力に、女だけではなく男すら釘付けになっていたという。
「あぁ、いやだいやだ。もう付きまとわないでおくれな!!」
今日も王宮の一角にしては粗末な一軒家に、おぞましい声が響く。
「付きまとって欲しくないと言うのなら顔を返せ」
痛む腰に手を当て、キッチンでコトコトと何かを煮込んでいる老女の真後ろで、魔術師が不機嫌な声を返した。
「ふん!顔は持ってるだろう」
「……私の顔のキズを返せ」
揚げ足をとる言葉に、ただ律儀に訂正を入れる魔術師を振り返り見やった老女はうんざりとした様子で肩を落とした。
「何度も言ってるだろう!王様がお許しになったら返してやるって!ほれ、邪魔だよ!あぁもう、皿が取れないじゃないかい」
右後ろの食器棚からスープ皿を取ろうと老女が手を伸ばす。しかし魔術師がその手首を掴んだ。
何をするかと思えば、老女の手を下げさせ魔術師が自ら食器棚の戸をあける。
「これか」
すっと差し出された皿を老女は受け取った。
「あぁ、あぁ、まったく。何処に何があるか覚えるほどに、あたしが何が欲しいかわかるようになっちまうぐらいあんたはここに来てるってわかってるのかい?そんなに魔術師ってやつは暇なのかね?」
嫌味に満ちた老女の言葉に、魔術師はフンッと鼻を鳴らす。
「お前が私の顔、のキズを返せばいいのだ」
「まったくしつこいねぇ……」
老女は馴れた手付きで皿にスープを注ぐ。老女は王宮にあるが、かしづかれて生活している訳ではない。この粗末な小屋としか言えない一軒家で全てのことは全て自分で賄っている。
家のそばの畑を耕し自給自足。食べきれない分は王宮の調理場に持っていけば物々交換で、肉や小麦粉が貰える。
「あぁ、くそっ!」
もう癖になってしまったのか、一人分でいいはずなのに、二枚目の皿が出されてしまったのでうっかりスープを注いでしまった。
「女がそんな汚い言葉を使うものではない」
老女が悪態をつく原因である魔術師は、ただ平坦な声で注意すると、二つのスープ皿をテーブルへと運んだ。
老女はぞんざいな手付きでオーブンの扉を開くと素手を突っ込み焼きたてのパンを取り出した。それをナイフで真っ二つに切るとそのままテーブルへと足を引き摺り歩く。
「なんだってあんたなんかに飯を食わしてやってるんだろうね、あたしは!」
憤り、叩くように空の皿にパンを乗せた。
「ふん、美味そうだ」
魔術師のトンチンカンな言葉に、老女は腕を組んで顔を背ける。
そんな老女に構うことなく、魔術師は両手を握り合わせ、「今日の糧に感謝を」とお決まりの文句を言う。
老女は怒る自分にか、そんな自分に構うこと間なく唯我独尊を貫く魔術師に対してなのかわからぬ呆れを息に乗せると、魔術師に倣って食事前の挨拶を口にした。
先に食べ終えたのは魔術師で、老女が手元に置いたハンカチで時折口元を拭いながら食事をする様子を無言で眺めていた。
「なにが楽しくてこんな気味悪いババアが飯食ってるのをみてるんだか」
老女に何を言われても、魔術師は無言を貫く。食べている間だけは外している仮面も、すでに魔術師の顔にはまっているため、老女には何も読むことが出来ない。
「あーあー、まった……」
いつも通りの文句を吐こうとした刹那、老女の左手にあった大きなアザがすぅと消えた。
「なんだ……?」
いぶかしんだ声で、老女のアザが消えた左手を魔術師が見つめる。
「このアザの本当の持ち主が死んじまったのさ……。そうかい、あの子は死んじまったのか……」
老女が、盛り上がった皮膚に覆われた目を閉じる。
「まだ……若かったはずだけどねぇ……」
手に取っていたパンを皿に戻すと、老女は胸の前で手を合わせ、黙祷を捧げた。
「キズの持ち主が死ねば、お前のキズも消えるのか?」
黙祷を捧げているからか、老女は動きも喋りもしない。
魔術師は無言で待った。暫くして老女が食事を再開すると、同じ質問をぶつける。
「消えるんじゃない、帰るのさ。キズの持ち主にね」
魔術師が老女を無言で見つめる。続きを欲している事を察しはしたが、老女はそれ以後黙り、食事を進めた。
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