自著の電子書籍にいただいた書評、レビュー公開

婆雨まう(バウまう)

アヤと過ごした夏、レビュー。

第1話 コヲノスケ先生【アヤと過ごした夏】書評。

 田中康夫の「なんとなく、クリスタル」を思わせるレトリックで展開される”アヤ”のエピソードとドグラマグラを彷彿とさせかねないような、”ドテチン”、”鬼太郎”のエピソードが交互に展開される前半部分がキャラクターの造形を作り上げ、やがて物語は”ドテチン”と”アヤ”を中心とした別れの物語へと結実していく。


 哀しい笑いに彩られたギャグからはじまった、この人間味あふれる人々の夏は、必然的な別れへ向かいながらも強く惹かれあっている。


 興味深いのは”ドテチン”に訪れたこの別れは、作中においてすでに”アヤ”が結婚しない理由を語る科白の中に既に予言されてもいる。


 物語の中で、”ドテチン”の人生と”アヤ”の人生が交差した後、互いの未来が入れ替わったかのような結末になっていないだろうか。(ある種の成功に至るドテチン、そして自分の感情に妥協することを選んだアヤ)。


 そして、語られないそこにおける”鬼太郎”という人物(これは、まるでアヤとドテチンという女性と男性の心を持たざるを得ない作者自身の似姿であるかにも見える)。


 この物語は様々な側面を持ち、無数の角度で描かれた人物像が立体的に構築された、互いに無関係であるかに思われる真逆の要素を互いにぶつけ合ったような作品なのである。


 喜劇であり、悲劇であり、そしてエレガントさと下品さが、交互に入れ替わり混ざり合った結果、すべてが反転してしまう様すら呈している。


 その結果として、すべてが交差した時点で悲劇が起こり(4人があつまったあの夏)、そしてその後、互いの運命が入れ替わったかのような結末が、しかし必然性によって帰結してしまう。


 そしてまたその哀しさすらも、前半部分のギャグからの、ある種の反転によって導かれている。

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