第21話 これからのために 2
広大な空を飛び、宇宙との境を航海し始めて八時間。
ようやく、会議の行われる中立国への着陸が始まった。
ここから空港まで、更に三時間はかかる。キャビンアテンダントたちがグラスやプレートを下げ始めた。
ちらりとセシルの方を見やると、セシルは窓に頭を寄せて寝ているようで、ピクリとも動いていなかった。
窓の外に広がる空が白い雲海から薄い青空へと変わっていく。この中立国に元々いるという軍の巡洋機が二機周囲を飛び始め、気圧が安定するとシートベルト着用のランプがまた消えた。
「ワーグナー准将」
「なんでしょうか」
「あの巡洋機、動きが変ではないですか?」
「え?」
レオンが窓の外を指さすのでジークハルトも外を覗き込むと、黒く塗装された巡洋機が一機、規定距離を保ちながら飛んでいるのが見えた。
ひと目では変化に気づかなかったが、巡洋機は距離を保つのが下手なのか、民間機に近づいたり離れたりを繰り返している。
なぜ?と首を傾げたところで突然、若い女性の叫び声が客席まで届いた。
「なんだ?」
「見てきます」
「私も行きましょう」
ざわつく客席から叫び声のあった廊下に飛び出す。すると、事態にいち早く気づいたレオンがジークハルトの腕を引いた。
「ワーグナー准将!」
「っ!」
ジークハルトの頭があった位置に、突然銃弾がめり込んだ。体勢を整えたところで、ジークハルトとレオンに覆面をした男たちによって銃が突きつけられた。
それを見た貴族たちの叫び声、立て続けに起きる銃声。
「騒ぐな、席に座れ」
リーダー格らしい覆面の男が、全員の前に躍り出ると声を張り上げた。
「我々は、デリング共和国軍より命を受けて参上した、自警団リブラリッヒテンである。貴様らの命は、現刻をもって我々の支配下となった。騒ぐなよ。俺たちは無駄な血は流さない主義なんだ」
そう言って、リーダーは銃を天井に向かって発砲した。数個の叫びはしかし、すぐに収めるしかできなかった。
ジークハルトとレオンは、それぞれ離れた席に座らされ、両手を拘束される。セシルへ視線を流すが、頭の位置が動いていないせいで、起きているのかすら疑問だった。
沈黙に耐えられなかった貴族の一人が、恐る恐ると口を開いてしまう。
「き、君たちの要求はなんだ」
「黙れ。発言しろと言っていないぞ。だがまぁ、これぐらいは伝えておいてやる。貴様らは、我々の捕虜だ。我々は、貴様ら全員を殺すためにここにいる。だが、こんな狭い場所では殺さない。今すぐ殺されたくなければ、黙って我々に従うことだ。まずは、貴様らの身元を確認する。おい、パーサー、乗客員名簿を持ってこい」
無謀な乗客の声にまったく感情を向けることなく、リーダー格の男はテキパキと指示し始めた。
慌てて名簿を持ってきたキャビンアテンダントを横に据え、ひとりひとりの名前と身分を確認していく。
「セシル・アデルハイト・フォン・ミュンヒハウゼン伯爵」
リーダーの声に、セシルからの返事はなかった。周囲の貴族たちの方がその名前に反応し、そして銃を突きつけられる。
「セシル・フォン・ミュンヒハウゼン!返事をしろ!」
男の鋭い声に、だがセシルはやはり返事をしない。セシルの前に座る貴族の方が慌ててセシルに声をかけていた。
「き、きみ……!」
「貴様、なぜ返事をしない!」
「チッ……ったく、うるっせぇな。聞こえてるよ、そう何度も呼ぶんじゃねぇ」
ややあって、セシルは盛大に舌打ちをして面倒臭そうな返事が飛んだ。
それに堪忍袋の尾が切れかけているリーダーが怒鳴る。理路整然としてはいるが、どこか破綻した主張に、セシルは面白そうに笑っただけだ。
「テメェらが何者だか知らねぇよ。知りたくもない。それに、そうやってむやみやたらと銃を振り回すもんじゃないぞ。オモチャじゃないんだから」
「黙れ! 貴様、我々を愚弄する気か」
「愚弄? 愚弄ね。帝国の敵対軍の名前を出しゃ、みんな言うことを聞くと思ってる能天気なテメェらがその言葉を使うなって話だけどな」
「うるさい! そんなにも死にたいのか!」
「別に、殺すならどうぞ。まぁ、こんな乳臭いテロ行為しかできねぇ小物どもが、本当に人間を殺せるとは思えねぇが」
ガガンッ、と銃声が鳴る。
向けられたのはセシルではなくリーダーの隣にいたキャビンアテンダントで、心臓と頭を撃ち抜かれたキャビンアテンダントはゆっくりと倒れていった。
それに一瞬の間が空くが、近くの席にいた夫人の叫び声を発端に騒がしくなる。
「騒ぐな!」
リーダーの張り上げた声に、またシンと静まり返った。銃の切先がセシルにまた向かう。
「ミュンヒハウゼン。我々は、本気だ」
「………」
ジッと銃の切先を、セシルの紫色の瞳が見つめる。そして、キャビンアテンダントの死体へ視線が流れたが、人を馬鹿にした態度を改める気はないようだった。プッと吹き出し、そうしてくすくす笑い出す。
「な、なにを、」
さすがのテロリストたちも、セシルのその異様な態度に恐怖を感じたようだった。それは他の乗客も同様で、彼がミュンヒハウゼン侯爵秘匿の跡取り息子であるというゴシップに反応していた者たちも顔を青ざめてセシルを見ていた。
「何がおかしい!」
「いや? ククク……本気だ、ね。死体を見せつけて己の力を誇示するだなんて、ガキのやることだなと思っただけだ」
「なっ……!」
「ふふふ」
固まったリーダーへ、セシルはゆったりと立ち上がる。慌ててそれを止めようとジークハルトも立ち上がりかけたが、慌ててハイジャックメンバーの一人に席に縫い止められた。
「う、動くな!」
「いいか、クソガキ。人間を殺すってのはな、テメェが考えているよりも、もっともっと大事なことなんだぜ。それに、他人に言うことを聞かせるためには、なにもデカい組織の名前を使う必要はないし、命を奪う必要も無い。たとえば、こんな風に」
「っ!」
セシルの手が素早く横にいたテロリストの一人伸び、腰に差してあったハンドガンが抜き取られる。慌ててテロリストたちが反応したものの、セシルの方が早かった。銃を抜き取られた男の足を撃ち抜き、呆気に取られている間にリーダー格の男の肩と足を撃つ。
騒然となった場の空気に、ジークハルトとレオンは動いた。見張りを押し倒し、銃を奪い取る。顔を上げた時にはテロリストたちはセシルの手によって全員床に倒れていて、セシル自身は操縦席の方へ走って行っているところだった。
「ワーグナー准将!」
「ここをお願いします!」
手の拘束を無視して、奪ったハンドガンを持ったままセシルを追う。セシルが消えた廊下へ飛び出すと同時に、銃声が操縦席側から聞こえてきた。
「セシル! ……っ!」
「あ? なんだ?」
ジークハルトの目に飛び込んできたのは、操縦席を陣取っていたテロリスト二人を鎮圧し、手際良く彼らの服で拘束をしているセシルの姿だった。
*****
ジークハルトの副官ミーミルが率いる半個艦隊の誘導により、目的地ではなくその手前の軍用空港に緊急着陸した。キャビンアテンダントたちの誘導で退避する乗客たちを避けながら、ミーミルが拘束されたテロリストの前に立っていたこちらに駆け寄ってきた。
「ワーグナー准将、お怪我はありませんか」
「私は大丈夫です。ただ、残念ながら、民間人の死亡者一名。他の乗客と犯人たちは、怪我はあれど皆無事です」
「はい。では、事故調査員が到着する前に、彼らはこちらで拘束しますね」
「お願いします」
彼の指示で、操縦室に拘束されたテロリストたちがテキパキと運び出された。全員足か肩を撃たれていて、彼らを慎重に運ぶよう兵士たちに言い含めたあと、ジークハルトは客席へ向かった。
目当ての男は、現場保存と貴族たちの誘導に追われる兵たちの中で、マイペースだった。
キャビンアテンダントの遺体の横にしゃがんでいたセシルは、ジークハルトの姿を見ると立ち上がってへらりと笑う。
「何か用かぁ?」
「セシル、怪我はないですか?」
「大丈夫。問題ない」
「………」
聞きたいことは山ほどある。どれから聞けばいいか分からず言葉に詰まると、こちらをジッと見上げていたセシルが困ったように眉を下げた。
「ミュンヒハウゼン伯爵。ワーグナー准将。そろそろご移動を」
「……はい」
ミーミルが走ってきて、退避を促される。それに返事をしたはいいものの、セシルになんと声をかければいいか。先に動いたのはセシルの方で、ジークハルトの横をさっさと通り過ぎていった。
「ワーグナー准将」
「………」
セシルと入れ替わりで、レオンがこちらにやってきた。
「今の男が気になりますか? まぁ、あんな技術を見せられたら仕方のないことですが」
「ラインクラウゼ中将」
「はい」
「少し、お願いがあります」
ジークハルトの静かな声に、レオンはしっかりと敬礼をしてみせた。
*****
軍用空港施設内の、民間人用に開かれていたロビーにセシルはいた。
瞬きの間にテロリスト鎮圧を果たした英雄となってしまったセシルは、機内での異様な態度は無視されて、その美貌と名前が更に合わさって入れ替わり立ち替わり握手を求められていた。
それににこやかに対応していたセシルだったが、ジークハルトと目が合うと談笑をやめてするりと逃げてしまう。
声をかけようと足を踏み込んだ途端、後ろからやってきた事故調査員と名乗る男たちに先を越されてしまった。
「ミュンヒハウゼン伯爵」
「誰だテメェ」
ロビーアテンドからシャンパングラスを受け取ったセシルから発せられる声は非常に低い。それに一瞬怯んだものの、男は毅然とした態度でセシルの前に立った。
「刑事局事故調査課調査員の、カール・シュミットです。後ほど、少しお時間をいただけますか」
「そんな物言いして、どーせ強制だろうが。ったく……良いぜ。さっさとやれよ」
「では、後ほど。皆さんに順番にお伺いしておりますので、少々ここでお待ちください」
言うだけ言って、調査員と名乗った男たちはさっさと次へと移動していった。
それを面倒臭そうに見送ったセシルが窓際に立ったのを見て、ジークハルトはようやくセシルへと追いついたのである。
「セシル」
「……なんだよ、ワーグナー准将」
「あ、えっ、と……」
やはり、言葉に詰まってしまう。
窓の向こうに広がる飛行場を見ながらグラスを傾けていたセシルが、怪訝そうにこちらに振り返って、小さく息を吐いた。
「まずは、俺がどうしてあれだけ立ち回れたところからって感じか?」
「……」
それも、ある。
無言のジークハルトに、セシルは左脚に重心をかけて立つと、ポケットに左手を突っ込んだまま笑った。
「俺は、ここ最近まで兵役で軍にいてな。そこで覚えた」
それにしては、あの動きはたかだか数年で身につくものではないと、ジークハルトは理解している。意図的に嘘をついているとわかってはいるものの、それを嘘と証明できるほどのカードを持っていない。
じっとりと、時間が凝り固まってしまったようだった。その沈黙を破ったのは、先程の事故調査員であった。
「ミュンヒハウゼン伯爵。お待たせしました。どうぞこちらへ」
「ああ。……あ、そうだ。なぁ、ワーグナー准将」
「……はい」
「ひとつ、良いことを教えてやる」
「良いこと? ……っ、」
するりと、セシルが突然至近距離に立った。突然のことに、思わず一歩後退するも、セシルもまた一歩踏み込んでくる。
こちらを上目遣いで見上げてくるその顔は、セシルとツェツィーリアを別人とするにはあまりにも無理があった。
トン、とセシルのシャンパングラスを持つ細い指が一本、ジークハルトの心臓の上を突いた。
「今回のあのハイジャック事件の犯人たちは、デリング共和国軍お抱えの自警団なんかじゃない」
「……え?」
そっと声を潜めて告げられた言葉に、驚いてセシルの瞳を凝視した。こちらの反応は想定内だったのか、セシルはゆったりと口角を上げた。
「あいつらは、勝手にデリング共和国軍の名前を拝借しただけだ、って言ってんだよ。だいたい、パーサーなんて言い方、こっちのやつらはしないだろ。俺から言えるのはそれくらい。あとは、あんたらの仕事。頼んだぜぇ」
どういう意味だ、と聞く間も与えずに、セシルはジークハルトの脇を通り過ぎ調査員の事情聴取へ付き合い始めてしまった。
「ワーグナー准将」
こちらもこちらで、レオンから名前を呼ばれる。立ち止まっている暇はなかった。
*****
会議が行われる都市までの移動は、二日後になった。事故調査員の事情聴取に加えて、軍からの事情聴取も行わなければならなくなり、さすがにそれを半日で終わらせるには無理がある。
ジークハルトの予想通り貴族たちからは大ブーイングが起きたが、軍用空港周辺はリゾート地としても栄えており、三つ星ホテルを用意すると発表されてからはみな一様に静かになった。
一貫して静観していたのはセシルくらいで、その静かにジークハルトの発言を見守る姿がまた少し不気味に見える。
「セシル」
空港を出てホテルに移動しようとしていたセシルに声をかけると、セシルが目を丸くしてこちらを見上げてきた。彼の向かう先には一台の車が停めてあり、軍が手配したものではない。彼個人で呼んだもののようだった。
「なんだ?」
「事故調査局の事情聴取のほかに、軍の方でも事情をお伺いすることになりました。時間は追って連絡させます」
「ん、わかった」
「それから、」
「ンだよ。まだなんかあんのか」
セシルが嫌そうに眉を顰めて腕を組む。彼の耳にはまだ無線イヤホン型通信機がハマっていた。
「先程セシルが仰っていたことですが……どうして彼らの名乗りが嘘だと分かったのですか?」
ジークハルトの問いに応えたのは、セシルの通信機だった。ピピピッと軽い電子音が彼の耳から流れ、それに反応したセシルの眉間に皺が寄る。
「……今行く」
「セシル」
ジークハルトを無視して車に乗り込もうとしたセシルの左腕を、咄嗟に掴んでいた。細い腕だ。細い手首だ。そこに巻かれた腕時計に、ジークハルトは見覚えがあった。ジークハルトの視線に気づいたセシルが手を振り払い、非常に自然な動作で腕時計を隠してしまった。
「なんだよ、ワーグナー」
「セシル、質問に答えてほしい」
「………」
「私は、あなたを疑いたくない」
「なんだぁ? テメェは俺がイカれたテロリストだって言いたいのか?」
「違う」
違う、が。
今後のジークハルトの報告の如何によっては、セシルは本当にテロリストの容疑者として疑われてしまう。
先ほどの話を誰にも言わなければいいが、だが話しているところを見られている以上無言でいるわけにもいかない。
ジークハルトの鋭い視線に、セシルは盛大に溜め息をついたあと、ロビーの時と同じく指でジークハルトの心臓の上を突く。
セシルの通信機は、まだチカチカと点滅しており、向こうから何かしらの通信が入っているようだった。セシルはそれに反応せず、にたりと笑う。
「あいつらが同盟軍を名乗ると、俺の仕事に影響が出るんだよ。ムカつくことにな」
「………」
「じゃあな、ワーグナー准将。警護がんばれよぉ」
余韻を持って、セシルの指が離れていく。
そのしなやかな指はそのまま、近くに立っていたブロンド髪の運転手を呼んだ。制帽を目深に被っていて、まるでアンドロイドのように忠実にセシルの指示に従った。
ジークハルトが捕まえるよりも先に運転手によってドアは閉められ、数多の疑問を乗せて車は発進してしまった。
*****
バックミラーに映るジークハルトの姿が豆粒以下になったところで、セシルはようやく息を吐いた。
「セーフ」
「セーフじゃないです、アウトです」
セシルの安堵は、運転席からバッサリと切り捨てられた。
運転手に扮した部下の威勢の良さに、セシルは後部座席で靴を脱ぎ、膝を抱えて座り直しながらケタケタと笑った。後部座席に放られていたビニール袋の中からタバコの箱を発見して、いそいそと一本取り出して火をつける。
「大丈夫だってぇ」
煙と共に、非常に楽観的な感想を吐き出すと、部下……ダニエル・フォン・ベッケンバウアー少佐にバックミラー越しに睨まれた。彼は、かつてジークハルトの"先輩"として、ジークハルトとセシルを引き合わせた張本人でもある。
「大丈夫なもんですか。あのふざけたテロリスト未満たちが我が軍の名前を騙っていてくれた方が、うんと仕事がしやすかったのに。なんで素直に伝えちゃうんですか!」
それもそうだ。
ただ、セシルにもセシルなりの事情はある。
「絶対失敗しますよ、今回の任務」
「平気だろ。別に、俺たちはあのイカレポンチたちと違って、テロは起こさないからな」
「そういうことじゃないです。隊長、あんた、あの赤髪の軍人に殺されたいんですか?」
「まぁ、もし次に"ツェツィーリア"として会った時には、俺の頭はもう少し風通しが良くなってるかもなぁ」
「分かってるなら尚更なんで素直に教えちゃったんですか!」
ダニエルからの叱責はもっともだ。セシルはそれに、煙を吐き出すことで時間を置き、窓の外に広がる海を見ながら呟いた。
「あいつは、俺に向かってそんなことしないって思ったからかな」
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